誘惑 第一部 1 - 5


(1)
「おまえさあ、もうちょっと和谷と仲良くできないの?」
「ボクは別に彼を嫌っているつもりはない。向こうが嫌ってるだけだ。」
「そんな言い方すんなよ。」
ヒカルは拗ねて頬を膨らませた。
「だって、どうしろって言うんだ?ボクは何もしたつもりもないのに、
つっかかってくるのは彼のほうだ。」
おまえは何もしたつもりもなくてもなあ、とヒカルは内心ため息をついた。
「理由もなく嫌われて、不愉快なのはこっちの方だ。」
不機嫌そうに、アキラはそう言い放った。
「でもさ、オレがやなんだよ。オレはおまえが好きだし、和谷はオレにとっても大事な友達
なのに、おまえらが一緒にいると途端に険悪な雰囲気でさ。」
今日もそうだった。ヒカルがアキラと話をしていると和谷がやってきて、まるでアキラなんて
いないように無視して、ヒカルに話し掛ける。ヒカルがなんとか話題を振ろうとしても、和谷は
険のある目でチラッとアキラを見るだけだ。
そしてアキラの方は、無表情に和谷を一瞥して、和谷と話している自分を無言で責める。
まったく、疲れることこの上ない。
それなのに、アキラときたら、こんな台詞を返してきた。
「ふーん、キミにとっては彼は大事な友達なんだ。」
「何だよ?その言い方。」
「キミがボクよりも彼の方が大事だって言うんなら、そうすれば良い。」
「…なに、拗ねてんだよ、塔矢。」
「拗ねてなんか、ない。」
拗ねてない、なんて言いながら、その顔はなんだよ、と、ヒカルはクスッと笑った。
「おまえを好きだって言うのとは全然違うじゃん。
和谷はオレにとっては同期の仲間で、友達で、おまえは…」
「ボクは…?キミにとっては、何だって?」
なんだろう?何て言えばいいんだろう。「恋人」なんて言葉は気恥ずかしくて使えない。
そんな関係じゃない。オレたちは―。
返答を促すアキラの顔をつかまえて、ヒカルは答の代わりにキスを返した。


(2)
「あいつもさ、おまえの事、知らないから。」
そんなの、どうでもいい。キミさえボクの事をわかっててもらえれば―とアキラは思った
けれど、さすがに口に出すのははばかられた。
「だってさ、やなんだよ。オレが好きなおまえが、嫌われてるってのがさ。
ちょっとだけでもさ、そんなに冷たくしてないで、愛想よくしてやってくれよ。」
「愛想良くって…」
「おまえさ、わかってないだろ。普段自分がどんな顔してんのか。
なんかすごく周りに対してバリヤー張ってるって言うか、自分から他のヤツとは簡単には
馴染みたくない、みたいなオーラだしてるじゃん?それってやっぱり良くないと思うよ。」
そう言うと、アキラはグッと返答に詰まったような顔をした。
「おまえもさ、子供相手だったりすると、すげー優しい顔するじゃん?
オレ、おまえのあーゆー顔、すげー好きなんだ。
それなのにいっつも怒ったみたいな顔ばっかりでさ、もったいないよ。」


(3)
「そんな…つもりはないんだけどなあ…
そんなに言われるような、恐い顔してるかなあ、ボクは?」
気落ちしたような、ちょっと拗ねたような表情で、アキラがヒカルを見返した。
そういう表情のアキラは急に子供っぽく見えて、すごく可愛い、とヒカルは思った。
そういう可愛い顔を見せてやれば、和谷だっておまえを嫌うはずなんてないのに。
「おまえもさ、『誰にでも好かれるキミが羨ましいよ』なんていう前に、自分からちょっと愛想よく
して見ろよ。ムッとした顔してないで、笑えばいいだけじゃん。」
確かにヒカルの言う事は一理ある。なんだかんだ言っても嫌われるのはいい気分じゃないし、
和やかに話ができるならその方がいいに決まっている。それに、間に入ったヒカルに嫌な気分
をさせてしまっていて悪い、という気持ちはいつもあった。
それに実のところ、院生仲間と楽しそうにしているヒカルを、遠目に見ているだけの自分がつまら
ないと思った事も何度かあった。
それでも自分にはヒカルのような屈託のない態度はとれない。
なんとなく、相手に対して身構えてしまうところがあって、それはアキラのコンプレックスの一つ
でもあった。「笑えばいいだけ」という、それが出来れば苦労なんかしないのに、とアキラは思う。
キミの無邪気な笑顔と、ボクの作り笑いとじゃ、全然違うよ。
そんな事を考えながらも、アキラは不承不承、こう言った。
「わかったよ。キミがそんなに言うんなら。」


(4)
アイツも来てやがる。パーティー会場に入ってすぐに和谷はアキラの姿を見つけてしまって
ムッとした。彼は目立つので、すぐにわかる。目障りなヤツだ、と和谷は思った。
初めてみたときから、いやむしろ会う前から気に食わないヤツだと思っていた。
塔矢名人の息子と言う事でその名は知られていたが、実際の「塔矢アキラ」を知っている者は
少なかった。強いらしい、というウワサだけで、実際の大会には出てこない。
院生ですらぬるい、と言うように、彼はそこにはいず、ただ名前だけが知られていた。
もったいぶったようなその存在が、まず、気に入らなかった。
プロを目指して院生として必死で勉強している自分を軽く見られているような気がして。
その塔矢アキラに初めて合ったのはプロ試験の予選だった。
休憩時間、これから始まるプロ試験に向けてのピリピリした空気の中で、一人、涼しい顔を
して、食事もとらずに本を―囲碁の本ではあったが―読んでいた。
そうでなくともイラついているのに、余計に気に障った。
そして本戦も、こっちは必死なのに、向こうはこのくらい何と言うこともないように、当然の
ように全勝で、自分より一足先にプロになっていった。
しかも、インターネットでの遊びなんかのために初戦をすっぽかして。
あんなにムカツク奴もいない、和谷はそう思っていた。


(5)
そして今も、いつものようにとりすました顔で、囲碁界の重鎮―自分はとても親しく話をできる
ような人物ではない―と、気後れも見せずに、当たり前のように話している。
ヤな奴だぜ、と吐き捨てるように小さくこぼし、遠くから彼を睨みつけた。
その視線に気付いたのか、アキラがちらりとこちらを振り向いた。
ギクリとしたが、アキラはすぐに元に向き直ったので、和谷は内心そっと胸をなでおろした。
だがそれも束の間、アキラはにこやかに話し相手に向かって挨拶すると、こちらに向き直り、
そして確かに自分を見て微笑んだ。
目を疑った。
なんだ、今のは。自分の見間違いか、と、2、3まばたきして、もう一度彼の方を見た。
けれどそれは見間違いではなく、にっこりと微笑んで、アキラが自分を見ていた。
それは、その笑みは、和谷の知らない「塔矢アキラ」だった。
和谷は思わずあたりを見回した。アイツが、オレに向かって笑いかけるはずなんてない。
自分の後ろに誰か―塔矢門下の誰かか、進藤がいるのだろう、と。
だがそこには誰もいず、それどころか、和谷の慌てた様子を見てか、アキラがクスッと小さく
笑ったので、和谷は思わず赤面しそうになった。
和谷のその様子にアキラは笑って小さく首をかしげ、それから、和谷のいる方へ歩き出した。

心臓の音がやけに大きく聞こえる。何に、オレはこんなに焦っているんだ?
だがアキラは不意に足を止め、斜め後ろを振り返った。
声をかけてきた芦原に、アキラは軽く驚いた様子で、だが、すぐに親しげに彼と会話を始めた。
その様子を見て、和谷はムッとした。
なんだ、アイツ…塔矢はオレの方に来てたのに、オレに笑いかけてたのに、横から割り込み
やがって。いくら同じ塔矢門下だからって…!



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