痴漢電車 お持ち帰り編 1 - 4


(1)
 「ゴメン………なんか気にさわること言った?」
「わかんないんだったら、謝るな!バカ!………オ…オマエなんか…キライだ……!」
せっかく笑ってくれていたのに、また、泣かせてしまった。
 シクシクと静かに泣かれるのも堪えるが、こんな風に大泣きされても、どうしていいのか
わからない。
 恐る恐る髪に触れてみる。ヒカルは手を払わなかった。そのまま、ゆっくり撫でてみた。
柔らかくてふわふわしている。
『………気持ちいい……進藤って髪も柔らかいんだ………』
初めて触れたヒカルは、どこもかしこも柔らかかった。ただ、グニャグニャと柔らかいのではなく
その柔らかい肌の下にしなやかな筋肉を感じた。
 蹲っているヒカルに被さるようにして髪を撫で続ける。ふと、目を落とすとヒカルの白い
項が目に入った。ほっそりとして、艶やかで、思わずかぶりつきたくなってしまう。
―――――どうしよう………目が離せない………
何もしないと約束したけど、だんだん自信がなくなってきた。

 舐めてみたい……押し倒したい……入れたい……そういう邪なことで頭がいっぱいだった。
そのアキラの耳に、ヒカルの泣きじゃくりながらアキラを非難する声が聞こえてきて、
ハッと我に返った。
 「バカ、バカ、バカ………大キライだ……」
「ゴメン」と、また言いそうになって、慌てて言葉を呑み込んだ。実際、自分の何が悪かったのか
アキラにはまだ、わかっていなかった。
 電車での狼藉は確かに嫌われても仕方がない。だが、それに対しては、ヒカルは口ほど怒ってはいない。
それはわかっている。
 それが、金魚を見た途端ヒカルの態度は一変した。おそらく自分の言った一言が気に
入らなかったらしい。
ヒラヒラして可愛い―――――ほめたつもりだ。それのどこがヒカルの癇にさわったのか
わからない。


(2)
 「………………帰る……」
出た………!ヒカルの最終兵器だ。これを出されるとかなり辛い。たいてい、一週間ほどで
機嫌は直るが、この前は四ヶ月も会ってもらえなかった。今回は下手をすると、一年くらい
会えないかもしれない。
 「ちょ、ちょっと待って!進藤!」
ヒカルは、アキラのジャケットを脱ぎ捨てた。そのまま、フラフラとおぼつかない足取りで、
玄関から出て行こうとするヒカルの腕を慌てて掴んだ。
「ヤダ!離せよ―!」
腕を振り払おうと、ヒカルが身体を捩った。
ビリッ――――――――
派手な音とともに、セーラーの袖がヒカルの腕から抜けた。
「あ………!」
「ゴ、ゴメン………!」
 二人は暫くアキラの腕の中に残された薄い袖を見つめた。
「…………………………もう、やだ………」
ヒカルは、また、シクシクと泣き始めた。相当、気持ちが昂ぶっているらしい。些細なことに
過敏に反応を示した。それにしても、よくこんなに涙が出るものだ。そのうち、目まで溶けて
流れてしまうのではないだろうか?
 感心しながら、ヒカルを見つめた。潤んだ大きな瞳と、ポロポロと頬を流れるきれいな涙。
裂かれたセーラー服の三連コンボ。
 こんなヒカルを目の前にして、手を出さずにガマンしろと言うのか。自分は神に試されていると
思った。


(3)
 「帰るんなら、後で送ってあげる。とりあえず、お風呂に入って着替えよう。ね?」
ぐずるヒカルを無理矢理家の中に上げ、奥の部屋へと連れて行った。

 「紅茶でいいかな?」
彼は黙って俯いている。漸く、気持ちが落ち着いてきたらしく、涙は止まっていた。
 ヒカルは行儀よく座卓の前で、正座しているのだが…………今度は、こっちが落ち着かない。
アキラは立ったまま、ヒカルの姿を眺めた。柔らかい髪や、細い首筋、頼りない肩……更に
視線を下に落とす。座卓の陰に隠れているスカートから覗く太腿が眩しい。
 視線を感じたのかヒカルが顔を上げて、アキラを怪訝そうに見返した。視線がかち合う前に
背中を向けて台所に駆け込んだ。

 「ケーキ食べて待ってて。お風呂沸かしてくるから……」
ヒカルの前にケーキののった皿を置いた。一つだけではない。もらったケーキを皿にのるだけ
全部出した。ヒカルの顔がパッと輝いた。
「オレ……モンブラン好きなんだ。イチゴのショートケーキも好きだけど………」
ケーキの山を前に悩んでいる。
『さっきまで泣いていたのに………可愛いな……』
「全部食べてもいいよ。」
「た………食べ物なんかでつられないからな!」
アキラは苦笑した。確かに餌付けできればと、少しは考えていたけれど………ヒカルは
そこまで単純ではないらしい。少なくとも、本人はそう思っている。
 彼の中のヒカル像とアキラから見たヒカル像の間には、深くて急峻な谷があるらしい。
だが、そこが何ともいえず、可愛いのだ。
 ヒカルに紅茶を差し出しながら、自分もその正面に座った。
 嬉しそうにケーキを食べる姿は、本当に子供っぽくて愛くるしい。人は自分には
ないものを求めるものだ。子供の頃から大人びていた自分とは、真逆を行くヒカルは
アキラの目には眩しかった。どんなことをしていても、自然に視線がヒカルに吸い寄せられる。
アキラは目を細めてヒカルを見つめた。


(4)
 「ンン………」
口の端に付いたクリームをピンク色の舌が舐めとる。そのあまりの艶めかしさにアキラの
股間がズキンと疼いた。ついその舌の動きを追ってしまう。
 思わず伸ばし掛けた腕を理性で押しとどめた。
『落ち着け!今、ここで手を出してしまったら………わかっているな?』
自分で自分に言い聞かせた。だが、自分の意志に反して、アキラの手はヒカルの剥き出しになった
細い二の腕を掴もうと藻掻く。
 「あ!そうだ…」
突然、ヒカルが、ケーキに向けていた顔を上げた。
「どうしたの?」
右の手首を左手で押さえつけながら、ヒカルに訊ねた。
「塔矢、電話貸してくれる?和谷のところに電話しとかなくちゃ………」

 「………うん…ゴメン……それで、塔矢のところに来てるんだけど……」
ヒカルが電話の向こうに苦しい言い訳をしている。転んで服が破れたとか、アキラのところに
服を借りに来たとか………。
 背中を向けて、電話を掛けるヒカルの後ろ姿をアキラはじっと眺めていた。薄い背中から
すらりと伸びた足、ルーズソックスに包まれた足首。…………足首……見えないのが残念だ。
――――――後ろから抱きつきたいな………
いきなり、耳元に息を吹きかけたら、どんな反応を示すだろう。やっぱり、怒るだろうか?
顔を真っ赤にして、あの大きな目で睨み付けられるかな………。それともまた、泣いてしまうかな?
 そんな想像で、気を紛らわそうとしているアキラの耳に、溜息が聞こえてきた。



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