昼食編 1 - 5
(1)
エレベーターの中でキスしたのはちょっとしたイタズラ心もあった。
塔矢が言ってくれた事が嬉しくて、こんな風に軽口を叩けるのが嬉しくて、でもそれ以上追求される
のも困って、半分照れ隠しのように、勢いで唇を塞いだ。
きっかけはそんなだったのに、触れてしまったら離せなくなった。
一瞬、何が起きたのかわからないって感じで目を丸くさせてる塔矢が、急にカワイイと思った。
さっきまで目を吊り上げて歯をむき出しにして「話せ!」なんて言ってたのが、急に怯えたみたいな
目をして、弱々しく「やめろ…」なんて言うのを耳にしたら、もう絶対に放したくない、そう思った。
だからふざけてるようなフリをして強引に手を掴んで引っ張って行った。
昼ご飯を食べながら、向かいに座っている塔矢が静かにコーヒーを飲んでるのをチラッと見たら、
カップにつけられた紅い唇に目が行ってしまって、ドキッとした。
なんか、こう、普通にコーヒー飲んでるだけなのに、なんか、様になってるって言うか、絵になるって
言うか、コイツって、なんか、すげーキレイだ。
「進藤?」
「え?」
「食べないのか?」
気付いたら手が止まってしまっていたらしい。
慌てて残りをかきこみながら、それでも、チラチラと塔矢を盗み見た。
優雅にカップと皿を持つ白く長い指。
すっと伸びた背筋。
俯いた時にサラリと零れる黒髪。
そして、あの、唇。
(2)
オレ、なんて事しちゃったんだろう。
あの唇に。
あの、キレイな唇に。
柔らかかった。
柔らかくて、気持ちよくて、ずっとこうしていたい、そう思った。
あれって、オレ、ファーストキス、だよな。
なんでよりによってファーストキスの相手が塔矢なんだ?
しかも、オレの方からしたんだよな。
なんかおかしい。どうかしてる、オレ。
さっきから、なんかコイツから目が離せないし。
なんだかドキドキするし。
コイツがやたらキレイに見えてしょうがないし。
(3)
視線に気付いたのか、アキラが、なんだ?という様な目でヒカルを見返した。
急に目があってしまってギョッとしたヒカルは、誤魔化すように、ヘヘヘ、と照れ笑いをした。
意味がわからずに怪訝そうな顔をしたアキラがなんだか可愛く見えて、にやっと笑いかけてやったら、
アキラは更に厳しい顔になった。それが可笑しくて、ヒカルはぷっと吹き出してしまった。
「進藤!何がおかしいんだ!」
ダン!とテーブルに手をついて立ち上がったアキラに、ヒカルは声をたてて笑い出した。
「進藤!笑ってないで、何か言え!」
「ハ、ハハ、と、塔矢、オマエ、面白すぎ…」
「何を!ヘンなのはキミだろう!何もないのに急に笑い出すな!」
大声で怒鳴りつけるアキラと、おなかを抱えて笑っているヒカルが棋院ロビーに引き続き、ここでも
また注目の的になってしまっている事に二人は気付いていない。
「…なんなんだ、キミは。さっきから人のことじろじろと見た挙句、そのバカ笑いは。」
怒りを抑えようとしながら、アキラがヒカルに詰め寄って凄む。
「ボクの顔に何かついてるとでも言うのか。」
「ち、ちが…」
ヒカルは必死に笑いをこらえようとしながら言う。
「違うんだ。なんか、ただ…」
ふっと笑いやんだヒカルは、深呼吸してから、アキラを見つめて言った。
「ただ、そう、オマエってキレーなんだなーって、見惚れてただけ。」
騒がしい二人組みに注目していた周囲の客や店員にも、しっかりとこの台詞は聞こえていた。
アキラの顔がみるみる朱に染まり、こぶしを握り締めた手はふるふると震えている。
「………ふざけるなっ!!」
(4)
アキラの怒鳴り声は店内余す所無く響き渡った。
店内が静まり返ってしまった事にも、また、自分が店中の視線を集めている事にも、アキラは気付いていない。
(注目されるのに慣れているというのも、恐ろしいものかもしれない。)
もはや周囲は固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた。
「キミはボクを馬鹿にしてるのか?からかってるつもりなのか?」
「何で…怒るんだよ。」
ムッとした顔で、ヒカルはアキラを見上げた。
「…キレイだって褒めたのに、なんで怒んの。」
「…っ……」
一瞬、言葉に詰まったアキラは、それでも何とか言い返そうとする。
「それじゃ…それじゃあ、何で笑うんだ…!」
「え…なんでって…なんかオマエがあんまり真剣っぽいからカワイイなー、と思って。」
「かっ、かわ……男に向かって可愛いなんていうな!」
「…だってホントにカワイイって思ったんだもん。」
ぎろりと睨みつけるアキラの視線をものともせずにヒカルは言う。
「やー、オレも気が付かなかったんだけどさー、塔矢って結構カワイイよなー。うん。
そうやってすぐ怒鳴るのも怖えと思ってたけど、カワイイ奴ー、って思えばヘイキだし。」
「…やっぱり、からかってるんじゃないか…っ!」
――やっぱりカワイイぞ。すげえカワイイぞ。どうしよう、オレ。
塔矢がこんなにカワイイ奴だなんて、知らなかった。
なんかこれって…ちょいヤバくねぇ?
などと妙に浮かれた気分でアキラを見ていることなんて、アキラが気付くはずも無い。
返す言葉を見つけられずにいるアキラを、にこにこ笑いながら見ていたヒカルだが、突然、壁面の
時計が目に入った。
「あ、ヤベェ、もう時間じゃん。行くぞ。」
慌ててヒカルは立ち上がり、リュックを肩にかけ卓上の伝票を手に、出入り口へ向かう。
「え………進藤、待て…!」
(5)
「お会計、○○○○円になります。」
涼やかに言う店員に、ヒカルが財布からお金を出そうとすると、追いついたアキラがヒカルの肩を掴む。
「ちょっと待て、進藤、ボクの分…」
「いいよ。」
「いいよってどういう事だ。」
「無理言ってつき合わせたんだし、奢るよ。」
「キミに奢ってもらう筋合いなんか無い。
すみません、コーヒー、おいくらでしたか。」
「え?はい?」
店員がアキラとヒカルを交互に見、困ったような顔のヒカルと依然ムッとした顔を崩さないアキラに、
思わず噴出しそうになるのをこらえながら、ビジネススマイルで彼女は言う。
「○○○円ですけど。」
それを聞いてアキラは財布を開く。
「えー、塔矢ぁ、いいって言ってるじゃん…」
「キミに借りなんか作りたくない。」
ヒカルを横目でチラリと見て、アキラは冷たく言い放ち、
「ボクの分。」
と、財布から出したお金をレジ横の皿に置き、そのまますたすたと店を出て行った。
「え、おい、塔矢、」
仕方が無いので、ヒカルはそれに自分の分を足して、レジに差し出した。
店員はにこやかにそれを受け取り、お釣りとレシートをヒカルに渡しながら言う。
「はい、×××円のお返しです。
それからこれ、サービス券。また来てね。それと…」
彼女はふふっと小さく笑って、言い足した。
「頑張ってね。」
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