ウェルシュ・コーギー 1 - 5
(1)
今日は塔矢の家に遊びに行くことになっている。
この間棋院で「キミに見せたいものがあるんだ」って誘われたんだ。
何だろう?
天気もいいし、塔矢の家に遊びに行けるし、今日はとっても気分がいい。
実は誰にも内緒だけど、オレと塔矢はけっこう仲良いいんだ。
いや…けっこうなんてもんじゃないか…。
だいぶ、ものすごく。
どれくらいってーと、…ただの友達じゃ絶対しないようなこともしちゃう仲。
…だーっ!!
そのことは考えただけで顔から火が出そうなくらい恥ずかしいんだってば!
これ以上は内緒だ!内緒!
「塔矢ー!」
玄関のチャイムを鳴らしたらすぐに戸がガラリと開いた。
「進藤!よくきたね」
…コイツ…玄関先で待ち構えてたな…。
まあ、こーゆうところもコイツのイイところなんだけどな。
今日はまた例のごとく塔矢先生もお母さんも留守みたいだ。
「さ、ボクの部屋に行ってて。飲み物でも持ってくるよ」
オレは言われなくてもさっさと上がって、いつものように塔矢の部屋に入った。
何もない塔矢の部屋。
でも、この何もない部屋で、オレと塔矢は今までいろんなことをしてきた。
両親が留守がちなのをいいことに…あんなことやこんなことを…。
あ、ヤバ…思い出しただけで体が熱くなってきた。
ナシナシ、今日はそーゆうのはナシ!
塔矢が何かいいもの見せてくれるっていうから来ただけなんだからな。
(2)
「お待たせ、進藤」
オレンジジュースを持って塔矢が部屋に入ってきた。
「サンキュ」
喉が渇いてたから一気に飲み干した。
「ぷは〜〜〜っ!うめえ!」
塔矢の家で出してもらうものは何でもうまい。
オレンジジュースですらこれだ。
普通のと何か違うんだよ。すっげーうまいの。
やっぱ塔矢家のものは基本から何もかも上等な気がする。
さすが元名人の家だな。
飲んでると、塔矢がニコニコしながらこっちを見ている。
「何?」
「いや、キミって本当に美味しそうに飲食するから。見てるとこっちまで嬉しくなってくるよ」
オレ、そんなに嬉しそうな顔してたか…?
…もう…そんなに見られたらジュースの味もわかんなくなっちゃうじゃんかよ。
塔矢のバーカ。
ふくれた面をしてると、塔矢が「ごめんごめん」と言って笑いながら
もう一度部屋を出て行こうとする。
「どこいくの?」と聞くと、
「キミに見せたいモノを持ってくるよ。ちょっと待ってて」
とニコリと微笑んだ。
……。
塔矢があんまり綺麗に笑うもんだから、ちょっと見とれてしまった…なんてことは
塔矢には絶対内緒だ。気づかれたら酷い目に遭うからな。
こないだなんて、「進藤!可愛い!」とか言われてそのまま押し倒されちゃったんだ…。
あぶねー、あぶねー。
気づかれないようにオレはちょっと仏頂面して頷いた。
(3)
(塔矢、遅いなぁ…)
あれから5分も経つのにまだ帰ってこない。
だんだんムカついて来た。
いつまで待たせるんだよ!
いつも待ち合わせで待たせるのはオレだけど、だからと言って待たされるのはキライなんだ。
ひとりにされるのも、ほっておかれるのもキライだ。
「もう何してるんだよ!塔―――…うわっ!!」
待ちきれなくて様子を見に行こうと、障子を開けて廊下に出ようとした瞬間、
何か茶色いモノがオレめがけて飛び込んで来た。
驚いてオレは思わず後ろに倒れ込んでしまった。
頬にあたたかい感触がする。
「何!?」
……ペロペロ舐められてる?
それは三角の耳をして、黒目がちで円らな瞳をした、茶色の毛並みの動物だった。
「……犬…?」
「進藤、大丈夫?」
塔矢が後を追うように帰ってきた。
「何…コレ?」
呆然としたオレを見て、塔矢はくすりと笑って
「ウェルシュ・コーギーっていうんだよ。キミがこの前、公園でこの犬を見て、
可愛いって言ってただろ?」
体を起こしてまじまじとよく見ると、それは可愛いキツネみたいな顔立ちをした
足の短い子犬だった。
(4)
「うわ〜〜〜〜!」
人懐っこそうな顔をしてこちらを見つめる仕草が何とも愛らしい。
短い足をふんばってヒカルに乗りかかり、これまた短い尻尾を振っている。
「どうしたの?この犬」
「母の親友の子犬なんだ。1ヵ月ほど海外に行くことになって
その間だけ家で預かることになったんだ」
「へーっ!いいなぁ!オレこの犬大好き」
「ふふ。そう言うと思ってキミに見せたかったんだ。家も両親は留守がちだし
犬を飼うことはちょっと無理だけど、1ヶ月くらいならちょうどボクの都合もいいし、
引き受けることにしたんだ」
「いいな〜、いいな〜」
すっかりその犬が気に入って両手で抱き上げると柔らかい毛並みに顔を埋める。
犬も大人しくされるがままだ。
「暇があればいつでも遊びにくるといいよ。今から1ヶ月は家にいるからね」
「うん!来る!遊びにくる!」
塔矢の策略に見事はまってる気がしないでもなかったが、まいっか。
だってここに来ればこの犬と遊べるんだもんな。
「わん!」
またペロペロと頬を舐められた。
「うはっ、くすぐってェ」
「コラ、ポチ、こっちへおいで」
見かねて塔矢が子犬を抱き上げてくれた。
「ポチ…ってオマエ…。この犬ポチっての?」
「……。母にこの子の名前を聞いておくのを忘れたんだよ」
「だからってポチはねーだろ…」
「しょうがないじゃないか。他に思いつかなかったんだ」
は〜っ、とオレは盛大に溜息をついた。
本当に塔矢って奴は碁以外のセンスはゼロだよな…。
「ポチ、ポチ。ほら、ちゃんとシッポを振ってるじゃないか。本人も納得してるよ」
「…まぁいいけどさ…」
その日は「ポチ」とひとしきり遊んで、そのまま帰った。
碁も…その…エッチなこともしないで帰るなんて最近ではすごくめずらしかった。
でも、後から思えば、それは「嵐の前の静けさ」に他ならなかったのだ。
(5)
それからしばらくは仕事やら研究会やらが立て込んで、
塔矢の家に遊びに行くことができなかった。
二週間ぶりにやっと暇ができた。
塔矢の家に電話すると、まだ両親も中国から帰ってきてないし遊びにおいで、と言われた。
「ポチ」もだいぶ懐いて可愛いよ、とも言った。
オレはあのちょこちょこ歩く可愛らしい姿を思って嬉しくなった。
塔矢家の玄関をくぐると、廊下の向こうから茶色の子犬が走ってきた。
「ポチー!ひさしぶり!!」
ダッシュでオレの腕の中に飛び込んで来た「ポチ」を抱き上げた。
「ポチは進藤がよっぽどお気に入りらしいね」
「オレ昔から犬には好かれるんだ!」
「ふうん。キミは子犬みたいだものね。きっと同レベルと思われてるんだよ」
と塔矢は笑った。
「何だとー!犬はな、心の綺麗な奴がわかるんだよ!
なーポチ。こんな何考えてるかわからないおかっぱよりオレの方がいいよな?」
「アン!」
ポチが元気良く答えた。
あれ?…普通だったらここで「何だと!?」と食ってかかるはずの塔矢が
まだニコニコ笑ってる。おかしい。
本当に何考えてるかわからない奴だな。ま、いっか。
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