戻り花火 1 - 5


(1)
パチパチと色とりどりの炎が夜の暗闇を輝かす。
「キレイだな」
「うん」
二人はもうずっと、ほとんど言葉を交わすこともなくただ互いの指先の延長に咲く
光の火花を眺めていた。
花はすぐに散ってしまう。
すると二つあった光が一つきりになって、そのぶん夜の闇がぐっと迫ってくる。
闇に対抗するように、次々と新しい炎の花を咲かせた。
火薬の匂いと白い蝋燭が溶ける甘い匂いとが混じり合ってむず痒く鼻腔をくすぐる。
「煙くねぇ?」
「少しね」
「・・・オマエ、冷静なのな」
ヒカルはちらりと自分の傍らにしゃがむアキラを見た。
アキラは穏やかな表情で手元の花火を見つめている。花火に照らされたアキラの顔も瞳も、
色とりどりの光と影で揺らめいて見える。
自分と話しているのに視線をこちらに向けようともせず、花火ばかり見ているアキラに
ほんの少し寂しくなった。
花火の光と熱に魅せられて忘れていた、肌寒い初秋の夜の闇が急に身近にまとわりついて
くるように感じる。
ヒカルはぶるっと身震いをした。わけもなく心細い気分が込みあげる。
縋るようにヒカルは端正なアキラの横顔に向かって声をかけた。


(2)
「なぁ、ちょっとこっち見て」
「どうして?」
「どうしても」
「理由を言え」
「・・・かっ、かわいくねーな。いーだろ、ちょっとくらい!減るもんじゃなし」
「減る」
「減らねーよ!」
「・・・こうしている間にも、どんどん燃え尽きていってしまうだろう?」
「ん?・・・あー」
整いすぎるほど整ったアキラの横顔は、静かに揺れ輝く光を映している。
自分の手の中で一時明るく熱く燃え上がっては瞬く間に尽きていく儚い命を惜しむように、
アキラは慈しみにも似た眼差しで手元の熱の花を見つめていた。
たまにアキラはこんな表情をする。
静かで安らかな、全てを許し慈しむような。

アキラをこちらに向かせるのは諦め、その代わりにヒカルはアキラに寄り添うように
肩を触れ合わせてしゃがみ込んだ。
アキラは何も言わない。
「・・・ちょっと寒くなってきたから、こうさせてくれよな」
「うん」
アキラの花火が一際明るい緑がかった白い光を放ち、燻すような音を立てて燃え落ちた。
同じ袋詰めにされて一時の慰みのために売られる花火でも、アキラの手の中で
アキラの視線を一身に受けて燃え尽きるならこの世に生まれてきた甲斐もあろうと思う。
アキラと同じ生身の人間でさえ、その手に触れることもその視界に入ることすら困難だというのに。


(3)
後を追うようにヒカルの花火もまた持ち主の頭髪のような金色の光を放って燃え尽きた。
途端に辺りの温度が下がる。
風に揺れる小さな蝋燭の灯りを頼りにヒカルはがさごそと派手な色の袋を探り、
新しいのを二本取り出してババ抜きのようにアキラの前に並べて突き出した。
アキラはちょっと指を迷わせてから、濃い赤紫の芯にキャンディのように先が捩れた
黄色と赤の紙飾りがある一本を選んだ。
もう片方の、銀と青の縞模様がついた細身の一本をヒカルが右手に持ち直す。
「・・・オマエ、こーゆー時は必ずハデなほう選ぶよな」
「え、そうかな。すまない。キミがこっちのほうがいいなら・・・」
「いいよ、オマエが好きなほう取ってくれたほうが。ただ・・・」
「・・・何」
「・・・意外と、ガキっぽいよな」
返事はない。
ちらりと横を見ると薄暗い中でアキラの端正な横顔が不服そうに唇を尖らせていた。
そういう所も意外と子供っぽくて、意外と可愛いと心の中だけでヒカルは思う。

小さな蝋燭の炎の上に二人して花火をかざす。
風があるせいもあってどちらもなかなか火が点かない。
暗い中で会話が途切れると互いの吐息の音と心音が伝わるようで、ヒカルは息苦しくなってしまう。
だがアキラは何も言わない。
ぼんやりとただ、黄色と赤の紙飾りの先をちろちろと焼く小さな炎を眺めている。


(4)
今夜アキラが言葉少ななのは、美しい花火の短い命を惜しむためだけではないのだろうと
ヒカルは思った。
全てを忘れさせるような美しい光を瞳に映しながら、アキラの目はどこか遠い所を見ている。
遠い誰かの姿を幻のように、光と熱の中に追っている。
小さな炎がヒカルの胸の奥をもちろちろと焼いた。
胸の奥底で焦がれた火の粉が気管を通って口から出るように、ヒカルはつい言葉を洩らしていた。
「・・・社も、今日ここにいられれば良かったのにな」
他の人間ならきっと気づかないほどの一瞬の沈黙があって、それからアキラが小さな声で
「うん」と答えた。
二本の花火が同時に炎を宿し、精一杯に花開いて夜の暗闇を輝かせた。


(5)
アキラがいつ頃から社に惹かれるようになったのかは知らなかった。
単に碁打ちとしてということだけであれば、北斗杯予選の自分と社の闘いを見た時点で
アキラは既にあの自分たちと同い年の有望な打ち手に惹かれていたのだろう。
だが碁の実力で惹きつけるだけなら、自分が社に劣るとは思わない。
それとは別の所で、いつの間にか、本当にいつの間にか、アキラの心は社に攫われてしまっていた。
今まで自分がアキラと過ごしてきた年月はいったい何だったのかと思うくらい呆気なく。

北斗杯が終わってから、アキラとあの激戦の数日間を振り返る機会は何度もあった。
だが不自然なほどにアキラは自分からは社について触れることがなかった。
ヒカルのほうから社の話題を振ると、アキラは一見平然とその話題を受けながら、
今までヒカルの前では見せたことのなかった少し哀しそうな遠い瞳をした。
そうしてその後は決まって、物思いに沈むような、何か考え事をしているような、
ヒカルの知らないおとなしいアキラになった。

不自然なのは社も同じだった。
北斗杯の後で何度か連絡を取って碁のこと、社の進路のこと、色々なことを語り合ったのに
社もまた、アキラの棋譜やアキラの父塔矢行洋について口にすることはあっても
アキラ本人については決して自分から話題にすることがなかった。

それだけなら、二人があの数日の間に喧嘩でもして仲が険悪になっているのかと
ヒカルも思ったかもしれない。
だがそうではなかった。
二人はずっと連絡を取っていたのだ。ヒカルの知らない所で、ヒカルとの会話では決して
互いの名前を出さないままで。
その頃既にアキラは、日常的にヒカルと体を重ねる間柄だったというのに。



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