パーティー前夜・ヒカルST 1 - 3
(1)
夕食の時だった。
「明日はヒカルの誕生日ね」
美津子は少々感慨深げに言った。
「どうしたんだ、急に」
正夫はいつもと様子が違う美津子に気づき声をかける。
ヒカルがプロ棋士になってからというもの、研究会だの付き合いだので夕食を共にする機
会が減り、いつのまにか二人で食事をするのが当たり前になった。それも手伝ってか、美
津子は不安で胸がいっぱいだった。
「今日の昼間、風が気持ちよくてついうとうと眠ってしまったの。そうしたら変な夢を見
ちゃって…」
「変な夢?」
真剣な顔で何を話すのかと構えていた正夫は、夢の話かとため息をついた。
「あなた、呆れて聞かないでくださいよ。私もう本気で心配なんですから」
美津子はおろおろする。
「落ち着きなさい。で、どんな夢なんだ?」
美津子は深呼吸をし、気持ちを落ち着けると話始めた。
「実はヒカルのことなんです。ヒカルが言うんですよ、今までありがとうって。そして誰
かと手をつないでどこか遠くへ行ってしまうんです」
「それのどこが心配なんだ?」
正夫はキョトンとした顔をする。
「心配じゃないですか。だって誕生日の前日にですよ? もしかしたら明日結婚しますと
か言って挨拶に来るかもしれないじゃないですか」
「ヒカルは男だからまだ結婚はできないぞ。あと一年たたないとな」
正夫は冷静に返した。
「でも…でも…、とにかく心配なんですよ。だって…」
その時玄関の鍵を開ける音がする。ヒカルが帰ってきたのだ。
美津子は飛ぶように玄関へと走った。
(2)
「ん? どうかしたの?」
いつもと違う母親の様子にヒカルは訝しげな顔をした。
「あ…えっと、おかえりなさい。今日は夕飯食べるの?」
「う〜ん、いいや。塔矢と食べてきたし」
塔矢という言葉を聞いた途端、美津子は目を丸くした。
「そ…そう」
考えすぎだと自分に言い聞かせ、美津子は食卓へ戻ろうとした。
「あ、そうだ。お母さん、明日オレ塔矢ン家に泊まるから」
「え゙ぇえ゙え゙え゙ーーーっ!!!」
母親の突然の叫び声に、ヒカルは耳をふさいだ。
「何だよ! もう何度も塔矢の家に泊まってるのに、そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「そ、そうだけど…。ホラ、明日はヒカルの誕生日じゃない。家族で祝おうと思っていた
からね、ちょっと驚いちゃったのよ」
それを聞いてヒカルはすまなそうな顔をした。
「ごめん。ちょうど連休と重なったから、オレの誕生日と囲碁の勉強会を兼ねて皆で塔矢
の家に泊り込みをしようって、いつのまにか決まっちゃってさ」
「皆? 塔矢君の他にもいるのね。それなら安心だわ」
「え?」
美津子の安心という言葉を聞いて、ヒカルは一瞬焦った。女性というのは勘が鋭いと言わ
れているが、自分の母親も例外ではなかったのかと思うと、なんだか気まずくなった。
「お…お母さん、なんの心配してんだよ。ハハハ。あ…オレ風呂でも入ろうかな」
そう言ってヒカルは風呂場へと逃げ込んだ。その場にいたらアキラとのことを全て見透か
されてしまう気がしたからだ。
その後ろ姿を美津子は寂しげに見つめた。
脱衣所に入ると、ヒカルは洗面所の鏡を見た。そしてシャツをめくった。そこにはできた
ばかりのキスマークがあった。
「今日に限ってアイツこんなのつけやがって。見つかったらどうすんだよ、バカ」
ヒカルはそれが消えないか擦ってみた。だが赤くなるだけで何も変わらないとわかると、
ヒカルはため息をついた。だが口元は笑っていた。その痕がアキラとの情事が夢じゃない
ということをヒカルに思い出ださせていたからだ。
(3)
「さっきの叫び声はなんだったんだ?」
正夫はTVを見つつ、美津子に問う。
「あ、いえ。明日ヒカルが塔矢君の家に泊まるっていうから」
それを聞いて正夫は無関心な返事をした。そんな態度に美津子はため息をつく。
「あなたはヒカルが男の子だからって、ちょっと無関心すぎやしませんか」
「おまえが過保護なだけじゃないのか」
「もういいです!」
美津子はそう怒鳴ると食器を片付け始めた。
「なぁ、何をそんなに心配しているんだ。ヒカルが友達の家にただ泊まるだけだろ?」
「本当にただ泊まるだけならこんなに心配などしません」
美津子の言葉に正夫は顔をしかめる。
「どういうことだ」
美津子はヒカルのいる風呂場の方を見て暗く重い声で言った。
「私見たんですよ、さっき話した夢の中で」
そして正夫と向き合うように食卓につくと小声で話した。
「ヒカルが手をつないでいた子、おかっぱだったんです。あれは間違いなく塔矢君だわ」
それを聞いた正夫は唖然とし、くだらないとTVに目をやった。
「ちょっとあなた、息子のピンチなのよ。夢とはいえ正夢になる可能性だってあるんです
から、真剣に聞いてくださいよ」
美津子は嘆いた。だが正夫はハイハイと空返事をするだけだった。
その頃、ヒカルは両親がそんな話をしているとも思わず、明日のためにと丹念に体を洗っ
ていた。その幸せぶりは楽しそうに鼻歌を歌っていることからもわかるだろう…。
<終>
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