迷都 1 - 3
(1)
渋谷の雑踏の中をヒカルは一人歩いていた。
気晴らしに新しいスニーカーか服でも買いに行こうと思ったのだ。
だがそれが間違いであることに気付き、ヒカルは焦っていた。
ヒカルの身には最近異変が起こっている。はっきりとはわからないが、
常に誰かに監視されているような気がするのだ。それは棋院にいても
自宅にいてもどこでも感じることなので、いっそ人ごみに紛れようと
わざわざ渋谷に来たのだった。
それなのに自分の身に危険がより近づいた気がする。ヒカルは足早に
この雑踏から抜け出そうとした。スクランブル交差点を渡ろうとする。
しかし赤に変わってしまい、そこは信号待ちでたくさんの人で溢れて
いた。いつもより赤信号が異様に長く感じる。ヒカルはだんだんいら
だち始めた。
ふと尻をぎゅっと誰かにつかまれた。驚いたヒカルは振り向き、犯人
を見ようとした。だがちょうど信号が青に変わり、人々の波がどっと
押し寄せてきたので、犯人が誰なのかはわからなかった。
ヒカルは泣きそうになりながら、つかまれた尻をなでた。
痛みと悔しさでいっぱいだった。
(2)
トボトボと駅に向かい切符を買うと、ヒカルはホームへの階段を上った。
ホームはたくさんの人であふれていた。皆楽しそうに話したり、携帯片手に
メールを打ったりしている。
それを見てヒカルは最近自分が笑ってないことに気づいた。昔のように
遊ばなくなったせいもある。ヒカルは久しぶりに小学生の頃を思い出した。
「進藤か?」
ちょうどその時、久しぶりに聞く懐かしい声にヒカルは驚いて振り向いた。
「加賀?」
そこにはビリケンに派手なアロハとビンテージもののジーンズという
いでたちをした加賀が立っていた。レイバンのサングラスが必要以上に
加賀を不良っぽく見せる。
ヒカルは一瞬身をすくめた。
「どうした一人でポツンとして。何か暗いぞ?」
暗いと言われたヒカルは、無理矢理笑顔をつくった。
「何でもねーよ。それより加賀の方こそどうしたんだよ」
「あ? オレ? ナンパ〜」
加賀はエロオヤジのようにニヤニヤする。
「ナ…ナンパ!?」
ヒカルは驚いて顔を赤らめた。
「冗談だよ、バーカ。単に暇だからぶらついてただけだ」
加賀はそう言うとタバコをくわえ、火をつけようとライターを探した。
「あれ、ねぇな。進藤、火かしてくれ」
タバコをくわえたまま、加賀はヒカルに顔を近づけた。
タバコの匂いがヒカルの鼻をかすめる。瞬間、ヒカルはその懐かしい
香りに目を閉じて思い出に浸った。
すると唇に柔らかいものがあたるのを感じる。やけにタバコくさい。
ヒカルはまさかと思い、目を開けた。
そこには加賀の顔があった。
(3)
「え? なんで…」
ヒカルは唇を拭きながら後ずさった。
白昼堂々公衆の面前でキスされたことにヒカルの頭は混乱した。
「だっておまえ目ェつぶるんだもん。そんな顔を目の前にして男が
我慢できると思うか?」
加賀はまるで自分が正しいとでも言うようなふてぶてしい態度をとる。
「ただ目を閉じただけで、なんでキスされなきゃいけないんだよ!」
ヒカルはまわりに聞こえないよう小声で怒鳴った。
「まあそう怒るな。久しぶりに会ったらおまえかわいくなってんじゃん。
そらキスくらいしたくなるさ」
加賀はオヤジのように笑った。
「加賀のバカ! もう知らない」
ヒカルはそっぽを向いた。ちょうど電車がホームに到着する。ヒカルは
加賀をおいて電車に乗り込んだ。
「おい進藤、悪かったって。そう怒るなよ」
さすがに悪いと思ったのか加賀は謝りながらヒカルに続いて乗った。
けれども加賀と地元までずっと一緒だと思うと、ヒカルの怒りは
おさまらなかった。
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