少年王の愉しみ 1 - 5


(1)
「ヒカルの碁・第168局」の台本を手にして、少年王は思案していた。
今までずっと生活感がないと言われ続けてきた「塔矢アキラ」なのに、今回はなんといきなり。

―夜景から塔矢家の門、そして塔矢アキラの自室

塔矢アキラ ……ん
 (眠りから目覚めようとする塔矢アキラのアップ)
塔矢アキラ あ…
塔矢アキラ(独白) 
  今 何時だろう
  目…… 覚めちゃったな
  夜中に目が覚めることなんてあまりないのに…
  お水を一杯飲んで来ようか
 (布団から起き上がる塔矢アキラ。)

―場面転換 塔矢家の廊下
 :
 :


(2)
なんだ、これは?
つまり、「塔矢アキラ」の寝姿から始まって、起きて廊下を歩いていって父、塔矢行洋の部屋を
かいま見る、と、そういうシーンなのか?

しかし、この台本を見て少年王が最初に考えたのは「塔矢アキラの夜着は何か」と言う事だった。
なぜならば、少年王は通常は夜寝るときは何も着けないからである。シャネルの5番さえも、ない。
素裸のまま、シルクのシーツにくるまって眠るのが、少年王の日常であった。

だが、いくらなんでもこのシーンで裸という訳には、いかない。
勿論、少年王と言えど、夜間、トイレに立つときなどはガウンを羽織るのだが、しかし、シルクの
ガウンを羽織り、と言うのは「塔矢アキラ」らしからぬであろう。
では浴衣か?だが寝ていたのを起き上がり、歩き出す、というシーンで浴衣は…下手をすると
露出度が高すぎるかもしれない。やはり無難なところでいうとパジャマだろうか。
確か「進藤ヒカル」はジャージをパジャマ代わりにしていたが、「塔矢アキラ」はそういうタイプで
は無い。やはりベーシックな形のパジャマが一番「塔矢アキラ」らしいのかもしれない。
まてよ、衣装はいつものように製作側で用意するのかな。そうするとまたどんなヘンな物を着せら
れるか判らない。ましてや、またあのスタイリストに、「アキラくーん、浴衣きせてあ・げ・る(はぁと)」
などと言われたら…いや、ボクは構わないんだけど、ボクにはちゃんと大切な、誰よりも大切な
イゴレッドという人がいるんだからね。それに製作側の用意した安物のパジャマなんかじゃ肌が
かぶれかねない。ボクの真珠の肌はデリケートなんだから…。
そうさ、オガタンだっていつも衣装持込なんだから、ボクだって…シンプルかつスタイリッシュに
キメてみせようじゃないか。
(パジャマ姿にスタイリッシュも何もあるか、等という常識は、無論、少年王には通用する筈もない


(3)
さて、碁会所のシーンの撮影も無事に終了し、控え室で少年王は次のシーンに備えて着替えを
しようとしていた。
ハンガーにかけておいたパジャマを取り、袖を通す。
少年王は注文通りの最上質の綿の肌触りにご満悦だった。
が、ボタンをはめようとして、妙な違和感を感じた。
どうも勝手が違うような、やりづらいような…って、コレは合わせが逆じゃないか?女物か、コレは?
ふつふつと怒りが湧いてきた。
どうしてウチの家臣どもはこうも不手際が多いのだ!
折角、今日こそは準備万端と思っていたのに、これではまた笑い者だ…!
ガタッ、と椅子を蹴飛ばして、少年王は仁王立ちになって怒りに震えた。
(当然の事だが、彼は、今の自分が着ているのは下着の上にパジャマの上衣を羽織っただけ、
というあられもない格好である事には、気付いてはいなかった。)
と、ドアをノックする音がした。
「塔矢さーん、準備よろしいですかぁ?」
間延びしたような声が外からかけられた。
「くっ…」
少年王は唇を噛んだ。
もはや、代わりを用意している時間などない。
仕方がない。これで行くしかないか。
きっと、上衣の合わせを気にするほど細かい人間は、とりあえず、撮影所にはそうそういないだろう。
とは言ってもどうせ全国に発売されれば、いちいちそんな細かい所に突っ込みを入れてくるヤツは
山程いるんだろうけどサ。
少年王は小さく舌打ちし、乱暴にズボンに足を突っ込みながら、
「今、行きます。」
とドアの向こうの人物に答えた。


(4)
スタジオには塔矢アキラの部屋のセットが組まれている。
「じゃ、行こうか。」
演出家の声で、撮影が開始された。
室内の照明が落とされる。
しかし、布団と言うものはあまり寝心地が良いものではないな、と最上質のスプリングのベッドに
慣れた少年王は思った。だが今はそんな事はどうでもいい。
「スタート!」
カチッと音がして、スタジオ内は沈黙に包まれた。

「……ん、」
ごくっ、と誰かが唾を飲む音が聞こえた。慌てて誰かが「シーッ!」と口に手を当てる。
「あ…」
僅かにスポット。
少年王は微かに目を開ける。
―今 何時だろう…

カメラの回る音だけが響く静まり返ったスタジオ内で、少年王は台本に沿って演技を続けた。
が、そのシーン―塔矢アキラが起き上がって自室を出るまで―を終えても、何の声もかけられない。
OKもNGもない事を不審に思って、少年王は眉を顰めて演出家を振り返った。
「えーっと…、あ、うん、そのぉ…」
演出家ははっきりしない様子で口ごもる。
「…悪いけど、もっかい、やってもらえるかなぁ…?」
途中でダメも出なかったし、自分でもまあまあの出来だと思っていたが、演出的には何か思うところ
があるのかもしれない。そう思って少年王はもう一度布団に潜り込んだ。


(5)
「えーと、ちょっと休憩しようか…」
わずかなシーンであるのに、もう何度繰り返したか判らない。
寝たり起き上がったりを繰り返す少年王も、さすがに疲れてきた。
その疲れを見て取って、ついに演出家が20分の休憩を言い渡した。
控え室に戻って、用意されていたお茶を飲んで軽く息をつくと、後ろでドアの開く音がする。
振り向くと、少年王の最も愛する少年の姿がそこにあった。
「待っててくれたのか?」
少年王は嬉しそうな声をあげて、彼に近寄った。
だが彼―イゴレッド、又は進藤ヒカル―は明らかに不機嫌そうな様子を隠さなかった。
「レッド?」
「ゴメン…待ちくたびれた?」
「…違うよ。」
言いながらもその声はあからさまに怒っていて、少年王は不安げに彼の目を覗き込んだ。
「おまえに…怒ってるんじゃねぇよ。」
「それじゃ、何をそんなに怒ってるんだ?」
「わかんねぇのかよ、おまえ!?」
レッドは思わず声を荒げた。
「あいつら、いつまで繰り返させるつもりかよ?もう充分じゃないか!」
「…って…それはボクの演技にどこか拙い所があるからじゃないのか…?そりゃ、ボクとしては
ちゃんと演ってるつもりだけどさ。」
どうだか、とレッドは内心舌打ちした。
あいつら、演技どうこうなんかじゃなくて、こいつのあの姿を―あの声をもっと聞きたくて、続け
させてるだけなんじゃねぇか。
畜生。人の恋人をなんだと思ってやがるんだ。見せ物じゃねぇんだぞ…!



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