ユーワク・おまけ 1 - 5
(1)
(3-56)の後。
芦原がふらふらとトイレに立った隙に、緒方がぼつりとこぼした。
「それにしても、随分と冷たい言い方じゃないか、え?アキラ?」
「?」
「…あなたとの事は完全に終わったんだからいいんですよ、とはね。」
「でも…だって、本当の事でしょう?」
「…まあな。」
「終わってるからこそ、こうやって一緒に飲んだりできるんじゃないですか。」
アキラは、すい、と手を伸ばすと、緒方の眼鏡を外して顔を覗き込んだ。
唐突なアキラの動作に緒方がびっくりしてアキラを見上げると、そのまま顔が近づいてきて軽く唇に
触れ、そして離れていった。
呆然としたまま緒方の目が宙を彷徨い、それからキラキラと輝いているアキラの黒い瞳をとらえた。
「…触っていいのは進藤だけじゃなかったのか…」
「ボクから触る分にはいいんです。」
澄ました顔でアキラが答えた。
「こ…のヤロウ…」
忌々しげにアキラを見上げて言うと、
「今でもボクを好き?」
にっこりと微笑んでアキラが訊いた。
「…のクソガキが、」
「ねえ、答えてよ。」
「………愛してるよ、今でも。」
緒方は、ふん、と顔を背けながら眼鏡をかけなおし、ぶっきらぼうに答えた。
「ありがとう。」
「…っ!おまえは…、」
「んん〜?な〜んか、雰囲気がヘンだぞぉ〜アヤシイぞぉ〜」
(2)
赤い顔をしてよろけながら戻ってきた芦原がアキラと緒方を交互に見る。
「芦原さん、芦原さん、」
そこへ、アキラはちょいちょいと手招きした。
「ん?なに?」
腰をかがめかけた中途半端な状態で芦原は固まった。
今度こそは本当に、先日のようなニアミスでなく、アキラの唇がしっかりと芦原の唇に重なり、柔ら
かなアキラの唇を、芦原は確かに感じていた。
そして、アキラが離れていっても固まったままだった芦原が、ようやくひとつ瞬きをすると、その顔
を覗き上げていたアキラが、にこっと笑いかけて、言った。
「この間はちゃんとしそびれたから、やり直し。」
「アキラっ!!」
「相談に乗ってくれてどうもありがとう、って言ってなかったと思って。」
「………!」
返す言葉がなくて、握り締めた芦原の拳が震えた。
どうしたの?と言うように、アキラが無邪気な笑顔を浮かべて芦原の顔を覗き込んだ。
「…おまえ、酔ってるな!?」
ふるふると震えながら戸惑いを怒りにすり替えて芦原はアキラを責めた。
「酔ってますよ。当たり前でしょう。」
平然とした顔でアキラが答えた。
「…こいつには酒は飲ませないほうがいい。とんでもない酒癖だ。」
忌々しげに言う緒方など介さずに、にっこりと笑ったまま、アキラは言った。
「でも、酔わなきゃ言えないような本音って、あるでしょう。
アルコールの勢いや、冗談に乗せてしまわないと言えないような事って。」
「それなら!今日のおまえの言動の、どこまでが本音でどこまでが冗談なんだ?え?」
「それは内緒。」
「進藤がどうこうって言うのは、冗談だよな?」
「それは本当。」
「だーーーーー!!!いい加減にしろっ!!アキラっ!!!」
「どうして怒るの?」
「どうしてもクソも、人をからかうのも、」
(3)
「からかってなんかいないよ。」
そう言って、アキラは芦原を真っ直ぐ見上げる。
視線の真っ直ぐさにドキッとして何も言えなくなってしまった。
「からかうつもりなんかありません。本当に。大好きです。芦原さんも、緒方さんも。それに、」
にこっと笑ってアキラは言った。
「もっとちゃんと感謝しろって言ったのは芦原さんでしょう?
だから感謝の意を込めて、ありがとうのキス。」
にこにこと上機嫌のアキラに、芦原は言葉を失い、ドスンと音を立ててアキラの横に腰を下ろした。
それから乱暴にグラスを掴んで残っていた液体を一気に流し込んだ。
芦原のそんな様子を笑いながら見ていたアキラは、自分のグラスの残りを静かに飲み干してから、
テーブルに両手をついて、腰をあげた。
「もう、帰らなくちゃ。」
「え、おい、アキラ、」
「ここまでのチェックは済ませておきますから、後はどうぞごゆっくり。」
そう言って伝票を持ったアキラに、
「ええー、まだいいじゃないかぁ。」
と、芦原が不服そうに頬を膨らませる。
「ごめんなさい。でも、電話しなきゃならないし。」
誰に、と芦原は開きかけた口を閉じた。
ああ、そうだよな。決まってるよな。電話の相手なんて。
はいはい、そうですか。定時ラブコールでもしてるんですか。よかったよな、シアワセで。
クソォ、この野郎。ちぇ。
空いていたグラスに手酌でワインをどぼどぼと注いで一気に飲み干し、更にもう一杯注いだ。
その様子をアキラは呆れたように目を真ん丸にして見て、それからくすっと笑った。
「それじゃ、また。」
そう言って立ち上がり、出口に向かって歩く途中で、一旦アキラが振り返った。そこへ芦原が手を
振ると、アキラが応えるように手をひらひらと振って、それから名残惜しげに何度か振り返りながら
去っていった。
(4)
アキラの姿が見えなくなって、芦原は視線を手元のグラスに移し、それをじっと睨んでいると、チン、
と軽い音をたててグラスが当てられた。
「緒方さん…」
「どうした?芦原?」
「アキラがさあ…」
睨んでいたグラスの中身を一口二口啜って、とん、と音をたててテーブルに置いた。
「大人になっちゃいましたねぇ。なんかオレ、感慨無量ですよ。あのちっちゃくて可愛かったアキラ
がさぁ、女の子と三角関係四角関係で揉めたり、挙句は、あーんなカオして惚気るようになっちゃう
なんてさぁ、なんかオレ、寂しいですよ、緒方さん。」
テーブルの上にぐんにゃりともたれるようにして、緒方を見上げて芦原は言った。
「おまえってヤツは…」
「なんですかあ、緒方さぁん?」
「いや、素直なヤツだなと思ってな。羨ましいよ。」
「そりゃあね、緒方さんみたくひねくれてなんかいませんからね、オレは。
でもさ、緒方さんだって、寂しいでしょ?なんかさ、いっつもオレ達のあとをついてたあのアキラがさ、
あんな風にオレ達を置いてっちゃうなんてさ。寂しいよ。なんかオレなんかお役ごめんなのかなって
思っちゃうよ。」
「…バカだな。」
芦原を見下ろしていた緒方は内心を押し隠すように軽く笑って、芦原を小突いた。
寂しいか、だって?寂しいなんてもんじゃないさ。アキラが…オレの、アキラが、
「ホントにねぇ、よかったと思ってるんですよ。アキラがあんなに幸せそうなのはさ。でもねぇ…」
オレだって嬉しい。アキラが幸せそうにしてるのは嬉しい。たとえそれが、アキラの幸せがオレとは
無関係の所にあるんだとしても。あの時のような辛そうなアキラを見ているくらいなら。
だからオレはもうおまえを見ていてやるしかできないけれど、
(5)
「まあな、アキラだっていつまでも子供じゃいてくれないんだし、暖かく見守ってやるしかないだろ。
人生の先輩としてはな。」
「あはは、先輩ってゆーにはオレは緒方さんほど人生経験つんでませんけどねぇ。
でも、なんか、緒方さん、今日は優しいなあ。どうしたんですかあ?」
「何を言ってるんだ。オレはいつだって優しいぞ?」
「あははは、なーんか、あとが怖いような気もするけど、でもねぇ、緒方さん、オレや緒方さんが、
どんなに優しくしてやったって、アキラにはカノジョの方が良いんですよねぇ。
あーあ、ソンだよなあ、おにーさん役なんてさあ、」
突っ伏してぼやいている芦原を緒方は苦笑いして見ていた。
それから、自分の空いていたグラスに残っていたワインを全て注いでそれを呷った。
ふと、グラスの向こうに、今日最後に見た、こちらを振り返って笑っていたアキラが見えたような気
がした。その映像を消し去るように緒方は頭を振る。
振り返るな、アキラ。もう振り返るな、オレになんか。
そんな無邪気な顔で笑ってオレを誘惑するな。
おまえが思ってるほどオレは大人なんかじゃない。ただ大人なフリをしてるだけだ。
「う〜ん、アキラぁ…」
ほとんど潰れかけた芦原を見て緒方は苦笑する。
幸せなヤツだ。
あれが本当のことだなんて信じるはずがないよな。
オレだって時々あれが本当にあった事なのかどうか、疑ってしまう。
アイツが、アキラが、オレの腕の中にいた事があったなんて。そんな事があったなんて、信じられる
筈がない。
「…ですよね〜ぇ、緒方さぁん、」
一瞬、相槌を打たれたのかと思ってぎょっとして芦原を見る。しかし、おい、芦原、と声をかけてみて
も、むにゃむにゃと応えにもならない声のようなものが返ってくるだけだ。
そんな芦原を呆れ果てたように見おろして、緒方はやっと現実的な溜息をつく。
さて。コイツをどうやって連れて帰ったものやら。
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