白河夜船 1 - 5


(1)

―――北斗杯に着ていたスーツは、かなり前から着込んでいる。
もう一着欲しいなあ。仕方ない、デパートに行って購入してくるか。

アキラは早々と手合いを終えて棋院を後にした。
同じくヒカルもアキラと変わらないぐらいの早さで、手合いを終了していた。
「塔矢、これからどうするか?」
「ボクは用事があるから帰るよ」
「ふーん、何の用事だって聞いたら駄目か?」
ヒカルは人懐っこい笑顔をアキラに向けた。
そんなヒカルの笑顔を見てアキラは思わず顔がほころぶ。
「まったくキミには、かなわないなあ。別にたいした用事じゃないんだ。
デパートで新しいスーツを買おうと思って」
「なあ、オレも一緒に行ってもいいだろう?」
「ああ、いいよ」

二人は地下鉄に行き、駅を乗り継いであるデパートに着いた。
アキラはブランドがそろっている階へ行き、迷いもしないでその中の一つの
店に入った。ヒカルも続けてアキラの後について行く。
「いらっしゃいませ塔矢様、今日は何をお求めですか?」
アキラを一目見て店員は、即座にアキラの苗字を言い頭を下げる。
店員の態度からアキラは、ここのブランド店のお得意様だという事がヒカルに
も瞬時に分かった。
アキラは店員が持ってくる数点のスーツを手に取り、少し困惑した表情を見せ
た。
「進藤、このグレーのスーツと、モスグリーンのスーツ、それにベージュの
スーツのどれがいいと思う?」と、アキラはヒカルに尋ねた。
「えー、オレそういうの決めるのって苦手だよ。オマエ顔いいんだから
何着ても似合うんじゃねえのか」


(2)

「おせいじ言っても何も出ないよ、進藤」
冷淡とした口調でアキラは言う。
「うわあ、かわいくねえヤツ」と、ヒカルは不愉快に思ったが口には出さない
で舌打ちした。
結局アキラはグレーのスーツに決めた。
店員は基本である紺やグレーのスーツを着こなしてから、いろんな色合いの
スーツに移ったほうがいいとアドバイスし、アキラに似合うネクタイや
ワイシャツ数点を新たに持ってきた。
「塔矢様は色白ですから何色でも合うのですけど、こちらの紺色のワイシャツ
に合うネクタイは、薄いラベンダー色やチョコレート色の物などがオススメ
です」
「そうですね、ネクタイを変えるだけで印象が違うので、あともう少し他の
ネクタイを見せてもらえませんか」
「かしこまりました」
ヒカルはアキラと店員のやりとりを、少し離れたところで見ていた。
ヒカル自身はブランド店独特の格調高い雰囲気に気おくれしたが、アキラは
堂々と、そしていつもと変わらない様子で自然に振舞っていた。
やっぱりアイツとオレは生活圏がだいぶ違うなあと、ヒカルはついそう思って
しまう。
食事する時もヒカルが選ぶ所へ、アキラが合わせてくれている。
以前ホテルに行った時、事がすんで身支度をしている際、床に銀のネクタイ
ピンが落ちていた。
それを拾いアキラに渡すと、父から譲り受けたものだと嬉しそうに話す様子が
昨日の事のように思い出される。
ネクタイピンは、シルバー製で緑翡翠の石が埋め込まれていた。
アキラの事を知れば知るほど自分との環境の差を激しく痛感し、時々強い不安
にヒカルは陥る。
オレはあんなヤツにつり合う輩なのかという焦りに駆られる事も多かった。


(3)

「―――進藤どうしたんだ、食べないのか?」
「えっ」
「せっかくの料理が冷えちゃうよ」
ヒカルの目の前でアキラがステーキを口に入れている。
アキラはナイフとフォークを音をたてず優雅に動かす。
―――ああ、そうか。オレ、塔矢とメシ食ってたんだ。
ヒカルはアキラの案内でイタリアレストランで夕食をとっていた。
いつもはヒカルの食べたい物をにアキラが付き合っていて、
ファミリーレストランや牛丼屋、ラーメン屋などが、ほとんどだった。
「ここの料理美味しいだろ? お母さんがこの店贔屓で、幼い頃からよく来て
いるんだ。イタリア料理の隠れた名店でもあるしね」
「ああ、美味いよ」
「でもあまり食べていないようだね」
「そっ、そんなことねぇよ、ホラ見ろよ!」
ヒカルはステーキをナイフで大きく切って、口に頬張りムリヤリ笑顔を
つくった。
「何か悩みでもあるのか?」
そんなヒカルの様子をアキラはしばらく眺めて静かに言う。
「別にねえよっ」と、ヒカルは言ったつもりだが口の中が一杯で明確な発言は
無理で、アキラから見ればただモゴモゴと口を動かしているように見え、何を
話しているのか全く理解出来ない。
「だかハ、モゴ・・・・・ゴ・・ハモ・・・・・・・おまえのっ・・・む・・・・・・・グッ」
「進藤・・・、食べるか話すかどちらかにしないか。はたから見てとても見苦しい」
澄ました顔でアキラは品よくステーキを口に運ぶ。

―――ったく、何で塔矢はオレの考えていることが分かるのかなあ?
世の中で一番好きなのは塔矢だけど、また一番怖いのも塔矢だ。


(4)

ムクれて黙々と食べているヒカルにアキラは軽い溜息をつく。
―――進藤は思ったことが顔に出やすいタイプだから、何を考えているのか大抵
検討がつく。そこが可愛いと思えばそうだけど。

やがて夕食が終えた二人は、あるホテルの一室に入った。
「なんか最近、メシ食った後ホテル行くのがパターンになってるな」
ベッドに腰を下ろし、スーツの上着を脱ぐアキラを横目で見ながら、自分の
靴下を脱ぎ始めた。
視界の片隅で上着をハンガーに掛けているアキラが動かなくなり、ヒカルは
靴下を脱ぐ手を止めて、改めてアキラの方へ目を向ける。
アキラはスーツの上着をハンガーに掛け、その前で何か考え込んでいる。
しばらくその様子を見ていたヒカルは、思わずアキラに話しかけた。
「塔矢、また身長が伸びて今のスーツが体に合わなくなったら、オレが新しい
やつ買ってやるよ」
そのヒカルの言葉にアキラは心底驚いたらしく、目を見開く。
「キミはボクの考えていることが何故分かったのか?」
「そりゃ分かるよ、オマエのことだからな」
ニコッと自然に笑うヒカルにアキラは苦笑いする。

―――まったく、何で進藤はボクの心の中が手に取るように分かるのだろうか?
この世で一番大切な人間は勿論進藤だけど、一番厄介なのも進藤なのは
まず間違いない。

「塔矢?」
一向に動こうとしないアキラに痺れをきらし、ヒカルはアキラを背から抱き
しめた。
「今シャワー浴びてくるから、待っていて」
アキラはヒカルに軽くキスをして身を翻し、バスルームの中へ姿を消した。


(5)

しばらくすると白い蒸気と一緒にガウンを着たアキラがバスルームから出て
きた。シャワーを浴びてきてガウンを羽織るアキラは、いつ見ても飽きなく
綺麗だとヒカルは思う。
「進藤、お風呂開いたよ」
「うっ、うん」
ヒカルはバスルームへと足を向けた。
バスルームから出てきたヒカルが一番先に目にしたものは、ベッドの中に何も身に付けていないアキラが膝を抱えている姿だった。
「塔矢・・・・・」
そんなアキラの姿に吸い寄せられるかのように、ヒカルはフラフラとアキラの元に行き、肩に手を置いた。


「塔矢ゴメン、やっばりオレがまた先にイッちゃった」
荒々しく息をしているアキラの首元にヒカルは顔を埋めた。
バツが悪そうにしているヒカルの背中を優しく撫で、アキラはヒカルの前髪に
軽くキスをした。
「いいんだよ、進藤・・・・・。
・・・・・・進藤またすぐ・・・・欲しいんだ・・・・・・・・・・・・・・いい?」
ねだるようにアキラはヒカルの頭を軽く抱き寄せて小さく呟く。
その言葉でヒカルのものは再び熱く高ぶる。
アキラの言葉に答える代わりに、ヒカルはアキラの中へ自分の体の一部を
繋げた。
始めは緩やかに、そして次第に激しくアキラの体を揺さぶり貫く。
ベッドの中のアキラは普段とは全く違っていた。
そこには行為に芯から溺れ浸り、何度もうねりくる恍惚の波に身を震わし
ながら、歓喜の声を絶え間なく張り上げ、悶え狂うアキラの赤裸々な姿が
あった。



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