ちさとの抱擁 1 - 3


(1)
―――佐為、どこに行っちまったんだよ…オレずっとずっと探してるのに…。

佐為が消えて1ヶ月、ヒカルは鬱々とした日々を送っていた。
佐為との思い出の場所を考えうる限り訪れてはみたが、彼の姿はどこにもなかった。
ヒカルは願懸けをした。囲碁断ち…自分で碁石を握ってしまったら、
佐為はもう帰ってこない気がした。ヒカルには、そう信じる以外最早手段はなかった。

佐為と一緒に来た公園で、ヒカルはブランコに腰掛けてぼんやりと過ごしていた。
…ここで、佐為はオレに石の持ち方を教えてくれたっけ。でもオレは全然ダメでさ。
佐為と過ごした日々が、次から次へと想起される。そしてまた悲しみが蘇るのだ。
…ずっと一緒にいたかったのに、どうしてオレの傍にいてくれないんだよ。
また涙が出てきそうだった。誰もいない公園、大声で泣いてしまおうか?
その時だった。ヒカルは自分に近付いてくる気配を感じた。また和谷が来たのか?
そう思ったが、掛けられた声は彼のそれより高く、また無邪気で明るかった。

「お兄ちゃん…やっぱり囲碁のお兄ちゃんだ。こんなところで何してるの?」


(2)
ヒカルは最初、声の主の少女が誰だか思い出せなかった。
彼女に会ったのは2年前…佐為と共に訪れた骨董店で困っていた少女を、ヒカル達が(主に佐為が)
手助けしたことがあった。名前は…良く覚えていなかった。聞いていないのかも知れない。
そこまで思い出すのにヒカルは彼女の顔をまじまじと見つめてしまったので、少女は少し勘違いをしたようだ。
「あ、覚えてないのかな…あのね、2年前に骨董のお店で会ったんだけど…」
「あ、うん、覚えてるよ…えっと、名前何だっけ?」
「ちさと。私…ちさとって言うの。お兄ちゃんは?」
「オレは、ヒカル。進藤ヒカル…」
少女を良く見ると、髪型こそ変わっていなかったが、2年前に比べて背は随分と伸びていたし、体付きも幾分
丸みを帯びて来たようだった。私服だったし鞄も持っていなかったので、まだ小学生なのか中学生になった
のかはハッキリしなかったが、ヒカルには大人っぽくなった少女の雰囲気が眩しく感じられた。
「ヒカルお兄ちゃん、あの時は本当にありがとうございました。あの花器、今でも大切にしているよ」
「あれは…」
あれは、オレが助けたんじゃない。佐為がそうしようって言ったんだ、佐為が打った一局だった、佐為が…。
佐為は少女を「葵の君」と呼んだ。佐為の生きた時代に仲の良かった少女とうりふたつだと言う。
だから、佐為は彼女の助けになりたいと言ったのだった。ヒカルは言われた通りに打っただけだ。
「あれは…オレがやったんじゃないよ…オレは礼を言われる筋合いは、無いんだ…」
「えっ?何言ってるの、お兄ちゃん…ヒカルお兄ちゃんがお爺ちゃんの花器を取り戻してくれたのに…」
少女の戸惑いに、ヒカルは俯いてしまう。佐為の存在を説明できない苦しさに、胸が痛んだ。


(3)
「ヒカルお兄ちゃん、元気ないね。あの時のお兄ちゃんは、とっても元気だったのに」
あの時は佐為がいた、今はいない…そう言えたら、どんなにこの胸の痛みは楽になるだろう。
「何か、悲しい事があったの…?」
「……うん、そうなんだ…」
少女の心配そうな問いかけにも、そう頷くしかない。
「…会いたいのに、会えないんだ。いなくなっちゃったんだ。オレ…嫌われちゃったのかも知れない…」
また目元が熱くなってきた。しかし少女の前で泣くわけにはいかない、男としては、絶対に。
そう思うのだが涙腺は言う事を聞かず、ヒカルの膝の上に涙をひとつ零した。
「ヒカルお兄ちゃん…」
ブランコに座ったままのヒカルを、少女はその胸に抱き締めた。頭を抱えるようにして、柔らかく髪を撫でる。
「お母さんはね、私が悲しいときや泣いちゃう時は、いつもこうしてくれるの」
「…ちさとちゃん」
「こうすれば、他の人には泣いてるところ見られないでしょ?だから、お兄ちゃんも泣いて良いよ」
その優しい言葉に、ヒカルの瞳からは堰を切ったように涙が溢れ出した。声を殺して泣くヒカルに、
ちさとは優しく、ゆっくりと声をかけた。まるで子守唄のような暖かさだった。
「私もね、囲碁を覚えたんだよ。お兄ちゃんが助けてくれた囲碁。とってもとっても楽しいね」
ヒカルは、少女の独白のような言葉に応える事はできなかった。少女の何もかも、佐為を思い出させた。
「囲碁を打ってる時のヒカルお兄ちゃん、すっごくかっこよかった。目がキラキラしてて、輝いてた」
佐為がいたからだ、佐為と一緒に打ったからだ。今はもう打てない、佐為がいないから打たない…。
「早くお兄ちゃんが元気になりますように。また囲碁を打ってるかっこいいお兄ちゃんに、会いたいから」
少女の祈りが、ヒカルを包んだ。少女の僅かなふくらみを帯びた胸で泣きじゃくりながら、佐為を想った。
佐為、お前も葵の君にこんな風に抱かれたのか?頭を撫でて貰いながら優しい言葉をかけられたりしたの?
佐為…佐為…もしかして、葵の君に会いに行ってるのか?早く戻ってきてくれよ、佐為…。
ヒカルの心の声は誰にも届く事はなく、その涙は少女の服に吸いこまれていった。

<おわり>



TOPページ先頭 表示数を保持:

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!