人形の夢 1 - 3
(1)
――――夢見ていたのは、愛らしい少女の笑顔だった。
降りてきた闇の中、彼は息を潜める。
遠ざかる御主人様の気配に、ようやく強張っていた体から力が抜ける。
今日は片足を縄で括られて、無理矢理脚を開かされた。
シャッターの音が鼓膜の奥で蘇る。
これが日常。
彼は、そっとため息を漏らす。自嘲めいた響きが闇を支配する。
こんなはずではなかった。
愛らしい少女のもとで、ママゴトの相手を務めるつもりでいた。
あるいは、恋人を演じるつもりでいた。
それなのに、彼に与えられた役割は、奴隷だった。
「プレゼントなので、リボンをかけてください」
レジで店員にそう告げた男が、自分の御主人様になろうとは、彼でなくとも考え及ばなかったことだろう。
男は、箱から彼を取り出すと、時間と手間を掛けて、彼の梳けるような金髪を前髪だけ残し、黒く染めた。
それから男は、細心の注意で、彼の髪にハサミを入れた。
「ヒカルたん! (;´Д`)ハァハァ 」
頬を染め、目を輝かせた男の表情を、彼はいまでも鮮明に思い起こすことが出来る。
彼は、そのとき嬉しかった。
男が、心から自分を求めていることが感じられて、本当に嬉しく思ったのだ。
箱の中で夢見ていたような少女でこそなかったが、この人のもとで自分は幸せな毎日を過ごせると、彼は信じて疑わなかった。
だが、夢見た幸せが、儚く砕け散るまで、たいして時間は要らなかった。
男は、彼の髪を優しく撫でると、手作りと思われる服を取り出した。
「妹に縫ってもらったんだよ。ヒカルたんのためにね」
柔らかい布地で作られた衣装に袖を通す時、彼はその後に待ちうける地獄にまだ気づいてはいなかった。
黄色いシャツをまとった彼を、男はうっとりとした眼差しで見つめる。
その視線を全身で受け止めながら、彼はまだ幸せの中にいた。
汚れを知らない彼は、男が他にどんな衣装を準備してくれているのかと、胸を高鳴らせていた。
だが、そんな彼に男は囁いたのだ。
「素敵だよ、ヒカルたん。さあ、記念撮影をしようね」
(2)
彼は自分の耳を疑った。
自分はまだ上着しか着ていない、こんな格好で写真を撮られるのは、正直言って恥ずかしかった。
だが、彼には抗う術がない。
気がつくと、碁盤を抱えるような姿勢で、写真を撮られていた。
それだけではない、剥き出しの下半身を半ば隠すようなポーズで、何枚も写真を撮られていた。
「ああ、(・∀・)イイ!! ね…ヒカルたん……ハァハァ」
彼は涙を持たずにこの世に生れ落ちた。
だが、心の中で密かに偲び泣いていた。あまりの恥ずかしさに……。
――――夢見ていたのは、愛らしい少女の笑顔だった。
だが、その恥辱ですら、その後に待ちうける数々の試練に比べれば、取るに足りないものだった。
赤い毛糸をロープに見たて、縛られたこともあった。
犬のように這わされ、背中に蝋燭を垂らされたこともあった。
ダンボールで作った三角木馬にまたがらされ、細い足首に錘を吊るされたこともあった。
名画を真似て、貝殻の上に立たされたこともあった。
しかし、彼がもっとも耐え難く思うのは、その全てを写真に撮られ、ネット上で曝されていることだった。
(しかも、今日はあんな姿まで……)
彼は、闇の中やるせない想いで自分の肩を抱いていた。
(あんな……)
男は、挿絵なんだよと、笑って教えてくれた。
いままでになく大胆なポーズで、普段人目に触れぬ場所にマッチ棒を突き込まれ……。
(あんな、あんな……)
彼の脳裏に、数刻前の出来事があざやかに思い出される。
(あん…な……、ひどい………)
そう心のなかで呟いた時、彼の中でぞくりとざわめく感覚があった。
それは呼び水だ。赤い縄が、肌を滑った感触までが思い出される。
(ひどい…こと……)
(3)
男の手が、自分に強いる様々な痴態。
その全てを彼は記憶していた。
それも無理はなかったろう。
この闇と、男の与えてくれるものだけが、彼の全世界だったのだから。
(御主人様だけなら良いのに……、他の人に見せなければ……まだ……)
怪しい感覚が彼をゆっくりと侵食していく。
彼はそれに飲みこまれるように、意識を手放していった。
明日……、男が――彼の御主人様が――、この闇の中から彼を解放するまで、彼は夢を見る。
それは甘美な夢だ。
愛と執着、そんな言葉で縁取られた、オマージュだ。
その夢の中では、彼はいくらでも声を出すことが許されている。
御主人様のひどい仕打ちに、涙を零し「許してください」と、哀願することさえできるのだ。
男の手が、彼を再び光の下に導く時、その夢は泡沫のように消えてなくなる。
そして、彼の時間はまた始まるのだ。
ヒカルと名前を与えられた、人形の。
−−END−−
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