枸杞の実 第三章 1 - 2


(1)
自動ドアを抜けると、受付で緒方さんと市河さんが二人で話しをしていた。
びしょ濡れで碁会所に戻った僕に、二人は酷く驚いた顔を向ける。
きっと僕はいま非道い有様のはずだ。
「アキラくん!心配してたのよっ!進藤君追い掛けて走っていっちゃうし…アキラくん?」
心配そうな市河さんの声は聞こえるのだけれど、ちっとも頭の中で咀嚼できない。
一瞥して奥へ行こうとする僕の頭にふわりとタオルの重さがかかる。
驚いて見遣ると、緒方さんが美味しそうに煙草を燻らせて、眼鏡の奥の瞳を細めていた。
「どんな理由があるのか知らんがそのままじゃ風邪をひく。早く頭を拭いてついてくるんだな。」
「……え?」
「家まで送ってやろうと言ってるんだが、迷惑か?」
そういって片方の眉をあげるいつもの仕種をする。
緒方さんからそんな申し出を受けて、僕が断れるはずがないのに。
「やっ…緒方さん!アキラくんなら私が送りますから!ねっアキラくん?」
慌ててまくし立てた市河さんに、僕は横目で緒方さんの顔を伺う。その横顔はまるで他人ごとだとでも言うようにあらぬ方向を向いていた。
「……いえ、今日はせっかくおっしゃって下さってるので緒方さんの車に乗せていってもらいます。ありがとうございます市河さん。」
すまなそうな顔をして軽く頭を下げる。身体に纏わり付く制服が気持ち悪くて、胸に渦巻く感情に押し潰されそうで、とにかく早く家に帰りたい。
「そう…そうね…」
小さく返事をして俯く市河さんの隣で緒方さんがゆったりと煙を吐いた。
「ならさっさと頭を乾かすんだな。全身びしょ濡れじゃないか。」
まったく、という顔をして僕を促す緒方さんはいつものように意味がわからない。幼い頃から知っているにも関わらず、未だにその思考を理解できない時がある。
今日は突然どうしたんだろう。いつも碁会所にいるわけじゃないのに。
部屋の隅で頭をごしごしとタオルで擦り、水を吸って重くなった上着を脱いだ。
詰め襟の下のブルーのワイシャツが胸や背中に張り付くのが気にはなったが、まさかこれまで脱ぐ訳にもいかない。ワイシャツに手を差し入れて水気を拭き取っていく。そのうちタオルはたっぷりと水分を含んで使い物にならなくなってしまった。
それを洗濯カゴに入れてしまうと、履き心地の悪いズボンのままに地下にある駐車場へと小走りで向かった。


(2)
和谷が少し早目の夕飯のつもりで牛丼を食べていると「ピンポンピンポーン」と連続でドアチャイムが部屋中に響いた。
はいはい、と呟いて散らかった折り畳み式テーブルの上に牛丼を置いてドアに向うと、またチャイムの音が鳴る。
「はいはい!誰ですか!?」
ガチャリと乱暴にドアを開けると、目の前にずぶ濡れの進藤が立っていた。
いつものような元気はなく悲愴な面持ちで、心なしか目元に赤みが射している。
「進藤!?どうしたんだよオマエ…そんなかっこで!」
「……なか…入ってもいいか…?」
「お、おう!早く入れよ。」
俯き加減でぼそぼそ喋る進藤なんて初めて見るんじゃないか?
足元に散らかったガラクタや洗濯物を端に寄せながら、のろのろと歩く進藤を先導して部屋に入れた。
「ほら。タオルと服。早く着替えな。」
まだ洗濯してあった衣類が残っていたのに胸を撫で下ろしつつ、着替えさせて濡れた頭を拭いてやる。
進藤はかいがいしく世話をしていた俺に完全に身を任せていた。
すると突然進藤が「くしょん!」と、俺の胸目掛けてくしゃみをした。
「バッ!お前人の方むいてくしゃみすんなよ!」
「へへ、ごめん。」
ふわ、と笑う進藤に不本意ながら胸を跳ね上がらせてしまった。
なんだよ。もうかわいらしい顔して笑ってやがる。進藤の笑顔……女の子みたいだな。
(ってバカか俺は)
最近そんなふうに自分を嘲る回数が増えた気がする。
(どうかしてるぜ)
悪びれず笑った進藤に「この野郎」とほっぺたを抓ってやると雨にあたったせいか、触れた肌はひどく冷たかった。
「ほれ。」
和谷が作ってくれた氷の島の浮くインスタントのコーヒーをちょびちょび飲んでいるうちに、少し落ち着いてきた。
猫舌な俺をよく知っている和谷の心遣いだ。
ほろ苦い香りが鼻先を擽り、高まった気持ちを安らかにさせてくれる。
「どうだ?落ち着いたか?」
そう心配そうに顔を覗き込んできた和谷に「ありがとう」とちいさく礼を言う。
すると面食らったような顔して
「気持ちワリ〜!お前が謝るなんて!」
と笑顔でからかってきた。
ほっとしたぞって顔に書いてある。こいつはいつもこんな俺に優しく接してくれる。
和谷なら受けとめてくれる、そんな考えがあったからこそ自然と足が向かったんだろう。
「そんなことより一体どうしたんだ?オマエ何であんなにずぶ濡れだったんだよ?」
「うん……」
コーヒーに浮いていた氷は小さな泡を遺して消えていた。揺れる水面を見つめながら記憶の糸を辿っていく。
和谷になら…話してもいいかな…



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル