トーヤアキラの翌朝 1 - 5
(1)
鳥のさえずりと、障子を通して差し込む柔らかい陽光でアキラは目を覚ました。
余りに熟睡していたためか、一瞬自分を見失ってハッとした。
───手合いに遅れる!!
そう勘違いして起き上がろうとするアキラの耳に、ヒカルの穏やかな寝息が聞こえてきた。
慌てて首を回して隣を見ると、アキラに背中を向けて丸くなって寝ているヒカルが居る。
───そうだった・・・・
少し働き始めたアキラの脳細胞が全ての状況を思い出す。
そして、改めてヒカルの背中をじっと見詰めた。
静かな寝息と共に規則正しく動く背中が、確かにヒカルが生きていて、そこに存在している
事実を教えてくれる。
それは、世界中でたった一人しか居ない、かけがえの無い唯一無二の存在。
愛しくて愛しくて、顔を思い浮かべるだけで胸が締め付けられる程切ない想いがアキラを
包み込む存在。
なぜキミでないといけないのか考えた事が無い程、いつの間にかアキラの心の中を占領した
特別な存在。
ヒカルに出会う前の自分が何を考え、どうやって空気を吸い込んで毎日を過ごしていたのか
さえも思い出せない程の輝く存在。
アキラはそっと手を伸ばしてヒカルの背中に触れてみる。
子供の頃から碁石の感触に馴染んでいる人差し指と中指が、Tシャツを通してヒカルの
温もりを感じている。
ヒカルの体温が指先から腕を伝って徐々にアキラの全身に広がり、五感が昨夜の交わりを
体に思い起こさせる。
アキラはその時になって初めて全身がだるく、特に腰に痛みがあることに気付き苦笑した。
(2)
昨夜の事を思い出すと、恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになってアキラの心を暖かくする。
お互いの醜い部分を曝け出して欲望をぶつけ合った事で、さらにヒカルに溺れて行く自分が
はっきりと分かる。
誰にも取られたくない、誰にも触れさせたくない・・・・・そんな事を考えながらアキラは
ヒカルの首筋に鼻を近づけて大好きな甘酸っぱい匂いを胸一杯に吸い込んだ。
その匂いに、はしたなくもアキラの下半身は敏感に反応する。
───ゆうべあんなにしたのに・・・
そう頭では思っても、正直な息子は全身の血液を一心に集めようとむくむく動き始める。
もっともっとヒカルの匂いのエネルギーを吸い込むために、アキラは一度息をはき出した。
そっとはき出したつもりだったのに、慌てていてヒカルの首筋に息がかかってしまったようだ。
ヒカルの体がビクリと揺れた。
───しまった・・・
と思って息を殺して様子を見ていたが、ヒカルが動く様子が無いので、改めてヒカルの
首筋に顔を近づけて、目を瞑ってヒカルの匂いを吸い込み、その匂いに酔いしれていた。
すると突然ヒカルが寝返りを打って大きな目でアキラを睨んで来た。
「あ、ゴメン・・起こしちゃった?」
「ん・・・・ん?」
ヒカルもアキラ同様に一瞬自分を見失っているようだった。
昨夜はそれだけ激しく体を重ねあったのだから無理も無い事だった。
「進藤?」
そうアキラに優しく呼びかけられて、ようやく我に返ったヒカルは、表情を緩めると、
「トーヤぁ・・・」
と言いながら両腕をアキラの首に回して来た。
アキラもヒカルに吸い寄せられるように身を近付けて抱きしめ、手を腰から背中にかけて
滑らせるように移動させた。
(3)
ヒカルの体はそれだけでも反応して甘い吐息を漏らした。
その反応に気を良くしたアキラは更にヒカルの敏感な部分を撫で回す。
アキラの肩に顔を寄せながらヒカルは甘く鼻にかかった声で囁くように問いかけてきた。
「んんッ・・・・なぁトーヤぁ、ゆうべはどうだった?」
その瞬間にアキラの顔がカーッと熱くなるのがわかった。
その様子は顔を見ていないヒカルにも伝わったらしく、
「ヘヘヘ、お前のあんな姿初めて見た」
とからかうように言ってくる。
「なッ!酷い・・・・キミのせいだ!・・・いや、ごめん、ボクのせいだ・・・」
「ハハハ、わかってりゃいいんだよ。・・・だけど、初めてお前の事すっごく可愛いって
思ったんだ。・・・トーヤぁ、またしてもイイ?」
「えッ?また?」
「うん、そう、また、時々でいいからさー。・・・それとも絶対イヤ?」
「いや、絶対イヤと言うわけではないけど・・・」
「よし!決まりな!時々でイイからさぁ、な、トーヤぁ」
「うん、分かった、たまにならね・・・・・ところでこれからしてもイイ?」
そう言いながらアキラは血液を一心に集めた分身をヒカルの下腹部に押し当てた。
「あ、お前!やらしい!さっき俺が寝てるのを良い事に何してたんだよッ!?」
アキラはヒカルの非難を意に介さずに愛撫の手を更に一歩進めながら囁いた。
「決まってるじゃないか・・・・キミの匂いに欲情してた」
「んッ!バカ!・・・・・バカ、トーヤのバカぁ・・・・トーヤぁ・・・ん」
ヒカルの甘い抗議はアキラの唇によって塞がれた。
次にヒカルが目覚めた時にはアキラの姿は隣に無く、その代わり、コーヒーの香りが
アキラが台所に居る事を知らせてくれた。
(4)
いつものようにアキラの作った遅めの朝食を済ますと、約束通り2人で買い物に行く
事にした。
アキラが着替えをしようといつもの場所からいつものシャツを取り出すと、何か言いた
げにヒカルが見詰めてくる。
「何?」
「あのさ、お前もっとカジュアルなシャツとかって無いの?」
「カジュアル?」
「そう!だって今日は2人で買い物だろ?俺の服に少しは合わせてくれよな」
「そう言われても・・・・このシャツじゃダメかな?」
アキラは困った顔をして手に持っているシャツをボーっと見ていた。
「いやさ、ダメってわけではないけどさ。・・このなんて言うか・・もうちょっとな」
「もうちょっと何?」
「あーッ!もうッ!あのさ、お前のタンスチェックしてもいい?」
そう言いながらヒカルは押入れを開けて、中にある押入れ用タンスを順番に見て行った。
「あ、ここにお前がよく着てる服があるんだな。・・・アーガイルのセーターにVネックの
セーターに黒いハイネックのセーターに・・・どれも暑いよな」
「今の季節の物は一番下にあるけど・・・・」
「それ早く言えよな!・・・えっと、・・うーんと・・あ、これなんかどうだ?」
そう言って白いポロシャツをヒラヒラ掲げた。
「え?それ?・・・それは前にお母さんが買ってきたんだけど、似合わないと思って・・」
「えーッ?そっかぁ?お前こういの結構似合うんじゃねーの?」
「そ、そうかなぁ?」
アキラは首をかしげながらヒカルの事を心配そうにチラっと見た。
「いいからッ!試しに着てみろよ。俺が見て似合ってると思えばそれでいいだろ?」
ヒカルにこう言われるのがアキラは極端に弱い。
ヒカルもその事を十分に承知していてその白いポロシャツをアキラに押し付けた。
(5)
「う、うん・・・・じゃ着てみる」
そう言って渋々ポロシャツを首から通して腕を出すと恥ずかしそうにヒカルの顔を見た。
「・・・似あうかな・・・」
「おっし!似合う似合う!いつもとはまた違った塔矢って感じでいいぞ!」
その言葉にアキラは嬉しそうに微笑んでヒカルを見た。
この笑顔にヒカルが弱いことをアキラは十分知っている。
アキラの顔を食い入るように見詰めていたヒカルが、我に返ったように言う、
「塔矢は本当に綺麗だな・・・その笑顔、外ではすんなよ!本当にさ、もう」
「キミこそそんな風に他の人を見詰めないで欲しい」
「ばーっか!お前だから見惚れてるんじゃないか!」
「ボクだってキミだから笑顔になれるんだよ」
2人はじゃれあいながら玄関に向かって歩き始める。
五月の風は乾燥していて爽やかで肌に心地良い。
駅まで歩きながら、アキラは何度と無くその風を胸一杯に吸い込んだ。
ヒカルと一緒に歩くであろうこれからの道のり、そして一緒に受けるであろう様々な
種類の風、それらがどんな物であるのかは分からないが、今ここに居るヒカルとならば
どんな風が吹いて来ようとも乗り越えられる気がする。
ゆるぎない太い絆を決して離すまい、とアキラは思う。
どの様な未来が待っていようとも決してヒカルを失いたくない、もしその時が来ると
すれば、それはどちらかが天国に召される時しかない、とアキラは心底思った。
アキラは隣を歩くヒカルを見ながらそっと手を取った。
それに応えるようにヒカルもアキラの手をきつく握り返してきた。
前を見詰めて歩く二人に髪が跳ね上がる程の強い風が一瞬吹き抜けた。
完
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