光明 1 - 5


(1)
「よく来たねアキラ君。お父さんお母さんは元気かね?」
藍色の着物を着た年配の僧侶が寺院内の長い渡り廊下を歩きながら
後に続くアキラに話しかけた。
「はい。父は引退してからのほうが元気なくらいです。」
大晦日の午後、アキラは縁のある寺に来ていた。
毎年12月の末に古い護符を新しい物と交換するのは塔矢家の
恒例行事である。
いつもならアキラの母の明子が行くのだが用事が重なり代わりにアキラが出向いた。
母の明子は名門の旧家出身で古いしきたりを重んじる傾向があり、
それを身近に見てきたアキラは それらをごく自然に受けとめている。
「これが新しい護符だよ。」
「ありがとうございます。こちらの都合で大晦日の日にお邪魔してすみませんでした。」
「いやいや それはかまわない。それよりアキラ君、今日は他に予定があるのかね?」
「いえ特にないですが。」
「指導碁をお願いしたいのだが・・・どうかね?」
「ボクでよろしければかまいません。」
この僧侶が大の囲碁好きであるのをアキラは知っていたので
快く引き受けた。


(2)
寺院内の一角にある和室でアキラと僧侶は碁を打ち始めた。
この和室の窓から手入れのいきとどいた日本庭園がよく見渡せる。
「どうだね。プロ棋士の世界は?」
「そうですね。毎日毎日がとても充実してます。
碁を中心とした生活を一日でも早く送りたかったので。
また一期下で強力なライバルがいるので負けられないですね。」

空に雲が多くなり暗くなっていくと同時に冷え込んでいき、
やがて雪が降りそうな風情を匂わしてきた。
「それは 良い巡り会いをしましたな。
まあこの世には偶然は一つも無く その人間に必要だからこそ
必然に物事が起こると言いますしな。
ところで アキラ君は棋士として志すことはなにかね?」
「最善の一手・・・神の一手を極めることです。」
「神の一手のう・・・ということは、アキラ君は碁の神様を目指しておるのかね?」
と僧侶は言うと同時にパチッっと一手を打った。
すかさずアキラも打ちながら「碁の神様・・・ですか?」と訪ねた。


(3)
「そう 碁の神様。私は坊主だから神様に値するのは仏ですな。
仏は この世のあらゆる物を『ほとく』から『ほとけ』。
全ての事を紐解くから『ほとけ』と言う。
君もあらゆる碁の神髄を極め、全てを『ほとく』のを求めている。
なかなか道は険しいのう アキラ君。」

物心つく頃にはすでにアキラは碁を打っていた。
最善の一手の追求・・・それが神の一手に繋がると志を持ち
碁と共に生きてきた。
だが 僧侶の言葉に打つ手が止まった。

次第に辺りが暗くなり夜の訪れと同時に雪が降り始めた。
・・・碁の神様か。そんなふうに考えたことはなかった・・・。
アキラは碁石を碁笥に戻した。
だんだんと冷え込みが激しくなったのか 碁石の冷たさが指先に凍みた。
雪は止む気配が一向になく降り続き、静かに庭を白に染めていく。


(4)
まだ小学生の時 ヒカルに負けて自分の碁に自信を失いかけた事があった。
でもその時でさえ碁の道に進む事に疑問を感じたことは微動だにもなかったアキラだが
今初めて胸中に波紋が広がった。
険しく困難な道を選んだ事については全く後悔はしていないが、その求める道は
神の領域に踏み込むものだったのだろうかと自分に問いかけた。
それは終わりのない自分との闘いであると同時に深遠で孤独な道でもある。
今さらながらアキラは思わず背筋がゾッとし身震いした。

しかし それと同時に
『神の一手はオレが極めるんだ』と いつかヒカルが言った言葉が頭によぎった。
そうだ・・・神の一手を求めているんはボクだけじゃない。
進藤もボクと同じ道を歩んでいる。
進藤が生涯のライバルである以上お互いを研磨し、より高みへと導き合い
神の領域に近付いていく。神の一手は1人では成し遂げられない。
進藤がいてこそ開かれる道でもある・・・。
アキラは再び碁石を持ち 新たに一手を打った。
雪が降り続く深閑とした夜の闇に その音は高く響いた。
「・・・あえて険難な道をゆかれるか。まあそれも一つの人生ですのう。」と僧侶は呟いた。
アキラは軽く息を吐き目を閉じた。


(5)
アキラは雪がうっすらとおおった道を早足で歩き家路へと急いだ。
まだ少し雪がちらついている。寺院にかなり長居してしまい遅くなってしまった。
もう初詣に行くのか この寒い中かなりの人が賑わいながら歩いていた。
その中にヒカルと背格好のよく似た少年の姿がアキラの視界に入った。
気になり目で追ってみたが別人だった。アキラの脳裏にヒカルの顔がフッとよぎった。
アキラは歩いてきた道の反対方向へ いきなり体の向きを変えて足早に歩き始めた。
自分がなぜそのような行動を取るのかアキラ自身よく分からない。
頭が思うより体が先に動いているような状態だった。
ただアキラは これだけは理解出来ていた。
「進藤に会いたい。」という想いが今の自分を支配している感情であるという事を。

雪は小降りになったとはいえ30分程外にいれば頭や肩にうっすらと雪が積もる。
アキラは今まさにそのような状態だった。
ヒカルの家の電話番号・住所は以前ヒカルに教えてもらい手帳にひかえていたので
家を見つけることは容易だった。
でも大晦日の夜更けに他人の家を訪ねるのは常識はずれである事は百も承知なので
ただヒカルの家の前で立ちすくしていた。
アキラは自分の取った行動に自分で驚き呆れていた。
「本当に馬鹿だなボクは・・・。
進藤の家の前でこの寒空の中30分も立っているなんて何を考えているのだろう。
父さん達もきっと心配しているだろうな。・・・もう帰ろう・・・。」
冷えて感覚が鈍くなりかけている足を引きずり帰ろうとするアキラの目に いきなり強い光が飛び込んできた。



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