四十八手夜話 1 - 5
(1)
「あ〜〜〜っとさ、おまえ、誕生日のプレゼントって何欲しい?」
進藤ヒカルが、塔矢アキラを棋院の自動販売機の影に引っ張り込んで
訊ねたのは、そんな事だった。
そう言えば、もうすぐ誕生日だったのかと思いながら、塔矢アキラは
黙り込んでしまった。誕生日の存在さえ忘れていたのだ。プレゼントなどと
突然言われてもピンとこない。
ヒカルにすれば、これはもう一ヶ月も前からの関心事だった。ヒカルは
こういった日常生活の行事とかイベントごとが大好きな人間なのだ。しかも、
一応同性同士でセックスをするなどという異常な所まで深まってしまった間柄の
相手だ。これはぜひとも当日は何か相手が驚くようなもの、いつも張りつめた
顔ばかりしている塔矢アキラが思わず相好をくずすようなものをプレゼント
したかったのだ。
が、しかし、思いつかなかった。ここ一年ほどで一気にヒカルとアキラの距離は
急接近したとはいえ、そこに辿り付くまでの二人の人生が遠すぎて、何をしたら
喜ぶのか見当もつかない。
これが、和谷とか伊角さんだったら、ちょっとした安物のジョークグッズでもかたが
つくんだけど、と思いながらヒカルはアキラの顔を見る。
アキラが一番嬉しいこと……誕生日の日は一晩中、一緒に碁でも打とうと言うんじゃ
ないだろうか?
それだと、一番楽で金もかかんないし、それにヒカル自身も楽しくていい。
そうだ、来年の自分の誕生日にはぜひとも、アキラを自分の家に引っ張りこんで
一晩中、碁を打とう。とか考えながら、ヒカルがアキラの答えを待っていると、
アキラの瞳がキラリと光った。何か考えついたらしい。
「まず、僕と一緒に食事をしないか?」
「……いいけど」
ずいぶん、お堅いというか、定番できたなーと思いながら、ヒカルはアキラの
言葉を待つ。「まず」と言うからには続きがあるに違いない。
「それから、ホテルに行こう。新宿のセンチュリーハイアットでいいだろうか?
父が小田急の株を持っていてね。あそこの割引券が手に入るんだ。そこで
四十八手を試してみよう」
ヒカルの肩に掛けられたリュックがずり落ちそうになった。
(2)
真っ昼間からなんつー発言をするんだ、こいつは。
おもわず、辺りを見回した。誰もいないのを確かめる。しかし、アキラはあまり
気にしていないらしい。まるで、「この黒のハサミには白のツケでしょう」と
言うような口調で話を続ける。
「しかし、さすがに四十八手全てを試すのは、時間的、体力的に無理だろう。だから、
僕の年にちなんで十五手試してみるので手をうたないか?」
手を打たないかと言われても、すでにアキラの言葉は断定口調だ。
こういう時のアキラの腹は既に決まっていて、その決意を揺るがすのは容易では
ないことをヒカルはよく知っていた。
別のところで食事をすると移動が面倒くさいので、夕食はハイアットのレストランで
食べた。これも誕生日プレゼントの一部なのでヒカルがおごった。
それから、おもむろに戦場へ…じゃなかったホテルの部屋へ。
そこでアキラが鞄から取りだしたのは、束ねられた紙だった。
アキラが家のパソコンからプリントアウトしてきたものらしい。そこには古めかしい
名前を付けられたセックスの体位がずらずらと列挙されていた。
「ネットで調べたんだ。僕も実際の四十八手がどういうものかよくわから
なかったからね」
「なぁ、これ四十八手って言ってるけど六十種類ぐらいないか?」
ヒカルが恐る恐る訊いてみる。
「あぁ、時代によって、随分その中身も変わっていて、切り捨てられたものや新たに
加わったものを全部並べると実際には百種近くになるらしい。でもさすがにそれを
全部調べきったサイトは見つからなくて。そうだね。そこにあるのはせいぜい
それぐらいだ」
アキラの説明を訊きながら、ヒカルはペラペラとその「テキスト」をめくる訳だが、
丁寧にどれもが「図」入りで、それを途中まで眺めただけでも「お腹一杯」というの
が感想だ。しかも、このうち幾つか――アキラの歳に合わせて十五種類か――を実際
に実演しなければならないと思ったら、裸足で逃げ出したいというのが本心だ。
「とりあえず、どれを実行するか選ぶ権利は君にあげるよ。たぶん負担がかかるのは
君の方だから」
(3)
どことなしか偉そうに言うアキラに、ヒカルは観念して心の中で(はい、そうですか。
気をつかっていただいて、そりゃどうも)と、つぶやきながら、今度は多少真剣に
手の中の紙の束を眺める。
何しろ、どの体位を選ぶかで自分の今夜の運命が決まるのだ。真剣にもなろうと
いうものだ。
最初の方に「本手」というのが出てきた。いわゆる正常位だ。
とりあえず、これだ。なるほど四十八手と言ったって皆が皆、変な体位ばかりでは
ない。割りとありがちで簡単そうな奴をまぜて十五種類選べばいいのだ。そう思えば、
気が楽になった。
「じゃあ、まずこの本手っていうやつと……」
と、言ったら、アキラの顔が強ばった。何でだよ、と思う間もなくアキラが
ベッドを指さした。
「そこに座れ」
「…はい」
アキラの目が何かの怒りでギラギラしている。蚊の泣くような声で返事をしてから
ベッドに這い登り、思わずちんまりと正座していた。
続いてアキラもベッドに登り、ヒカルの目の前にきっちりと居住まいを正して正座する。
「君は真面目にやる気があるのか、進藤」
俯いて上目遣いにアキラを見る。
なんだか御白州に引きだされて、御代官様の裁定を待つ罪人の気分だ。
昨日の夕方に見た『大岡越前』のクライマックスの光景がヒカルの頭をよぎった。
(4)
「僕がなぜ、今日こんなことを言いだしたかわかるか、進藤」
「お前の誕生日だから」
「それはきっかけにすぎない」
「………」
「君と僕との性生活の充実を図るためだ」
「十分、充実してんじゃない? 一週間に一度、多いと二度は会ってるしやってるし、
オレは別に欲求不満なんか感じたことないよ」
「違う、中身の問題だ。そもそも君は、僕達の関係とその将来について真剣に考えた
ことがあるのか?」
将来と言ったって男同士だから結婚できる訳でもなし…と思ったが、角が立ち
そうなので黙っていた。
アキラは情熱的に続けた。
「僕は、…僕は出来れば君と一生つきあっていきたいと思っている。二年後三年後も
君とこうしていたい。だからこそ、この関係を維持する努力をおこたっては
いけないと思うんだ!」
アキラは力強く拳を握った。
「そこで、僕は日本やアメリカの離婚の理由について調べてみた。その結果、実に
その原因の四割が性生活の不足あるいは相性の悪さにあるとわかった。その他
直接的な喧嘩などの原因も性生活の不一致が原因のストレスから来ると考えられる
ものがあるから、そういった間接的なものまで混ぜると性生活が原因の離婚は
実に6割以上になる」
いったい何の資料を調べたんだと、ヒカルは百万回アキラを問い詰めたかった。
「では、その性生活の不満の第一位は何か。それはセックスのマンネリ化だ。惰性
のセックスによって、恋人達や夫婦の親密な関係も簡単に壊れてしまうんだ!」
とりあえず、ヒカルは頷いておいた。
「僕は君との関係を大事にしたい。だからこそ、そんなくだらない理由で君との
関係が終わってしまうのが耐えられないんだ――なのに、君はなんだ!」
アキラはヒカルの横に置かれた紙の束を指さした。
「いきなり正常位では、いつもと同じじゃないか。ちょっとは違うものを選んだら
どうなんだ!それとも、もう遅いのか……、もう君は僕との関係に飽きてしまっ
たのか?」
(5)
「そんなことない! ないってば!」
ヒカルは慌てて、隣りに置かれた紙の束に手を伸ばした。まぁ、アキラがそこまで
自分との関係を大事に思ってくれているのは嬉しいし、ヒカルだって、なんだかんだ
いいつつ、アキラと思う存分欲情を吐きだせるこの夜を楽しみにしていたのだ。
それからは結構楽しかった。二人して並んでその四十八手を検討(?)し、ああでも
ない、こうでもない、ほんとにこんな体位できんのかよ、と笑い声も上がったりして、
とりあえず十五の体位を選びだした。
中には「これはなぁ、女のあれがあそこについてるから出来るの!男同士で後ろ使うん
だったら絶対無理!」と、アキラが推したのにヒカルに強硬に却下されたものもあった。
「よし、順番を決めよう」
「へ?」
「十五もあるんだ。だいたい僕は三回ぐらいが限界だし、君もそのぐらいだろう。
一回につき五つの体位を試せる」
「別にいいよ、適当にやろうぜ」
アキラが再び、ヒカルを睨んだ。
「そこに座れ、進藤」
「…はい」
「そもそも君は、初めて一緒に寝た時からして泣きわめくばかりだったし、今だって
事が始まってしまえば、喘いで僕にしがみつくのでせいいっぱいだろう」
随分卑猥なセリフなのだが、まるで保健体育の先生に居眠りを見つかって怒られて
いるときのような気がするのはなぜだろう。
「きちんと順番を決めてメモしておかなければ、絶対にこれを全部やり遂げることは
不可能だと思うが、どうだ?」
反論のしようもございません、とヒカルは心の中でつぶやいた。
ヒカルが神妙にしているようなので、アキラは鞄からペンを取りだして計画を
メモし始めた。順番は以下の通りだ。
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