光彩 1 - 3


(1)
ゆっくりと名残惜しそうに、唇が離れた。
ヒカルは、どんな顔をして相手を見ればいいのかわからず俯いてしまった。
彼が自分に何を望んでいるのかは、おぼろげながらもヒカルにもわかっていた。
ヒカルだって、友人たちとその手の話題を口にしたことがないわけではない。
ただ、単語を知ってはいても、その言葉の持つ深い意味までは理解してはいなかった。
未知の行為に対する恐怖ととまどい、
そして彼に対する好意がない交ぜになってヒカルの頭を混乱させた。
自分が今どんな風に彼には見えているのか?
自分の顔色は青いのだろうか?それとも赤いのだろうか?
どうすればいいのだろうか?
考えれば考えるほど混乱し、ますますヒカルは顔を上げられなくなった。


「ごめん・・・。いやだった?」
自分よりも少し背の高いアキラがかがむようにして、ヒカルの顔を覗いてきた。
瞳がぶつかった。
まっすぐ見つめてくる瞳。
恥ずかしくて、ヒカルは思わず目を閉じてしまった。
アキラが自分の頬に触れかけた手を止めた。
しまった!今の態度はいやがっているように見えただろうか?
ヒカルは大慌てで首を激しく振った。相変わらず顔は俯いたままだ。
アキラが自分を見つめているのがわかる。
どうしようか・・・。どうすればいい?
ヒカルはそっとアキラの手を握った。
体がふるえる。
ヒカルにはそれが精一杯だった。

アキラがヒカルの手を握り返す。
「帰ろうか。」
俯いたままのヒカルに声をかけた。
アキラは、ヒカルの手を引いて歩き出した。
ヒカルは、アキラの一歩後ろをついていった。


(2)
アキラは大人受けのいい子だった。
物心ついたときから大人に囲まれて育ってきたので、自然と礼儀作法が身に付いたのだ。
それに引き替えヒカルは、言葉使いは悪いは礼儀はなっていないはで、
しょっちゅうお小言を受けていた。
注意されても、本人は悪びれず「ごめんなさい。」と舌をぺろっと出して謝る。
その様子から見ても本人は全く気にしていないのがわかる。
周りの大人たちは「しょうがない奴だ。」と言いながらも、
口元に笑みが浮かぶのを隠し切れない。
アキラもそんなヒカルをほほえましく見ていた。

ヒカルはアキラにとって初めての友人だった。
親しい人は大勢いるが、友人と呼べるのはヒカルだけだった。
年の近いものはアキラの大人びた雰囲気に圧倒され、
声をかけるのをためらった。
学校の級友たちでさえアキラに近づけずにいた。
アキラはそれを気にしたことはなかった。
そんなことより、囲碁の方が大事だった。


出会ったときのことを思い出す。

初めて自分を負かしたヒカルにアキラは一目おいていた。
それなのに次にあったときは囲碁を侮辱した。
頭にきた。そんな相手にアキラは完膚無きまでに叩きのめされた。
自分が不甲斐ないのだと努力した。そして、再びあったときの彼は・・・。
アキラはヒカルを見限った。
自分が見限った相手を周りはみんな気にする。
見込み違いだと思いながらも、自分も心のどこかでヒカルを気にしていた。

ヒカルのことを考えると頭に血が上る。
自分が冷静でなくなることは自覚している。
普段の自分ではあり得ないことだった。
初めてあったときからそうだ。
ヒカルに腹を立てるからそうなるのか。それともほかに理由があるのか。
自分を感情的にさせるのはとにかくヒカルだけだった。
見捨てておきながら、気になってしょうがなかった。
自分はヒカルに振り回されていると思った。

あの対局の後、ヒカルは知人から友人へと昇格した。

そして今・・・自分はヒカルとの関係をどうしたいのだろうか。

心は決まった。


(3)
ヒカルを囲碁の世界へ導いたのは佐為とアキラだった。
師匠の佐為は、海へと続く大きな川の流れの様であった。
緩やかに、優しく時に厳しく海へと送り出してくれた。
アキラは、星だった。北極星の様な・・・。
道しるべであり、目標だった。
いつでも見上げればそこにアキラの背中が見えた。

アキラは自分と同じ年とは思えない相手だった。
礼儀正しく冷静で、いつもうるさい自分とは大違いだった。
そうかと思えば、案外気性は激しく、炎のように自分を責め立てた。
ヒカルは、アキラの囲碁にかける情熱の凄まじさに圧倒されながらも、
うらやましく思っていた。
自分もいつかアキラの様になりたいと思っていた。

そのアキラが自分を好きだと言う。
ヒカルはまだ子供だった。
もちろんアキラを好ましく思っていることに間違いはない。
でもその感情の意味は分からない。
今までならわからないことは、佐為に何でも相談できた。
佐為は大人で、お互いにふざけあっていても、
それは自分にあわせてくれていたのだと、ヒカルにもわかっていた。
もう佐為はいないのだ。
自分はちゃんと決別したのだ。それでも・・・。
「佐為・・・あいたいよぉ」
口に出してみた。
涙が出てきた。



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