敗着─交錯─ 1 - 2
(1)
棋院のドアを潜り抜け、フロアを横切る。
「進藤、オマエ最近元気ないなあ。何かあったのか?」
「何もないけど・・・?」
「ふうん」
和谷にしてみれば、いつもは元気一杯という感じの進藤が、今日は塞ぎ込んでいるように見えた。いや、ここ数日、進藤からは以前のような生気が感じられなかった。
エレベーターが開き、見覚えのある顔が出てきた。
ぺこりとお辞儀をしながら隣を盗み見る。
進藤も小さく一礼しただけで、すれ違った。
「おい、進藤」
その人物が完全に向こうへ行ってしまったのを確認してから、尋ねた。
「お前、緒方十段とは顔見知りじゃなかったのかよ」
「え?別に・・・」
曖昧に言葉を濁し、口の端を無理に上げようとしている。
「研究会にも誘われたのに?」
「前はな・・・」
「ふうん・・・」
腑に落ちなかったが、今日は森下師匠の研究会の日。進藤は以前に塔矢門下の研究会にも誘われたことがあるが、今は森下門下で研究を重ねている。今更誘われても困る。
気を取り直して扉を引いた。
「緒方先生、こちらです」
「ああ・・・」
うわの空で返事をする。
進藤の顔を見たのは、あの日以来初めてだった。
(完全に無視してやがる・・・あのガキ)
何故だか心が苛立っていた。
だが声をかけることは憚られた。プライドが邪魔をしていたのと、なにより何と言って話しかければ良いかが思い浮かばなかった。
久しぶりだな──
(オレはタイトルホルダーだぞ・・・)
体は大丈夫か?
(何をしたんだ・・・)
整理のつかない頭で部屋に入った。
(2)
水槽に取り付けた蛍光灯が淡い光を放っている。
前に座り、じっと熱帯魚を見つめている進藤の顔を仄青く照らしていた。
何をするわけでもなく、さっきからずっと水槽を眺めている。
仕事を終えマンションに帰って来て、ドアの前にしゃがみ込んでいるコイツを見た時は回れ右して駐車場に引き返しかけた。
棋院ですれ違った時から数時間と経っていない。
ブスッとした表情で口を尖らせ、あからさまに機嫌が悪そうだった。
「おい、ここで何をしてるんだっ」
「別に、何もしてねーよ」
「…とにかく入れ。寒かっただろう」
「いーよ、オレ帰るっ」
立ち去ろうと向きを変えた肩を掴むと、引き寄せ耳打ちした。
「…制服がウロウロしてると目立つんだ。言うことを聞け」
「制服の女がうろついてるよりはマシだろ?」
「おまえオレを何だと思ってるんだ」
憎まれ口に付き合いながら、鍵を開け金属製のドアを開いた。
それからだ。
入ってくる時はうるさかったのに、部屋の空気に触れた途端だまりこくってしまった。
上着を掛け戻ってくるとソファに腰掛ける。
(誰が座って良いと言ったんだ…)
ちゃっかりと自分の椅子に座っている進藤は、立てた膝に顎を乗せ、もう片方の脚を投げ出し水槽を見つめている。
(…海王の制服よりは地味だな)
有名進学校の制服を思い浮かべると、進藤の変哲のない学ランと比べた。
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