アキラとヒカル−湯煙旅情編− 1 - 5


(1)
「いい部屋だね」
窓から外の渓流を眺めていたアキラが振り返る。
「気に入ったか?高かったんだからな〜!」
「だからボクも払うって言ってるのに。」
「いいよ、オレが全部払うの。」
「なんで、君が払うのさ。」
「るせーな。」
大人の男だったら部屋の料金の高い低いなどと口にしないものだが、ヒカルはアキラとの初めての旅行にどれだけ自分が奮発したかを言いたくてたまらない。
それだけこの旅行に気合を入れているということなのだが・・・。
塔矢からの告白を切っ掛けに付き合い始めて早3ヶ月が立とうとしているが、二人の恋人関係はまだぎこちなく、デートらしいデートをした事もない。
いつもの碁会所で打った後、別れ際にするキスがイベントに追加されたぐらいだった。 
それも自分よりもちょっと背の高い塔矢がリードしている・・・ヒカルにはそれが不満だった。


(2)
アキラを意識するようになってから、ヒカルは毎晩塔矢を思い、妄想の中の彼を抱いた。
妄想の中のアキラは切なげな表情でヒカルを呼び、激しくヒカルにしがみ付いてきた。
「あいつもオレを抱いてんのかなあ、なんかそれっぽいよな。」
妄想の中の塔矢ではなく、本物の塔矢を抱きたいという思いとともに、二人の立場をハッキリさせたい、という狙いがこの旅行にはあった。
「塔矢」
窓際で佇むアキラを後ろから抱きすくめ、髪に顔を埋める。塔矢の髪の香り、いい匂いだ・・・ヒカルは急激に高まった自身をアキラの腰に擦り付けながら、そのうなじに口づけた。
「あ・・・ちょっ・・・進藤っ。」
「失礼いたします――。」
仲居さんの声に、アキラはヒカルを突き飛ばし、ヒカルはその拍子に畳にしりもちをついた。
「イテテテテ・・・。」
「お茶お持ちいたしました―、あれ、どうなさいました?」
「いやーなんか腰いてーかなー、なんて、ハハハ。」
そういえば、すぐお茶持ってくるって言ってたな・・・。
ヒカルはまだ熱を持つ分身を座布団でカムフラージュした。
「ここの温泉は腰痛にも良く効きますから、入られるとよろしいですよ。」
「温泉かぁ―あとで一緒に入ろうぜぇ塔矢。」
見ると、アキラは顔を赤らめている。
なんか可愛くないか?今日の塔矢・・・ヒカルは口元が自然と緩んでくるのを感じていた。
これから起るであろうイベントの数々・・・それらがヒカルの胸を期待とちょっぴりの不安でとくとくと高鳴らせているのであった。


(3)
「ええ―、釣りー?」ヒカルが不満そうな声を上げる。
「やんの?マジで?」
「だって面白そうじゃない?ボク一度やってみたかったんだ。それに夕食までにはまだ時間があるし。」
なんだかさっき仲居さんと長話してると思ったらこれだったのか・・・。
夕食までの間ずっとアキラと部屋で過ごしたかったヒカルは面白くない。
ぶつくさ言ってみたがアキラは乗り気で、1人でも出かける勢いだ。
仕方ない、大魚でも釣ってカッコイイとこ見せるか;・・・ヒカルは重い腰を上げた。
「旅館の傍の渓流で釣れるんだよ。」
なんだか子供のようにはしゃいでいるアキラを見るのも悪くない。
フロントで釣竿を借りて餌を買うと、二人は旅館の下の渓流に降りていった。
「なにが釣れるんだ?。」
「今の時期だと山女とか岩魚が釣れるらしいよ。釣れたら夕食で塩焼きにして出してくれるらしい。」
「ふうん。」
餌袋を開いてみて思わずヒカルは袋を投げ出した。
「な、なんだよ、これ。」
「ナニって、餌だよ。」
アキラは顔色を変えずに袋からニョロニョロと這い出てこようとするミミズを袋に戻しいれた。
ヒカルはルアーフィッシングしかした事がなかった。
アキラは餌袋からミミズを一匹取り出しごめんなさい、と頭を下げると、釣り針に波縫いのように縫い付けていった。
「おまえ、手馴れてるな・・・。」
「小さい頃緒方さんに釣堀センターに連れていってもらった事があるんだけど、その時のボクはミミズが可哀想で緒方さんがやるのを見ているだけだったんだ。だけど、ごめんなさいって言えばミミズは許してくれるんだって緒方さんは言っていた。」
ミミズを縫いつけながら思い出に酔いしれている風情のアキラを、複雑な面持ちで見つめながら、ヒカルは恐る恐る餌袋に手を伸ばした。
「うっ・・・」餌袋の中でも一番大きいヤツがヒカルの人差し指に絡み付いてきた。
「ボク・・・付けてあげようか?」
アキラが心配そうにこちらを見ている。
「何言ってんだよ、こんなのどおってことねえよ。」
作り笑いを浮かべながら、ヒカルは太ったミミズを釣り針に縫い付けていった。


(4)
「色の深い所とか流れが溜まってるな所に投げるといいんだって。」
最初は乗り気でなかったヒカルだが、やってみると楽しかった、何でも楽しいのかもしれない、アキラと一緒なら。
囲碁以外のことを二人でしているのはとても新鮮だった。囲碁をしていない時のアキラには案外のんびり屋で天然な部分があることも発見した。
ヒカルには何度かあたりがあり、一度逃がしたが、3匹の収穫があった。
「コレ、岩魚かな?」
「さあ?塩焼きにしたら美味そうだな。」
上機嫌で釣り糸を投げる。いつの間にか日が翳っている、結構時間経ってるんだ・・・夕食の前に塔矢と風呂入りたかったんだけどな・・・今からじゃ無理か?そんなことを考えているとまた、あたりを感じた
・・・と思ったら、誰かの釣り糸にヒカルが絡めてしまったらしい。
あわてて絡みを解こうと、竿を回したり引き上げたりしてみるが、絡みは一向に解けない。
程なく絡まれた釣り糸に釣られた人物が現れた。
「おい、オレ釣ってどうするよ、進藤。」
逆光で顔は良く見えなかったがヒカルには声の主がすぐに判った。
「加賀ぁ?」
ヒカルが釣ったのは加賀鉄男だった、その後ろから筒井の笑顔も見えた。


(5)
「なんだ、宿も同じじゃねえか。」
「すごい偶然だね。」筒井の笑顔も、ぜんぜん変わらない。ヒカルは囲碁部で筒井達と頑張っていた頃の空気を懐かしく思い出していた。あの頃はアキラはまだ自分の空気の中にはいなかった。
「・・・と、あの・・・こっち塔矢アキラ・・・筒井さんは知ってるよね。塔矢、囲碁部の先輩の筒井さんと、将棋部の加賀。」
加賀とアキラに因縁がある事は、ヒカルの頭からはすっかり抜け落ちていた。
それでも全く支障はなかった。当のアキラ自身、加賀を覚えてないのか、まっすぐ加賀と筒井を見ると「塔矢アキラです」、と会釈しただけだった。加賀は加賀でそのことを気にする風でもない。
「ふーん、しかし変わった組み合わせだな。」顎に手を当ててにんまりとしている。
筒井は筒井で、あの塔矢アキラが釣りを、とか何とか言って少々興奮ぎみだ。
「釣れたのか?」
ヒカルはどんなもんだというように魚をみせた。
「ウグイか・・・これは食っても美味くねえぞ、逃がしてやれや」
「そういう加賀はどうなんだよぅ」少々拗ねたヒカルが問う。
加賀のバケツの中には綺麗な魚が3匹泳いでいた。
「ちょい前までまづめ時だったからな、いっきに釣った・・・美味いぞ、おまえらにも食わせてやる。」



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