敗着-透硅砂- 1 - 2
(1)
「塔矢、これ持ってかなくていいのか?」
「え…」
ざわつく教室で帰り際に声をかけられ振り向いた。
「え、じゃないよ。出席簿、職員室に持ってくの日直じゃねーの?」
「…そうだったね、ごめん」
教室から出て行くアキラの後ろ姿を見送った生徒の一人が、もう一人の生徒に話しかけた。
「なあ、塔矢ってあんなボーっとした性格だったっけ。最近抜けてるよなー」
話しかけられた生徒が遠慮がちに答えた。
「さあ…、俺もともと相手にされてないから分かんね…」
「失礼します」
お辞儀をして職員室の扉を閉めると歩き出した。
進藤と緒方さんの部屋で鉢合わせをしてから、幾日が過ぎただろう。
父があからさまに心配するほどに一時は落ち込んでいたが、日常生活はなんとかこなしていた。
教室へ戻る廊下でふと立ち止まり、方向を変えた。
人気の無い廊下までやって来ると窓を開けようと鍵へ手を伸ばす。その伸ばした手の指に目がとまり、思わず苦笑した。
自分でも分かるほど、ほっそりと痩せていたのだ。
(これじゃお父さんが心配するはずだ…)
窓を開け窓枠に手をかけると外の空気を吸った。制服は既に夏服に変わり、汗ばむ季節になっていた。
それでもこの場所は植えられた樹木の影が涼しい空間をつくりだしている。
校舎の外を歩く下校していく生徒たちの喧騒も、樹木に遮られ遠くに聞こえるだけだった。
あの日のことを思い出し唇を噛んだ。
突きつけられた現実――。
自分が結局は受け入れられなかったことを認めるには時間がかかった。
(進藤…)
目を背けたかった事実は体の一部になったように、いつも意識の何処かに潜んで自分を陰鬱にさせている。
だが不思議なことに、自分の気持ちに変化はなかった。
まだ進藤を、あきらめきれなかった。
顔を上げると、少し湿り気を帯びた木陰の空気を感じとるようにそっと目を閉じた。
進藤――。
キミは今、何を考えている?
(2)
エアーストンが柔らかい気泡を作り、水中へ静かに送り出していた。
水面に一粒、また一粒。
人工飼料が落とされ、しばらく水面を漂っているとやがて沈んで魚が飛びつく。
さっきから飽きもせずに、同じことを繰り返していた。
「おい、進藤。いつまでやってる気だ」
返事は期待せず気休めに声をかけたが、こちらを見ることもなく人の熱帯魚で遊び続けている。
あきらめて別のことでもしようと思った時、
「わ…」
ザラッと音がして振り向くと、粒状のタブレットが水面一杯に広がっていて進藤が手を突っ込もうとしていた。
黙ってそれを手でいさめると、ネットを取り出しこぼれた飼料をすくい出す。
「ごめん…」
容器の蓋をきちんと絞め直しながら、ヒカルが謝った。
「貸せ…もういいだろ…」
素直に容器を渡してくる。
アキラが飛び出していってから、進藤との間には沈黙が多くなっていた。
言葉を交わさずただ同じ空間にいるだけ、ということは以前にもあった。しかしそれは重い沈黙ではなく、むしろ心地の良いものだった。
だがあの日以来、進藤の真意をつかみかねていた。
抱いていてもうわの空で、まるで人形としているようだった。
椅子に座ると小さくため息をつき、手招きをした。
「なに…?」
ヒカルがトコトコと歩いてきた。
前髪をすくい、以前はくるくるとよく動いた瞳を見つめた。どこか遠くを眺めているようだった。
ヒカルの手をとり、座ったままの姿勢で一呼吸おくと尋ねた。
「進藤…。お前、今、何を考えてる?」
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