黒い扉 1 - 5


(1)
そこは会員制の高級秘密クラブである。
芹澤から誘いを受けて今度の金曜にそこへ行くことになったとアキラが告げた時、
緒方は明らかに動揺した顔をした。
「あ、アキラ君が?あの店へ?」
「はい。高段のプロの方々がたくさんいらっしゃるお店だって言うから、
勉強になりそうだと思って。それに緒方さんもそこの会員なんですよね?
芹澤先生がおっしゃってました」
検討後の渋茶をほっこりと啜りながら、アキラが微笑んだ。
「そ、それはそうだが・・・しかし、キミみたいな子があんな店に行っても
面白くないと思うぜ。時間が空いているなら、遊ぶより碁の勉強をしたほうがいい。
何ならオレが対局でも検討でも、付き合ってやるから」
緒方が年上の威厳を見せてそう提案すると、アキラは微笑みを絶やさないまま言った。
「ボクに、来られたくないわけでもあるんですか?」
「えっ」
「緒方さんはそこの常連で、毎週のように通いつめてるって芹澤先生が。
よっぽど面白いお店なのか、・・・それともお店の人の中にお気に入りの女性でも
いらっしゃるんでしょうか?」
「じょ、女性!?・・・そうじゃない。そういうことじゃないんだ、アキラ君。
・・・ただあの店は・・・」
「何もやましいことが無いなら、ボクが行ってもいいはずですよね?」
そう言って緒方を見つめるアキラの目には、探るようで縋るような光がある。
緒方に対する不信と信じたい気持ちとが、アキラの中で半々に揺れているのだろう。
緒方は降参の溜め息をついた。
「・・・後悔しても知らんぞ」
「自分で決めたことなんですから、後悔なんかしません。
それに本当を言うとボク、緒方さんのことがもっともっと知りたいだけなのかもしれない。
緒方さんのことならたとえ自分が望まないことでも、全部知っておきたいんです」
視線と視線が触れた。
盤を挟んで、ゆっくりと唇が合わさった。


(2)
都内の一等地。
緒方に伴われて行った、とあるビルの地下にその店はあった。
表には看板が出ていない。窓のない黒大理石の壁に囲まれた階段を降りて行くと
下はちょっとした日本庭園風の空間になっていて、
綺麗に均された白砂の上に飛び石、小高い築山の上に小さな松と石灯籠、
足元から蒼い光でライトアップされた人口の池には鯉まで泳いでいる。
確かに凝った作りではあるが、幼い頃から父親に連れられて料亭などに行き慣れている
アキラにとってはたいして珍しい店構えでもなかった。
ただ一つ異和感があったのはその店の巨大な黒い扉である。
威圧するような金属製のその扉は地下のこの空間には不釣合いなほど高く、
大人二人が両腕を広げても届かないくらい幅が広く、
何かとんでもないものがその向こうに隠されているような、
一度それを開いてしまったら二度と後戻りは出来ないような――
そんな運命的な存在感を見せてそこに立ちはだかっていた。

「・・・いいんだな」
「はい」
二人が並んで前に立つと、
ギギィー・・・と重々しい音を立てて、迎えるように黒い扉は開かれた。


(3)
「緒方様、いらっしゃいませ。そちらはお連れの塔矢様、でございますね。
芹澤様からお話は承っております。ようこそおいで下さいました」
物静かな微笑みを湛えた男は、どうやらこの店の支配人らしい。
男が合図すると両脇から別の若い男が現れて二人のコートを預かり、
そのまま奥へ通された。

(なんだ、全然普通のお店じゃないか)
通されたのは静かな音楽と間接照明によって演出された、落ち着いた雰囲気の空間だった。
今日は立食形式ということになっているのか、
ぴかぴかに磨かれた黒大理石の床の真ん中に軽い料理が載った長テーブルが置かれてあり
椅子は壁際にずらりと寄せられている。
隅のほうには数人が座れる程度のカウンターがあり、
グラスをたくさん並べた前でバーテンダーが軽快にシェイカーを振っている。
ぼんやりと想像していたような「イヤラシイ」雰囲気がどこにもなかったので、
アキラはほっと緊張を解いた。
緒方の浮気相手になりそうな派手な女性もいない――
いや、女性の影そのものが見当たらない?
少し不思議に思って辺りを見回しても、立ち働いているのはやはり男ばかり、
それもまだ20代かそこらの目鼻立ちの整った青年ばかりである。
彼らは皆すらりとした体の線が出るぴっちりとした黒い服に身を包み、
捲った袖から誇示するように筋肉質の腕を出して、きびきびと大股に動いている。
(あんなぴったりした服で、動きにくくないのかな・・・)
くっきりと浮かび上がった尻の筋肉の動きに思わず見入っていると、
相手が振り向きにこっと微笑みかけたのでアキラは頬を赤らめた。
「一番乗りらしい。カウンターで待たせてもらおう。アキラ君、こっちだ」
「あ、はいっ」


(4)
小料理屋で言う突き出しのようなものなのだろうか、
カウンターに就くとすぐカップに入った熱いトマトスープが二人の前に出された。
スパイスの効いた味で身体の芯から温まる気がする。
カップを両手で支えふうふうと冷ましながら飲むアキラを、
横から肘をついて覗き込みながら緒方が囁いた。
「なあ、今からでも遅くない。・・・帰らないか」
口を付けかけたカップから顔を離してアキラが聞き返した。
「そんな・・・どうしてですか?ここまで来ておいて」
「オレが女と浮気なんかしてないって、もう分かっただろう」
バーテンダーや他の店員に聞こえなかったかドキリとしたアキラだったが、
彼らは素知らぬ顔でそれぞれの作業を続けている。
あるいは、この店で働いていれば客のこんな会話には慣れっこなのかもしれない。
さっき見た若い男の尻の筋肉と、それを見られていると気づいた時に相手が見せた
いかにも慣れた様子の微笑みがアキラの心に引っ掛かっていた。
「確かに、女性はいないようですけど・・・でも、何だかこのお店」
「何だか?」
「・・・緒方さんの好きそうな人がたくさんいる・・・考えてみれば緒方さんて
ボクとこんな関係になるような人だし、女性より男性のほうがお好きなんじゃ・・・」
「オレが好きなのは、アキラだよ」
突然呼び捨てにされてカップを取り落とすかと思った。
それはいつも、セックスの最中だけに与えられる呼び名だ。
どぎまぎしながらアキラが見ると、緒方は肘をついたまま真面目な顔で
アキラをじっと眺めている。
「なあ、好きだよ。何があってもおまえを愛してるよ。
・・・オレはこんな奴だが何があってもおまえとのことだけは大切にしたいし、
守りたいと思ってるんだ。・・・だからもし・・・」
普段二人きりの時でさえ滅多に与えられないような愛の言葉の大盤振る舞いに、
もう秘密を追及することなど止めて緒方の言うとおり家に帰ってあげても
よいかもしれないとアキラが思いかけた時、背後からそっと肩に置かれた手があった。
「やぁ塔矢君。緒方先生と一緒に、来てくれたんだな。・・・嬉しいよ」
今日の招待主――芹澤が、日頃と変わらぬ穏やかな微笑を浮かべてそこに立っていた。


(5)
皿とフォークごと、それを渡されるものだと思っていた。
だが白川は「あ、そう?よかった!」と明るく言うと、
満面の笑みで手掴みにしたモノをアキラの口に近づけてきた。
「えっ、あの、・・・むぁっ!」
唇の表面を擦って温かく巨大な物体がズルリと侵入してくる。
「ん、んっ!んっ!」
あっという間に喉の奥まで侵入を許してしまったそれは、
質量が大き過ぎて噛み切ることすら出来ない。
自分の意志とは無関係に、豊かな肉の香りと香辛料の刺激によって唾液腺が刺激され
サラサラとした液体が口内に湧き出る。
咄嗟に舌で押し戻そうとすると、感動したくなるほど本物に近づけられた感触と共に
口内で自分の唾液が跳ねる淫靡な音がして、カアッと頭が熱くなった。
「んっ、・・・ふぁっ!・・・んーっ、・・・んんーっ、」
哀願するような声をあげてから、それがともすれば何かを連想させるような調子に
なっていたことに気づき、また羞恥の波が襲ってくる。
頭を振ろうとしても、手で制止しようとしても動かせないのは、後ろと左右から
棋士たちの手が頭部と体をがっちり固定しているからだと混乱した頭で気がついた。
――何故、彼らはこんなことを。
人間、相手が酒が弱いと聞けば飲ませたくなるし
くすぐったいのが苦手と聞けば腋の下の一つも弄ってみたくなるものだ。
それと同じように、彼らは単に若輩の棋士がグロテスクな料理を前にして
腰が引けているのをからかっているだけなのだろうか?
閉じられない口の端から体温を帯びた液体がつうっと零れ出る。
「んっ、むっ、・・・ふぅーっ!」
「塔矢君、どうしたんだい。食べないの・・・?」
白川はそ知らぬ顔で首を傾げながら手にしたモノを軽く動かした。
唾液に濡れた唇と、その物体の表面を覆う薄皮とが擦れ合ってキュッキュッと音を立てる。
そのたびに内部から押し出された唾液が唇の端から溢れ出る。
これは、この状況を堪らなく恥ずかしいものに感じてしまうのは、
自分に後ろ暗いことがあるからなのだろうか――



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