Today 1 - 5
(1)
一陣の風が吹き渡り、髪をなびかせうなじを撫でて通り抜けていった。
見上げる空は青く高い。
五月の薫風は透き通ってさらりと軽く、それなのに何かが終わってしまった哀しさを感じさせて、小さな感傷に
目を細める。
昨日も見たはずの光景が、昨日とはまるで違って見える。
一日毎に世界は新しく生まれ変わってゆく。
こうして風に吹かれ、流れる雲を見上げ、初夏の風になびく緑に目を細めている間にも、時は過ぎてゆくのだ。
今こうして目に映る鮮やかな新緑も、日毎に色を変え、形を変え、来るべき夏へ向けて成長してゆく。
今日の彼は昨日の彼ではなく、そして明日の自分は今日の自分とはまた変わっているのだろう。
時は止まらない。
過ぎ去っていってしまったものは二度と帰らない。
どれ程、昨日の自分を懐かしんだしても、どれ程失くしてしまったひとを惜しんだしても、そしてどれ程、自分が
変えてしまったひとを、変わる前のその人を思ったとしても、取り戻せるものは何一つない。
吹き抜けていった風を掴まえることなどできないように、過ぎてしまった時を戻すことはできない。
時は常に過去から現在へと、ただ、前に向かってしか流れない。
見つめる先に何があるのかはわからない。
未来に待ち構えているものなど見えない。
確かなものなど何一つない。
それでも。
だからこそ。
風に抗うように顔を上げ、未来を見つめる。
(2)
彼は変わったのだろうか。
変わってしまったと、思った。
自分が変えてしまったのかもしれないと、感じていた。
昨夜の出来事は、自分も、彼も、すっかり変えてしまったろうと、思っていた。
昨晩のことは、自分でも理解できない。
暗い夜の中に、自分の知らない、見たこともない彼がいた。
手を伸ばしたのが、彼と、自分とどちらが先だったかはわからない。
触れるのを邪魔するものを取り去ろうと動いた手が、どちらのものだったかはわからない。
ただ、彼の全てを感じたいと思った。自分の全てを感じてほしいと思った。
闇に白く浮かぶ彼の裸体を目にして、その滑らかな肌に触れて、熱い身体を抱きしめて、これこそが望んで
いたことなのだと心が叫んでいた。
これこそが、ずっと欲していたものなのだと、身体が歓喜に震えた。
愛の言葉さえなく、ただ肌を触れ合わせ、身体を交え、体液を迸らせた。
理由もわからずに、けれどそうするのが自然なことのように、いや、それはしなければならない事であるか
のように、互いの身体を曝け出し、暴き合い、隅の隅まで、流れる髪の一本一本から、足の指の爪先まで、
確かめ合った。
自分と同じ男の身体に、なぜ自分はこうも欲情しているのだろうなどという疑問すら感じる隙もなかった。
ただ、何かに突き上げられるように互いの全身を、身体の覆う皮膚から内部に通じる粘膜まで、確かめ合
い、貪りあった。
そうして身体を交わしても、言葉は何一つ交わさなかった。
それでも。
最後に細い悲鳴を上げながら四肢を痙攣させて果てた彼は、その悲鳴に紛れて自分の名を呼んではいな
かったか。
そして、そんな彼のさまを感じながら、焼け付く想いを解き放つように彼の最奥に欲望を放ちながら、自分も
また彼の名を呼んではいなかったか。
(3)
わからない。
耳に聞こえた声は真実彼の声なのか、自分が欲したゆえの幻の声を聞いたように思っただけなのか、自分
は確かに彼の名を発したのか、それとも声に出さずに心の中で呼んだだけだったのか。
わからない。確かなことなど何一つない。
熱に支配されていた脳の記憶は曖昧で、確かなことはたった一つ、彼を抱いたということだけだった。
そうして支配する熱のままに欲望を吐き出した後は泥のような眠りに引き込まれ、次に目にしたものは、ま
るで何もなかったかのように朝陽を受けて静かに眠る彼の白い顔だった。
目覚めて顔をあわせても、昨夜のことは何一つ言葉にしなかった。
艶やかな黒い髪も、白く秀麗な顔も、何一つ変わったところなど無いように見えた。
それでも、彼も、自分も、何もかも変わってしまったように感じた。
彼も、自分も、昨日までの何も知らない自分たちとは遠く離れてしまったような気がした。
けれど変わったものなど何一つなかったのかもしれない。
(4)
五月の風が荒っぽく頬をたたき、髪を散らす。
何も変わらない。
変わったことなど一つも無い。
歩みは止めない。
ただ、前だけを見据えて、
風の吹く方向に顔を向けて、
どこに繋がるかわからない未来へと、歩いてゆくしかない。
遠い未来がどこにあるかは知らない。
今ここに存在する自分にどんな価値があるかはわからない。
今ここに、彼と二人並んで立っていることに、どんな意味があるかはわからない。
これからも、交わす言葉などないのかもしれない。
それでも、自分は今ここにいて、共に並び立つ彼を感じている。
それだけでいい。
(5)
歩き出した足をまた止めて、立ち止まり、顔を上げ、吹き抜ける風を感じながら、未来を見つめる。
世界を照らす太陽を見つめる。
世界は光に満ちている。
風はいつでも吹き抜け、とどまる事を知らない。
だからオレは、いつでもまた、新たな一歩を踏み出す。
それはいつも同じ一歩で、そしていつも新しい一歩だ。
進む道がどこへ向かうのかはわからない。
目指す場所に何があるのかはわからない。
今ここに、オレと一緒に風を見ているおまえが、この先もずっとオレと同じものを見つめ続けるなんて保証
はどこにもない。
けれどそれでも、何の保証もなくても、約束された言葉の一つもなくても、それでも信じられるものがある。
オレ達は毎日新しく生まれ変わり、そして今日のオレは昨日のオレとは違うオレになって、明日のおまえは
今日のおまえとは別のおまえになるだろう。
新しく生まれ変わりながら、それでも変わらないオレと、変わらないおまえは、やっぱりこうして未来を見つ
めるだろう。
共に風を感じるだろう。
同じ光を浴びるだろう。
そうして、終わりのない道への一歩を、また、踏み出すだろう。
終わりなどない。
終わるものなど、何一つない。
世界は常に、新しく生まれ変わり続けるのだから。
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