碧の楽園 1 - 4


(1)

今日は久しぶりに碁会所で、アキラとヒカルは一局打った。
打ち始めた時は碁会所も閑散としていたが
終局の頃にはギャラリーも増え、賑やかになっていた。
その場で軽く検討をしたが、周りが賑やかすぎて話が進まず、
結局その場は一旦切り上げて、アキラの家で続きを再開することになった。

塔矢邸への道すがら、検討の途中ではあったが、碁盤を離れていると
自然と話題は他愛ない日常の話になった。
ヒカルは、あかりにせがまれデパートで買い物に付き合った話をした。
「あいつ、彼氏が出来たらしいんだけど、プレゼントが選べないから助けて、
 とか言ってきてさー。
 でも、デパートなんて行くの久しぶりだし、なんか居心地悪かったー。」
ヒカルは頭に手をやり、ばつ悪そうに笑った。
アキラはふと、ヒカルの周りの空気に心地よい違和感を感じた。


(2)

アキラの部屋は、殺風景にさえ思える程に物がない部屋だが
唯一、書棚には沢山のファイルが並んでいた。
ヒカルは、その中から自分の名前が貼られたファイルを手に取った。
中には棋譜が納まっていた。随分たくさんあるようだ。

「おまたせ」
アキラがカップを二つ持って部屋に入ってくる。
「サンキュ。ね、塔矢、これ……?」
「あぁ、棋譜?」
「俺の棋譜って、こんなにないと思うんだけど?」
アキラと違いヒカルは、公式戦で棋譜が残るほど上位の予選までは
まだ食い込めていない。

「ボクと打ってるだろ。うちとか、碁会所とかでさ。」
「えー、そんなんもいちいち取ってるのかよ!」
「当たり前だろう。それよりキミは棋譜残してないの?」
アキラは持ってきたカップを置き、ヒカルのすぐ隣でページを繰る。
ほら、この間のやつだって、と開かれたページは、
確かに前回手合わせしたときのものだった。
この分なら、さっき碁会所で打ったやつも後で足されるに違いない。


(3)

「進藤、なんかいつもと匂い違うね。シャンプー変えた?」
「あ、分かった?実は香水つけてみたんだけど・・・どう?」
「どう、って……?香水って?どうした?」
アキラは驚きで、一瞬目をしばたたかせた。
「うんまぁちょっとさ。それより、どう?俺結構気に入ってんだけど」
ヒカルは満面の笑顔でアキラの顔を覗き込んだ。その瞳は嬉しそうに輝いている。
本当に気に入ってるんだな、とアキラは嬉しくなり、笑顔を返した。
でもなぜ、香水をつける気になったんだろう?
一瞬のうちにいろいろな可能性が逡巡した。
アキラは笑顔のままだったが、ヒカルはアキラの瞳の混乱を見て取った。
アキラの両頬に手を伸ばし、アキラの額を自分の額に引き寄せた。
「いつ、気がついた?」
アキラは、ヒカルからはっきりと立ち上る、慣れない香りに少しむせた。
「今さっき。でも、うち来る途中でなんかちょっと違和感あったんだけど。」
「打ってるときは、気づかなかったんだ…?」
ヒカルの口調はさらに穏やかだった。アキラは軽く頷いた。


(4)

「塔矢、これ、この匂い、俺達だけの秘密な。」
「秘密?って??」
「うん・・・香水にもいろいろあって、これは、俺と、俺の腕の中の人にしか匂わない
 オレの腕の中の人のためのもの、だから。」
ヒカルは、あかりにせがまれ連れていかれたデパートで見た、
クレオパトラか楊貴妃のような迫力の、オリエンタル美人の店員の言葉を
聞いたままになぞった。

「腕の中の人、って、ボクの他に何人居るのかな・・・?」
アキラはすこし意地悪しようと思い、わざと不安げに囁いた。
「なんだよ、それ・・・」ヒカルはぴくりと身を堅くした。
「塔矢のほかに居る訳ないじゃん・・・!これだって、塔矢のために選んだんだぜ?
 でも、塔矢が嫌なら、もうつけないよ」

アキラは返事の代わりに、ゆっくりとヒカルを抱きしめて顔を埋め
深呼吸してヒカルの香りを確かめた。
それは甘くてすがすがしく、それでいてしっかりした花の香りで、
遠い南国の、穏やかに澄んだ青空や海を思わせた。
進藤らしい匂いでもあり、らしくない匂いでもあったが
暖かさを感じさせる、心地よい香りだった。
香りに引き寄せられるままに、アキラはヒカルにキスをした。
ヒカルの体温が、いつにも増して暖かく、心地よかった。
やさしく何度もキスを重ねながら、瞼の裏に、碧の楽園を垣間見た。



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