残照 1 - 2


(1)
明日からいよいよ北斗杯が始まる。
最後の注意事項を受けたら、この後は明日の朝まで自由時間だ。
ホテルの食事も飽きたし、晩メシは何を食おうかな、と思いながら、ヒカルは退屈な説明を
聞いていた。
長い、くどくどしい説明がやっと終わって、ヒカルは勢いよく席を立った。
そして、アキラに声をかけようとした時、
「お父さん!」
アキラが声をあげた。
振り向くと、塔矢行洋が立っていた。
「来るのは明日だと思ってたのに。」
アキラはヒカルの横を通り過ぎて、行洋の方へ向かい、それから、思い出したように振り返って
ヒカルに言った。
「進藤、ごめん。」
明日から始まる北斗杯に向けて、前祝いに皆でちょっと豪勢な夕食を食べに行こう、という
約束を反古にするつもりなのだと、それを謝っているのだろう。
「ちぇ、つまんねーの」
ヒカルは小さくこぼした。
せっかく塔矢と一緒に美味いもんが食えると思ってたのに、そう思ってヒカルはちょっと
拗ねて唇を尖らせた。
「へーえ、塔矢ってあんな顔することもあるんだなあ。」
ヒカルの後ろから和谷の声が聞こえた。
言われて、アキラを見てみると、アキラは本当に嬉しそうで、いつものクールな表情が
信じられないくらい、無邪気な笑顔を行洋に見せていた。
―ここんとこずっと一緒にいたオレと、久しぶりに会った親父とじゃあ勝てねぇよな。
しかし、アイツって親父っ子なんだなあ、あんなに嬉しそうにしちゃってさ。
父親の前で小さな子供に戻ってしまったようなアキラを見てヒカルは、しょうがないなあ、
と言う風に小さく笑った。


(2)
行洋の横を軽くお辞儀をして通り過ぎようとしたヒカルの耳に、行洋の低い小さな声が届いた。
「彼は、どうしている?」
ヒカルの足が止まる。
「また打ちたい、と、打てる機会を待っていると、伝えてくれ。」
それだけ言って、何事も無かったかのように、行洋は去って行った。
けれど、ヒカルはその場に釘付けになったまま、動けなかった。
「おい、進藤、どうしたんだよ?」
「え?ううん、何でもない。」
「何でもないって、なんか、真っ青だぞ。今、塔矢先生に何か言われたのか?」
何でもない、はずが無かった。
―どうしている?また、打ちたい。
ヒカルの頭の中で行洋の言葉がこだまする。
佐為との別れを、納得できたと、自分では思っていた。
自分の碁の中に佐為はいる、そう思う事で自分を納得させる事ができたと。
けれど。
―どうしている?また、打ちたい。
それは、ヒカル自身の言葉だった。
また、打ちたい。もう一度、あの頃のように。
いつまでも、時間を忘れて、飽きる事も無く、何度も何度も、打ち続けたあの頃。
また、打ちたい。そう思っただけで、いつも佐為と一緒にいた記憶が蘇る。
そして懐かしい記憶が蘇るのと同時に、もう決してそんな日々は帰っては来ないのだという
絶望が、ヒカルの中に押し寄せる。
「何でもない。」
そう、自分に言い聞かせるように同じ言葉を口にしながら、ヒカルは涙が出そうになるのを
必死に堪えた。



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