雪の日の幻想 1 - 5


(1)
昼前に降り始めた雪は、空が明るさを失い始めても尚、降り止む気配を見せなかった。
白く冷えた空気の中、降る雪は音もなく舞い落ち、風景を白く覆い尽くしていく。
だが、空調の効いた室内にいる分には、その雪を実感として感じる事はない。それでも特に用事の
ない日とあっては、わざわざ外出する気にもならず、溜まっていた棋譜整理などしているうちに、
もう夕方近くになってしまった。
ブラインドをあげて窓の外を見下ろすと、この部屋よりも高さの低い建物の屋根は白い雪に覆われ、
遥か下方に見える道路には雪を乗せた車が走り過ぎていく。
見上げると上空はどんよりと重たい灰色の雲に覆われていて、そこからはふわふわと雪が舞い落
ちてきている。窓の向こうで中空に舞う雪は、下方に向かって落ちながらも、時に、わずかな風にも
煽られて舞い上がる。
ふわりと浮き上がりながら、それでも重力には抗いきれずに、全体的にはゆっくりと落ちていく雪を
眺めていると、いつの間にか自分の身体が無重力空間に漂いながら天へと上昇していくような、そ
んな不思議な浮遊感にとらわれる。一瞬、くらりと眩暈を感じて、無理矢理に雪の舞い狂う窓から
視線を切り離した。
雪に酔うくらいなら、いっそアルコールに酔ってしまおうか、そう思ってキッチンへと向かう。
冷凍庫から霜の付きかけたウォッカの瓶を取り、ショットグラスと更にミネラルウォーターの小瓶を手
に寝室へ戻り、サイドテーブルと椅子を窓際にしつらえて座り込む。冷え切った瓶からショットグラス
に瓶の中身を注ぐと、トロリとした液体がグラスに落ちる。キュッと瓶の蓋を閉じ、それから注いだ酒
を一気に呷る。胃に火がつき、次の瞬間、身体がカッと熱くなるのを感じる。空になったグラスにもう
一度酒を注ぎ、今度は一口、口に含み、ゆっくりと飲み下す。
それからまた、窓の外へ目を向けた。
若干、細かくなったように思える雪が、けれどやまずに降り続けていた。
スローモーションのように落ちていく雪は、見飽きるという事がない。
体内を焼くような火酒を少しずつ呷りながら降り止まぬ雪を見ていると、アルコールの作用と無重力
に舞う雪に幻惑される。ひとたび瞼を落とすと、もう一度持ち上げるにはそれは重すぎて、そのまま
椅子にもたれながら目を閉じたまま、深く息をはいた。


(2)
  ……さん?…
誰かに呼ばれたような気がした。この部屋には誰もいない筈なのに。
  ……緒方さん?…こんな所でうたた寝をしていると風邪をひきますよ…?
懐かしい、柔らかな少年の声。
  ああ、アキラ、寝てるわけじゃない、ただ、ちょっと……
声に出さずに応えながら、けれどこれが現実のアキラの筈がない、と、わかっていた。
彼はもうこの部屋へは来ない。
いや、来たとしても、こんな風にオレに向かって優しい声をかけることなんてなかった。オレの名を呼
ぶ事なんてなかった。それなのに、まだ、オレの未練はこんな幻をオレに見せつける。
それともこの声の記憶は更に前の、この部屋でなく、彼の家での記憶だろうか。研究会に限らず、
オレは昔はよくあの家に入り浸っていた頃があった。あれはオレが彼の信頼を失う前。まだ幼さの残
るアキラと、あの庭に降り積もっていく雪を眺めていた事もあった。
けれどそれも過ぎ去った日々。失われたものは二度と帰っては来ない。
  …緒方さん…?
それなのに、幻の声が、再度、呼びかける。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、果たしてそこには良く知っている少年の顔が、心配そうに自分を覗き込
んでいた。至近距離で見つめている、底のしれないような真っ黒な瞳。
思わず手を差し伸べると、サラサラとした黒髪が手を撫でる。両の頬を包み込むようにして彼の顔を
捕らえると、アキラはゆっくりと微笑んだ。そのまま顔を引き寄せ、ほころびかけた唇にそっと触れる。
触れた時は冷たかった唇だが、その中は驚くほど熱い。その熱い口内を思う様蹂躙し、舌を絡めとり、
吸い上げる。深い口づけを与えるうちに彼の身体から力が抜けてゆき、その体重をそのまま自分に
預けてくる。ほっそりとした身体を抱きとめながら、この重みが、この熱が、幻のはずがない、と、熱
にうかされたような頭の隅でそんな事を考える。
目を開けると、頬を軽く上気させ、息を乱しながら、潤んだ瞳で見つめ返すアキラがそこにいた。
彼がそこにいる事を確認するように、しっかりと彼の身体を抱き寄せながら、荒い息の残る唇にもう一
度、唇を寄せていった。


(3)
深く長い口づけのあと、ようやっと顔を離し目を開けて、白いシーツの上に横たえられた彼の裸身を、
今更のように眺める。
雪のように白い肌。その白さを一際、際立たせるような漆黒の髪が扇状に広がっている。そして、その
白と黒のコントラストを引き立てるように、唇だけが、紅い。更に胸元の二つの淡紅色の突起。滑らか
な胸部から腹部にかけてのわずかな翳り。まるで美しく精巧な彫像のような美をたたえたこの身体は、
けれど確かにその奥に熱いエネルギーを蓄えており、また、この裸身が人造の彫像ではない証拠に、
胸部は呼吸に伴ってわずかに上下し、更に先程の口づけの余韻と見つめる視線に、股間のそれは形
を変えて勃ち上がり始めている。
この白い肌がどんなに滑らかか、良く知っている。それを再確認するように、すっと手を滑らせる。記憶
の通りにしっとりと吸い付くようなその肌触りに目が眩みそうだ。
誰の足跡もない雪原を踏み荒らすように、白い胸元に口づけ、紅い跡を散らす。
ひんやりと冷たい皮膚の表面は触れた箇所から熱く燃えあがり、白い肌は薔薇色に染まり、彼の口
からは熱い吐息が漏れる。
  …あ…あぁ……
淡紅色に色づいた突起を口に含み舌で転がすと、慣れたはずの快感にくっと息を飲み、その刺激から
逃げ出すように身を捩り、ぎゅっとシーツを握り締める。
我慢しなくてもいい、そう耳元で囁くのに、彼は小さく頭を振って、漏れかける声を、それでもこらえよう
とする。けれどもっと声が聞きたくて、もう片方の突起を空いた手で弄りながら、口に含んだそれにキツ
めに歯を立てる。
  …や…やぁっ……
思わず漏れた小さな悲鳴が、緒方を昂ぶらせる。執拗に、しかし巧みに緩急の波を混ぜながら、その
箇所に刺激を与え続けていく。
  …んっ……はぁ……ぁ…ん…
次第に吐息には甘やかな艶が混ざり、艶を含んだすすり泣くような喘ぎ声に変わっていく。
その声に、自分の下でもがく細い身体の動きに、いつしか夢中になる。


(4)
指を呑み込んだ彼の内部は熱く絡み付きながら、更なる刺激を求めるように収縮している。涙を零し
ながらいやいやするように頭を振る彼の頬は赤く紅潮し、常であれば厳しく引き締められている美し
い唇はもはや閉じる事ができず、泣き声にも似た喘ぎを絶えず漏らしている。そんな彼の痴態が、
後孔を弄る粘液質な音が、緒方を揺さぶり追い詰めていく。もはや、こちらの方も限界が近い。指を
引き抜き、ヒクヒクと震えるそこに張り詰めた自分自身をあてがうと、彼の身体が一瞬、怯えたよう
に震えた。
  …アキラ…
宥めるように耳元で彼の名を囁きながらそのままぐっと押し進めると、彼はまるで初めて受け入れ
た時のようにぎゅっと目を瞑り、肩を強く握り締めてきた。そんなに強張らないで、そう伝えようと、唇
にそっと触れ、それからきつく閉じられた眦から滲んだ涙をそっと舐め取る。
  …アキラ…
もう一度、できるだけ優しく、耳元で名前を呼ぶと、彼は弱々しく目を開け、不安に濡れた瞳で見上
げてくる。
  …がた…さ…ん…
震える唇が己の名を呼ぶように動く。宥めるようにそこに唇を重ね、更に腰を進める。
  あ、あぁあっー…
けれど悲鳴はそのまま口内に封じ込められる。弓なりに反った背を抱きながら、アキラの中で緒方
が動き始める。
雪のようにひんやりとしていた身体は今、自分の腕の中で、燃えるように熱い。声を出すまいと噛み
締められていた唇は、もはやそれを抑えようという意思さえ保てずに、体を揺する律動にあわせて、
甘い泣き声を聞かせる。強く突き上げると、その声が一際高くなり、それが更に緒方を煽り、緒方は
いっそう猛々しく彼の内部に欲望を打ち付けていった。


(5)
余韻に震え、脱力したように四肢を投げ出された白い身体を見下ろしてから、乱れた髪をはらい、
こぼれ落ちた涙を唇で吸い取る。顔に落ちる唇の感覚にぴくりと震え、それから羞恥から逃げる
ように顔を横向ける彼が愛おしくて、頬にそっと口づけを落とした。
  …アキラ…愛してる……
一人呟くようにこぼれた声に、思いがけず返答が帰ってくる。
  …ボクも……
驚きに目を見開いて身体の下のアキラを見下ろすと、迷いのない黒い瞳が見上げている。
  …好き。緒方さん。
はっきりと、唇がそう動くのを見た。
不覚にも涙が滲みそうになるのを感じながら、それを隠すように彼の頭を胸に抱え込む。
彼をつぶしてしまわないように、彼の頭を抱いたまま、仰のいてベッドに横たわる。胸元に顔を埋
めた彼の頭から、こぼれ落ちる髪の感触が心地良い。その艶やかな彼の黒髪を、慈しむように、
愛おしむように、ゆっくりと撫でる。体にかかる彼の体重を感じながら、彼はこんなにも軽かった
だろうか、と思う。彼の腰はこんなに細かっただろうか、肩はこんなに薄かっただろうかと、探るよ
うに動き出した手に、ああ、と彼が小さな息を漏らす。
  …おがた、さん……もう…
絶え入るような細い声で切なげに囁くその声が、胸に染み入る。
  …アキラ……?
手の動きを止めそっと名を呼ぶと、彼が自分の身体の上で身を起こす。
わずかに首を傾げ、泣き出しそうな目でじっと見つめてから、ふと目を伏せて耳元に唇を寄せる。
か細い声が、くすぐるように耳に届く。
  ……すき……おがたさん……
そしてもう一度、ほとんど音になりきらない、かすかな震えのような声が耳元で響く。
  …アイシテル……
嘘だ。
何故かこんな時にも捨てきれない理性がその言葉を否定する。
嘘だ。おまえがそんな事を言うわけがない。オレに向かって。
知っている。オレは。
おまえが愛しているのは、
「アキラ、おまえは――」



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