合い鍵 1 - 3
(1)
10時までのバイトを終えてアパートに帰ると、珍しくアキラが俺の帰りを待っていた。
点いたり消えたりする蛍光灯の下、背中を壁に凭れさせて俯いている。
階段を上がる前にそのはかない姿が映ったから、俺は全速力で階段を駆け上がっていた。
「アキラたん……!」
叫ぶとアキラはぱっと顔を上げ、月並みな表現だが花が咲いたように微笑む。
「尚志さん」
「駄目じゃないか、こんな遅くにひとりで外にいたら! 中に入っとけっていつも言っ
てるだろ」
つい、咎めるような口調になってしまった。随分前に合鍵を渡しているのに、アキラは
決して俺の不在中に部屋の中には入らないのだ。
「ごめんなさい」
怒っているわけではないのに、アキラはしょんぼりと肩を落としてしまった。
「謝らなくてもいいよぅ。ゴメンね、キツイ言い方になって」
情けないが、俺は慌てて謝った。
最近はこのあたりも物騒だった。そこら辺の女の子よりもはるかに美しく、傅きたい
ような容貌や雰囲気をアキラは持っている。いつ誰かに狙われるとも限らないのだ。
「鍵、なくした? もう一つ作ろうか?」
「いいえ。鍵は……持ってます。ボクのお守りだから……」
そう言って、アキラは胸元を押さえた。そして、首にかけた革紐のようなものを取り
出して見せる。その真ん中に、俺のアパートの鍵がかかっていた。
「ここに、いつもぶら下げているんです。恥ずかしいから、尚志さんが目を離した
隙に……見られる前にポケットの中にしまっちゃうんですけど」
(2)
確かに、今まで散々アキラの服を脱がせたりしたがそのようなものを見たことがなかった。
「アキラたん」
「対局をね、したりするでしょう。ボクもたまには緊張することだってある。そういう
ときにこの鍵を見て、尚志さんの顔を思い出して。…そうすると頑張れるんです」
鍵を握り締めるその頬が上気しているように見えるのは、俺の気のせいではないだろう。
そして、俺はそんなアキラを見て発情するのだ。
「こんなところで立ち話も変だから、中に入ろうか、アキラたん」
「ええ」
「……その鍵で、開けてみなよ」
戸惑いながら頷くアキラは、目で『いいの?』と訊ねてくる。今更何を遠慮しているの
だろう。俺は可笑しくなった。
「午後からずっと締め切っていたから、中は暑いだろうなあ」
「もう汗でべとべとです」
「すぐシャワーを浴びて、スイカでも食べようね」
昨日も一昨日も中はサウナのようだった。想像するだけで汗が出てくる。
アキラは首から革紐を外すと、緊張した面持ちで手にした鍵を慎重に鍵穴に差し込んだ。
「少し固くなってるだろ? 押し込むように回したら開くから」
鍵はただ持っているだけじゃ駄目なんだよ。お守りと言われて嬉しくないわけがないが、
使わなきゃ意味がないんだ。
アキラがゆっくりとドアを開ける。そうすると予想していた通りの熱気が内部から流れてきた。
彼の背を押すようにして中に入り、ドアを閉める。手探りで電気をつけると、いつもの俺の
部屋が見えた。
「あのね…一人でドアを開けて、他の人の痕跡を見つけるのが怖かったんです」
アキラが照れたように白状するが、とてもじゃないが俺は照れるどころではなかった。
(3)
「なに?」
それはどういうわけだアキラたん。
俺がアキラを蔑ろにして浮気でもしていると思ってるのか?
「疑うわけじゃないんだけど…尚志さん、とってもカッコイイから……」
俺の気分を害したと気づいたのだろう、アキラの声はだんだん小さく尻すぼみになっていく。
「……怒りましたか?」
「……怒った」
「ごめんなさい」
さっきは、アキラが謝ったらすぐにフォローした。だが、今回ばかりは許せないと思う。
浮気の疑いをかけられて、ここで許したら俺は甲斐性なしの男になるだろう。
「浮気を疑うなんて……俺の愛をわからせる必要があるな。アキラたん、今日はシャワーも
風呂もなしだよ」
アキラが驚いたように顔を上げる。その首筋に流れるのは紛れもなく汗だった。
「さっきすぐシャワーを浴びさせてくれるって…」
「だーめ。俺の愛を疑った罰を受けるんだ」
恨めしげに見上げるアキラの唇を吸い、首筋の汗を掬う。俺を待つ間に相当暑かったのだろう、
アキラはシャツのボタンを二つも開けていた。
汗はぬめりを帯びて俺の指をスムーズにシャツの中に滑らせる。
「服を脱いで。全部だよ」
アキラが悔しそうに唇を噛む。そしてあの極上の瞳で俺を睨みつける。
だが、それを拒まないことを俺はもう知っていた。
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