Trick or Treat! 1 - 5


(1)
ある日いつものように研究会のため師匠の家を訪れると、玄関先に見慣れない
目と口のついたオレンジ色の物体がデンと据えられてあった。
「・・・カボチャ?」
「あら、緒方さんいらっしゃい。電車、人身事故ですって?大変だったわね」
台所から明子夫人がいつも通りのおっとりした空気を纏って現れた。
「あ、こんにちは。すみません、もう始まってますか」
慌てて靴を脱ぐ若い門下生の前にスリッパを揃えながら、夫人は溜め息をついた。
「いいえ、まだなの。うちの人ったら朝出かけたまま、まだ戻っていなくって」
「え。どちらへ行かれたんですか」
研究会の日に師匠が家を空けているのは珍しい。
「何でもね、麻布のほうに一軒、とっても可愛いお菓子を売ってるお店が
あるんですって。今朝隣のご主人にその話を聞いて、今から行けば研究会までには
戻って来られるからって、あの人飛び出して行っちゃって。でも、行ってみたら
お昼から焼きあがる限定商品があるみたいで、その写真がとっても可愛くて。
どうしてもそれを買って帰りたいから少し遅れるって、さっき電話があった所なの。
ごめんなさいね、皆さんにせっかく集まっていただいてるのに、我儘で」
「あ、いえ。・・・・・・?」
どうも話がよく掴めない。菓子一つのために奔走する師匠の姿が想像出来ず、
緒方は首を傾げた。
その視線が自然と派手なオレンジ色の物体に戻ったのに気づいて、夫人が言った。
「それね、ハロウィンのカボチャなの」
「ああ」
そんな行事もあった気がする。


(2)
「うちでは、特にこんな物を飾ったことはなかったんだけれど・・・幼稚園にお化けや
カボチャのお飾りがしてあるらしくて、アキラさんがうちでもやりたい〜って言う
ものだから」
下手をすれば緒方よりも年下に見える夫人は少女のような仕草で片手を腰に当て、
片手でお化けカボチャの頭をよしよしと軽く撫でた。
「アキラくん、元気にしてますか」
「ええ、最近は幼稚園で色々なことを覚えてくるのよ。先生に教わるのも勿論だけれど、
お友達のやってることを見て真似したり。・・・後であの子がそちらに行くと思うから、
少しだけ相手をしてやって頂戴ね。皆さん碁のお勉強のためにいらしてるのに、
子供の相手をさせてしまって申し訳ないんだけれど・・・」
「?はい」

襖を開けると見慣れた面々が既に碁盤を囲んでわいわいやっていた。
「よっ、緒方くん。社長出勤だね」
「すみません、電車が遅れて」
「あっ、緒方さんこんにちは!これ緒方さんの分です!ハイ」
「何だ?芦原・・・」
渡されたのは小さなキャラメルの箱が一つと、綺麗な薄い色付きハッカ飴が一掴みだった。
「これ、後でアキラくんが来たら渡してあげてくださいって、明子さんが」
自分の持ち分らしい、おしゃぶり型の棒付きキャンディとボーロの袋を
パサパサ振ってみせながら芦原が爽やかに言った。
「アキラくんに?」
「そうです、あっ、知らないですか?外国の風習で、ハロウィンの日に子供が
お化けとか魔女の格好して、近所を回ってお菓子を貰うんだそうです。ちゃんと台詞が
決まってて、確か――」

「とりっく・おあ・とりーと!」
よく通る高い声が響いた。
部屋中の視線を集めたそこには、緒方がさっき見たのと同じカボチャの顔をして、
ぎらりと光る大鎌を持った、小さなお化けが立っていた。


(3)
「うわぁ、お化けが出たぁ」
「お助けぇー!」
大袈裟に怖がってみせる一同の姿と、中絶した芦原の解説を総合して緒方はやっと
状況を理解した。
どうやらここはこの「お化け」に菓子を渡して、命乞いをしなければならないらしい。
襖の取っ手辺りまでしか背丈がないその小さなお化けは、子供用と思われるオレンジ色の
カボチャのお面を着け、照る照る坊主のように白いシーツを体に巻きつけてズルズルと
引きずっている。
手にした大鎌はよく見ると紙製で、台所用ラップの芯と思しき筒を黒いマジックで
塗り潰した柄に、銀紙を貼った三日月形の「刃」をセロハンテープで固定したものだ。
お面の周りを縁取る特徴的な髪形と、シーツの端にマジックで書かれた
「とうや アキラ」の文字は・・・見ないふりをすべきなのだろう。

「とりっく・おあ・とりーと!」
大人たちに怖がられてノッてきたのか、小さなお化けは精一杯恐ろしげな低い声で叫んで、シュッ・・・シュッ・・・と見得を切るように大鎌を左右に振ってみせた。
刃の部分が襖に当たってパコンと軽い音を立てる。中身は恐らくダンボール製だろうと
緒方は見当をつけた。
凄みを利かせた声で、お化けはご丁寧にも日本語で繰り返した。
「おかしをくれなきゃ、いたずらするぞ!」
「あげますあげます。だから、悪戯しないでください。これから研究会があるんです」
一番年嵩の棋士がそう言って小さな海苔あられの袋と、蜜柑を二つ差し出すと、
お化けは「それでいいんです」と偉そうに頷きながら何故か大鎌を襖に立てかけ、
シーツの中で何やらもぞもぞ身をくねらせ始めた。


(4)
「?」
一同が怪訝な顔で見守る中、お化けはシーツの中から小さなナップサックを取り出した。
暖色系の格子柄に木の葉やドングリの刺繍が施された、子供用にしては洒落た
デザインのそれは、この家の一人息子愛用の品だ。
ナップサックの蓋を開き口を大きく広げながら、お化けは怖い声で
「この中に入れてください!」と言った。
「あ〜あ、これおやつに食べようと思ってたのになぁ〜」
一番年嵩の棋士が大袈裟に惜しがってみせながら蜜柑と海苔あられを入れると、
お化けはピョコンと頭を下げて「ありがとう・・・」と言った。
さっきまで大鎌を振るって人間たちを脅かしていたにしては腰が低い。
顔を上げるとお化けは再び偉そうに胸を張り、蜜柑とあられの入ったナップサックを
揺すってみせて言った。
「他の人もここにおかしを入れてください!」
「はいっ。入れます!」
「オレも」
「ボクも」
「それでいいんです」
満足そうに頷いて、お化けはナップサックを揺すりながら大人たちの間を縫って歩いた。
黒糖飴に牛乳ビスケット、蒟蒻ゼリーに醤油煎餅に栗饅頭、乾燥梅。
大人たちが菓子を入れてやるたびにお化けは「ありがとう」とピョコンと頭を下げる。
この光景、何かに似ている・・・と緒方が首を捻った横で、芦原がボソッと
「募金みたいっすね」
と呟いた。


(5)
シーツをズルズル引きずって、お化けは最後の二人の前に立った。
裾からクマ模様の小さな靴下が除いている。
「とりっく・おあ・とりーと!」
差し出されたナップサックは、既に詰め込まれた菓子ででっぷりと太っている。
芦原は泣き真似をしながらボーロの袋とおしゃぶり型キャンディーをその中に入れた。
「ああー・・・これ、後でアキラくんにあげようと思ってたのになぁ・・・」
「エッ。・・・じゃあ、もう一つ同じおかしを買ってアキラくんにあげなさい。
・・・あなたで最後です!とりっく・おあ・とりーと!」
芦原の菓子をせしめてから、お化けは最後の一人となった緒方のほうに向き直り
ナップサックを差し出した。

――さて、どうしたものかな。
緒方は手の中のハッカ飴とキャラメルの箱を見遣った。
お化けが待ち受けたようにナップサックの口をこちらに向ける。
ふと、これを遣らなかったらどうなるのだろうという考えが湧いて起こった。
そこで緒方は菓子をゆっくり袋に入れる振りをした後、サッと手をUターンさせた。
Uターンの瞬間、お化けが「ぁ、・・・」と小さな声を上げた。

「な、何やってんですか緒方さん!早くあげたほうがいいですよ」
芦原が脇を突っつく。
「いや、まだだ」
緒方は澄まして見せびらかすように菓子を顔の前で振ってみせ、
顔の見えないお化けに向かってニヤッと笑いかけた。
「Trick or Treat、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ――か。なら、これを
遣らなかったらオレは何をされちまうんだ?・・・是非とも、知りたいね」



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル