性の目覚め・12才ヒカル 1 - 5
(1)
「なーヒカル、お前オナニーって知ってっか?」
帰りの会も終わり、さあ帰ろうか、と上着に袖を通しているところ。
クラスメイトに突然訊かれた。
「え、何だって?」
「だから、オナニーだってば。知ってる?」
聞き慣れない言葉にそう返答するが、相手は同じことを繰り返すばかり。
いつも仲の良いクラスメイト…というより悪友だが、今の彼は心なしか
ニヤニヤと不穏な笑みを浮かべているような気もする。
埒が明かないと思ったヒカルは、自分の背後にいる幽霊に声をかけてみる。
――佐為、知ってる?
最初にとり憑かれた時は混乱したが、2ヶ月ほど経った今ではこの状態にも
馴染んできていた。
囲碁への強い思いの為に、この世に蘇った最強棋士。流石に長い年月を過ご
してきただけあって、彼の知識の多さはヒカルもよく知るところである。
しかし。
――おなにぃ?分かりませんねぇ…。
佐為も知らないのでは話にならない。ヒカルは斜め後ろに向いていた視線を
正面の友人に戻し、もう一度訊き直した。
「知らねぇ。…で、何なのそれ?」
「へえぇ。知らねぇんだ。ふーん…」
何かを企んでいる風の友人の真意が掴み取れない。自分がもの知らずだとい
うことは分かっていたが、何となく…これはいやな予感がする。
「何だよ、気持ち悪いな」
中途半端に袖を通したままだった上着をきちんと着て、ランドセルを背負い、
さも何でもない様子を装いながらちらりと様子を伺う。
この悪友は何かにつけて、良いことについても悪いことについても、知識の
乏しいヒカルをからかうような向きがあるのだ。
(2)
相変わらずニヤついたその表情の気味の悪さに確信めいたものを感じたその時。
「ヒカル、帰ろう」
幼馴染のあかりが声をかけてきた。ヒカルが蔵で倒れた日から、彼女なりに心配
しているのか、一緒に帰ろうと言ってくることが多くなっていた。
「ん、ちょっと待ってて、今行く。……んじゃ、そういうことで」
チャンスとばかりに友人に向き直り、簡単な挨拶だけをして背を向ける。
…と、後ろからランドセルをがっしと掴まれてしまった。
身動きがとれずにじたばたしている内にふたが開けられ、ゴトリ、とランドセル
の中に何かを入れられた音がした。
「何?何入れたんだよ?」
「へっへっへ。内緒」
「えー!?何だよそれー!」
ランドセルを下ろして中を見ようとすると、腕を抑えて止められてしまった。
「家に帰ってからのお楽しみ!」
「ヒカルーッ!」
なおも文句を言おうとしたところに、あかりの催促が入る。
ヒカルがあかりに気をとられた隙を見て、彼はヒカルのランドセルを力を込めて
一発叩き、さっさと逃げていってしまった。
「家に帰ってから見るんだぞー!」
「何なんだよ、もー!!」
(3)
帰り道での当たり障りの無い会話のお陰で、ヒカルは家に帰り着く頃にはすっかり
さっきのことを忘れてしまっていた。
そしてそのことを思い出したのは就寝直前、明日の時間割を揃えている時だった。
「何だこれ?」
見慣れないもの。本屋の茶色い紙袋に入っている――感触からするに、どうやら
雑誌か何かのようだ。
――あ、ヒカル、それってもしかしてさっきの…?
「…あっ!『家に帰ってから見ろ』とかいってたやつか!すっかり忘れてたぜ」
逆さまにして一回振ると雑誌状のものがバサリと床に落ち、中の1ページを開いて
落ち着いた。
「…………!!?」
それを佐為と二人で覗き込み、その格好のまま固まってしまった。
いち早く自分を取り戻したのは佐為だった。ヒカルの視界をさえぎるように腕を
振り回して喚く。
「ヒカルっ!見ちゃ駄目ですーっ!駄目ですからね!!」
そんな佐為の慌てぶりに気が付いているのかいないのか、ヒカルはぼそりと呟いた。
「……すげー…。オレ、エロ本って初めて見た……」
(4)
ヒカルが友人に押し付けられたものは、写真集風の雑誌であった。エロ本とは言って
も、せいぜい際どい水着程度である。モザイクが必要となるような、局部を大写しに
したようなものは無い。
しかしそれでも、そういった知識のほとんど無いヒカルにとっては刺激の強いもので
あるのには変わらない。
「うっわスゲー…っつーか、何でアイツこんなの持ってんだよ!?」
初めて見る挑発的な女の裸に「スゲー」「スゲー」と騒ぐヒカルの横で、佐為はあた
ふたとヒカルの目を逸らせようとしている。
――ヒーカールー!!だから駄目だって言ってるでしょ!
――そもそもこの女の子たちは何ですか!裸同然の格好をして…!
自分が生きていた平安時代や、虎次郎と過ごしていた時期とは、もはや時代が違って
いるというのは分かっている。ヒカルの元に目覚めてからまだそんなに月日は経って
いないが、慎ましさ、そういったものの印象が以前と比べて薄れてきていることは何
となく窺い知れた。
とはいえ、物事には順序というものが有る。まだ幼いヒカルがこのようなものを見て
良いはずが無い。
――ヒカル!聞いてますかヒカルッ!!
必死になってヒカルを雑誌から引き離そうとするが、実体の無い幽霊のこと、直接的
なことは何一つできないのが歯痒かった。
そんな胸中もつゆ知らず、夢中でページを繰るヒカルに業を煮やした佐為がとった最
終的な行動は。
――もう、知りませんからね!フン!!
佐為は佐為で自らヒカルに背を向け、膨れっ面でベッドに座りこんでしまった。
(5)
――ヒカルがそんな子だとは思いませんでしたよ!
初めて出逢ったその時は、何て可愛らしい少年なのだろうと思ったものだが…こんな
下品なものを見て喜ぶところがあるなんて…。
膝を抱えてブツブツと文句を言っていたのは数分間程度だろうか。
ふと気が付くと、ついさっきまでうるさくしていたはずのヒカルが静かである。
――ヒカル?
ひょい、と後ろから覗き込んでみると、ヒカルはその気配に驚いたようにビクッと顔
をあげた。ほんのり上気したような表情は、佐為も初めて見るものだった。
――どうしたんですか、ヒカル?
「あ…、あの…よくわかんないんだけど…」
両膝を擦り合わせるようにして動かし、もぞもぞと落ち着かない。
「何だか身体がムズムズする…」
少し熱っぽく潤んだ大きな瞳が佐為を見上げ、視線が助けを求めるように泳いでいる。
「佐為ぃ…オレ、どうしちゃったんだろ…」
下腹部を押さえるようにして前屈みに身体を折り曲げ、肩越しにちらりと視線をよこす。
その煽情的な眼差しに佐為はハッとした。
この純粋な子供には、生まれて初めての衝動なのだ。何故こんな気持ちになるのか、
そしてこのもやもやしたこの感触をどうしたらいいのか。それらが全て分からないのだろう。
普通ならば自分一人で解決してゆくものなのだろうが、ヒカルは無知故に佐為に縋って
しまっている。
さて、どうしたものやら…。
佐為が思いをめぐらせていると、うずくまっていたヒカルが急に起き上がって叫んだ。
「うわ―――ッ!オレのチンコおかしくなってる――!!!佐為〜〜〜!!」
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