Shangri-La 番外 1 - 5


(1)
「よう、元気そうじゃないか?」
降りてきた嘲笑交じりの声に、アキラは棋譜並べの手を止めず、答えた。
「ええ、お蔭様で」
向かいの椅子に緒方が座り、市河がコーヒーと灰皿を運んだ。
「彼女とはその後うまくいってるのか?」
「えー!?アキラくん、彼女出来たの???」
市河が大声で繰り返したおかげで、アキラは碁会所中の注目を浴びる羽目になった。
「………違いますよ…、緒方さんってば、からかってるんですよ、ボクのこと。
ね、緒方さん?」
緒方に向けられたアキラの眼光があまりに鋭い。有無を言わさぬ視線に強要され、
緒方はうっすらと苦笑いで市河を見遣った。
「なぁんだ!そうなの!びっくりしたわぁ〜!
んもう、脅かさないで下さいよ、緒方先生!」
と、碁会所のドアが開き、客が一人、入ってきた。市河は嬉しそうにその場を離れた。
緒方さんの使う隠語は、ありがたいようでありがたくないような、……複雑だ。


(2)
緒方は煙草を取り出した。銀のマッチケースがきらりとアキラの視界を過った。
――へぇー……、まだ飽きてないんだ。珍しいな。
「地獄耳ですね、相変わらず」
「いいや、何の情報もないさ。君はすぐ態度に出るからな」
「───あ、ちょっと失礼します。」
ポケットの中の携帯がかすかに震えて主を呼んでいる。アキラは席を立ち、
一旦外へ出た。相手が誰かは分かっている。緒方の前でこれ見よがしに
見せ付けても良かったのだが、何人かいた客の手前、それは憚られた。


(3)
緒方を牽制しようと感情を抑えつつ、嬉々として席を立ったアキラの背中を
緒方は黙って見送った。
アキラは気づいているだろうか?
あの頃は、ヒカルと出会う前のアキラは、いつも渇いていた。
ヒカルと出会ってアキラは大きく変わった。年頃だということもあるのかもしれない。
知っていたからヒカルを近づけ、けしかけた。アキラの反応の一つ一つが面白かった。
そしてヒカルに失望したアキラは、以前にも増して瞳の中の渇いた色を隠さず、
それが妙な艶となって現れた。その色香に誘われるままに師匠の息子であるアキラに
つい手を出してしまったが、訳の分からぬ渇望に混乱して、闇雲に手を伸ばす子供を
手中に収めることは、全く造作なかった。

アキラは、教えたことは何でも覚えた。その素直さだけは子どもの頃から変わらず、
ある種の感動を覚えた。アキラが、緒方に抱かれ、腕の中で拙く反応しながら
冷たく渇いた瞳で虚空を見つめていたのも、分かっていた。
いや、むしろ、何も見ていなかったのかもしれない。それはいつか変えられようと
思ったが、それは変わらないまま、アキラは緒方の両手をすり抜け、
ヒカルの元へと戻っていった。その時はそんなものかと思ったし
口が堅く、体のいいセックスフレンドの一人を失うことへの未練もなかった。


(4)
が、確実にヒカルを手に入れて、アキラはまた変わった。自分では与えられなかった
何かをヒカルから享受し、満たされているのだと、纏う空気が有り体に語っていた。
赤ん坊の頃から知っているアキラを満足させられなかった事が衝撃でもあり、
苦々しくもあった。

あの夜、一時の気の迷いだと、ヒカルの身代わりでしかないのだと分かっていても、
どれだけアキラの誘いに乗りたかったか知れない。自分の手を離れたアキラが
どう変わったのか、興味は尽きなかった。だからアキラの中の火を煽ったが、
なかなか誘いに乗らない上に、乗ったら乗ったで背筋が凍るほど凄艶で、
驚きのあまり、思わず突き放してしまった。ひょっとしたら、とんでもない
化け物を覚醒させてしまったのかもしれないとさえ思った。
―――君子危うきに近寄らず、とはよく言ったものだ。
先人の知恵は何と素晴らしいことか……。


(5)
電話を済ませたアキラが戻ってきた。表情は相変わらず硬い。
いや、あえて硬くしている、という風体だ。
「彼女、なんだって?」
「緒方さんには関係ないでしょう」
「ふーん…デートの約束か」
「───緒方さん、」
「時間はあるのか?ちょっと打たないか」
アキラが向けるであろう都合の悪い話を遮る方法も、緒方は良く心得ていた。



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