残像 1 - 5


(1)
「いつかおまえには話すかもしれない」
そう言ってくれた彼の言葉を、もう一度頭の中で繰り返す。
「いつか」「かもしれない」なんて、中途半端で確かさの欠片もないそんな言葉を。
そんな日がくるんだろうか。
そしていつしか、気付いたらボクは、saiについての謎を知りたいという事よりも、彼がボクに
秘密を打ち明けてくれる、その事を待つようになった。


「ん…」
ヒカルの漏らす小さな声を察知して、アキラが目を覚ました。
「…さい……」
その名に、アキラは小さく息をついて、複雑な微笑を頬にのせて、ヒカルの寝顔を眺めた。
今日は、悲しい夢みたいだね、と、泣き出しそうな顔のヒカルに、心の中で呼びかけた。
ボクの隣で眠るキミの口からその名前を聞くのはもう何度目かな。
最初は…すごく驚いて、眠っているキミを揺り起こしてしまおうかと思ったよ。
今日みたいに泣きそうな時もあれば、本当に幸せそうに微笑ってる時もある。
キミにそんな顔をさせるなんて。ボクの隣で眠っているキミに。

― sai 。
彼(?)はキミにとって、いったいどういう存在だったんだ?
いつか、ボクに話してくれる日は、来るんだろうか。


(2)
あれは北斗杯の始まる、前日だった。
父の部屋を訪れ、ドアをノックしようとしたその時に、部屋の中から悲痛な叫び声が聞こえた。
一体、何があったのかと、ボクはそこに棒立ちになった。
それは、ボクにとって一番大切な人の声だったから。
なぜ?何に、一体キミはそんな辛い叫び声をあげているんだ?
凍り付いたまま耳をそばだたせたボクに、また彼の声が聞こえてきた。
ドア越しにもはっきりと聞こえてきた。
「sai」と呼ぶ声が。

進藤の泣き叫ぶ声に、ボクは心臓が引き千切れそうに感じた。
それなのに、泣いている進藤を抱きしめてやる事さえできない。
そして、進藤がボクの前でなく、別の人の前で泣いているという事に、また別の意味でボク
は心臓が痛むのを感じた。ボクが抱いてやりたいのに、泣くな、と言ってやりたいのに、そこ
にいるのではボクではなく父なのだ。
なぜボクではなく父なのか、答はわかっていた。
きっと父だったら、何も聞かず、ただ黙って、進藤の嘆きを受け止めてくれる。
ボクならばきっと、何があったんだと、saiとは誰なのか、キミにとってどういう存在なのかと、
問い詰めてしまう。だからきっと進藤はボクでなく父の前であんな風に泣いたんだろう。
ボクがまだちっぽけな子供で、父のような大きな人間じゃないから。
それはどうしようもないことなのに、それでもそれが悲しくて、悔しくて、切なくて、ボクは涙が
出そうになった。そして進藤が泣いているのに、寄り添って彼の嘆きを受け止める事よりも、
自分の事で泣きそうになる自分が、余計に情けなくて悔しかった。
だからボクは何も出来ず、けれどその場を立ち去る事も出来ず、馬鹿みたいにドアにもた
れたまま、背中越しに彼を感じていた。


(3)
そしてあの日を境に、また、キミは変わった。
どこがどう変わったのかは上手く言えない。
けれど、ずっと感じていたピリピリとした緊張感が消え、何か一皮むけたような、自然な佇まい
をボクは感じた。
何があったのかはわからない。けれどボクの知らない所で、また一つ、キミは大人になった。
ボクはそう感じた。
彼の変化はきっと彼にとって好ましいものであるはずなのに、ボクは一抹の寂しさを感じずには
いられなかった。一足先に大人になってしまったキミに、置いて行かれてしまったような、それは
きっとそんな感傷だったのかもしれない。
「追ってこい」とボクは言ったけれど、本当は追いかけているのはボクの方だ。
いつも、ボクは背後のキミの足音に怯えながら、キミを追いかけていた。

お父さんはいつもボクの先にそびえ立つ、間違えようのない道しるべだった。
そこにキミがカベのように立ちふさがった。あの時からキミはボクの中に焼き付いて、ボクは
キミを忘れられなくなった。ボクはキミを超えたいと、そのカベに挑みながら、一方でボクを
追いかけてくるキミの足音を聞いていた。だけど。
「神の一手を極めるのはオレだ。」
そう言ったキミの言葉が、なぜあんなにもショックだったのか。後から気付いたよ。
それまでキミはずっとボクを追っていた。ボクは追いかけてくるキミを、背中で感じてた。
ボクはその足音に怯え、不安になりながら、でもどこかでキミが追ってくるのを嬉しいと思って
いた。だから「追って来い」なんて言ったんだろう。
でも、いつからなのか。
今、キミが追っているのはボクじゃないね。
キミはもう、ボクなんか通り越して、ボクにはわからない、どこかずっと先を見ている。
それが―sai?キミが追っているのはsai?
ボクが追って、追って、追いかけて、多分、ついに掴まえられなかった、超えられなかったカベ。
今度はキミが、それを追っているのか?


(4)
だから、ボクは考えなきゃいけない。
ボクはどこへ向かうのか。ボクはどこを目指すのか。
キミを追っていくだけなんて、ボクは嫌だ。
キミじゃない。昔みたキミの中のsaiじゃない。お父さんでも、ない。
目指すものがあるとしたら、それは―それはボクだ。他の誰でもない、ボクだ。
他の誰も、もう、ボクの目標にはなり得ない。
そうだ。ずっと長い間ボクの憧れだったお父さんだって、それが最終地点じゃない。
ボクは知ってたはずだ。
あの道標に向かって、真っ直ぐに歩いていけばいいと。それは間違ってはいなかったと思うけど、
でもそこが最後の目標じゃない。ボクはそこに辿り着き、そして更にそこを超えてみせる。
お父さん、あなたに辿り着く事がボクの目標じゃない。そしてあなたを超える事も、ボクの目標
じゃあ、ない。ボクの目指すものは更にそのずっと先にある。
そしてきっと、お父さんも、同じようにそこを目指している。そうでしょう?
そしてキミが目指すものもきっと同じなはずだ、進藤。
それはキミが「神の一手」と呼ぶもの。そうじゃないか?

そうか、今わかったよ。
ボクはキミに気をとられすぎて、足元を見失っていたんだ。
キミに。キミの中のsaiに。
今は―多分、もういない人の残像に。
多分、キミをあんまり好きになってしまったから。

でも、だからもう、ボクはこのままここに立ち止まったりなんか、しない。
キミに置いてかれたりなんか、するもんか。それどころか、ずっと前を行ってやる。
ボクに追いつき、追い越すのが目標だと、もう一度キミに言わせてみせる。
キミの目標はボクだ。キミのライバルは、ボクだ。他のヤツなんかじゃない。
もう一度、キミにそう認めさせてみせる。


(5)
それでも―
それでもやっぱり、キミの中にいるsaiは、どうしようもなく、気になるよ。
だってボクはキミが好きだから。
ボクの腕の中でキミが呼ぶひとの事を、気にせずになんか、いられない。
ボクは、いつかキミの中のsaiを、超えられるのかな。
キミにとって一番大切な人に、いつか、なれるのかな。
今のボクにとって一番大切なのはキミだけど。
キミにも同じように思って欲しいと思うのは、贅沢なんだろうか。


アキラはヒカルの寝顔を見つめて、ヒカルの目元に滲んだ涙を吸い取るようにそっとくちづけ、
それから唇でヒカルの唇を包み込むように、静かに触れた。
「ん…」
眠っているはずのヒカルの唇がアキラに応えて、柔らかく舌を絡めてきた。
(進藤?)
だがヒカルは目覚めたわけではないようで、アキラが唇をはなすと、また静かな寝息を立てて
安らかに眠っていた。その寝顔は、今度は安心したような笑みを浮かべていて、アキラはなん
だかほっとすると同時に、少し悲しくなった。
さっきは、泣きそうな顔をしてたのは進藤なのに、どうして今はボクが泣きたいんだろう。
キミに、そんな安心した顔をさせるのが、ボクだったら良かったのに。
アキラは自分の心を抑えるように、手で顔を覆った。



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