闇の傀儡師 1 - 5


(1)
プロ棋士進藤ヒカルのもとにある時一通の封書が届く。
その中には一枚の写真が入っていた。
それは特徴あるヒカルの髪型をまねたとみられる人形の全身写真で、
服装もヒカルが持っているものと同じデザインのセーターとジーパンといったものだった。
「なんだ?これ…」
差出人の名前はなかった。写真の裏に“あなたのファンより”と一行だけ書いてある。
他には何も同封されていない。
「ふうん、…世の中には、変わった人がいるんだな。」
薄気味悪いと言えば言えなくもないが、イベント等で指導碁の後お礼の手紙をもらう事も
ない訳じゃない。そういう類は棋院会館を経由して来るが、その手紙はヒカルが
出かける真際に自宅の郵便受けを覗いて見つけたものだった。
ヒカルは歩きながら封を切り、その写真を見たのだがその時は特に悪意は感じなかった。
「やべっ!!バスに乗り遅れる!!」
ヒカルは写真を封筒に戻すと無造作にリュックの中に放り込んで先を急いだ。


(2)
日差しは日毎に眩しさを増していた。
今日の仕事である指導碁の会場に駆け込んだヒカルは軽く汗ばみ、呼吸を整える。
赤いチェックの上着を脱いで脇にかかえ、白地にロゴの入ったTシャツに
黒のジーンズという姿で控え室に入る。
「こんにちわーっ!」
先に来ていたプロ棋士らに軽く頭を下げて明るく挨拶し、ヒカルは窓際の椅子に腰掛けた。
下がり切らない体温を逃がすためにTシャツの胸元をパタパタはためかせる。
その時ふと誰かの視線を感じたような気がして、控え室の入り口の方を見た。
白いドアが大きく開いたまま固定されている。
僅かでも気配がするとついそちらを見遣るクセがヒカルにはあった。
だが大抵そこには誰の姿もない。ヒカルはそんな自分自身に笑い、そしてため息をついた。
イベントである囲碁の会が始まり、先刻の手紙の事はすっかりヒカルの頭の中から消えていた。
その2日後、棋院会館での手合いを終えて帰宅し母親から手渡された自分宛の通知の類と共に
再びそれが混じっているのを見るまでは。

母親は気がつかなかったらしいが、御丁寧に切手まで貼ったその封筒の表には消印がなかった。
手触りでやはり写真が入っているのはすぐ判った。
さすがにヒカルは怪訝そうな表情になり、封を切って中を見る。
同じ人形の写真。先日自分が仕事で着た白にロゴマークのTシャツに黒のジーンズだった。
そして前回と印象が違うのは、人形がベッドの上に横たえられている事だった。


(3)
人形に対する大きさからして、ベッドも人形用に作ってあるものなのだろう。
ヒカルはあまりそういうものに詳しくないが、いわゆる芸術家が1から作ったのではなく
人形もベッドも既成品を改良したみたいだった。
少女のように円い大きな瞳と軽く笑んだ唇で恍惚とした表情で人形は横たわっていた。
ベッドは四方に柱があり、ヘッドの部分がアンティークっぽいさく状のデザインだった。
そしてやはり写真の裏に“あなたのファンより”と書いてあるだけだった。
「うーん。」
写真の表を見たり裏を見たりひらひらさせたりしたが、だからと言って何か考えがヒカルの
頭に浮かぶ訳でもなかった。
「ま、いいや、風呂入って来よう。」
写真を机の上に放り出してヒカルは部屋を出て階下に降りて行った。

頭から勢い良く湯を2〜3杯かぶり、スポンジにボディーソープを泡立てて体を洗う。
16才になったとはいえ、まだまだ大人の体つきには程遠い華奢な二の腕と薄い胸板に
白い泡の塊となったスポンジを滑らす。
「だけど世の中には変な人がいるんだなあ。塔矢のとこにもああいう手紙来たりすんのかなあ。」
ぶつぶつ独り言を言いながら椅子に座って腿の外側から臑にかけて擦る。殆ど体毛のない
滑らかな皮膚を白い泡がクリーム状に包んで行く。
その時ヒカルは冷たい空気が背中に触れるのを感じた。
「あれ…、何だよ、窓が開いてンじゃん。」
大した広さのない浴室の一壁面の半分程を占めるサッシの窓が数cm程開いた状態になっていた。


(4)
春になったとはいえ夜の空気は冷たい。ヒカルは泡だらけの体のまま窓に近付き、閉めた。
連日何やかんやとこまごました仕事が立て込んでいた事もあり、風呂からあがると
ヒカルはその夜は直ぐにベッドに潜り込んで眠りについた。

夜中、何か違和感を感じてヒカルは目を覚ました。
「…あれ…?」
いつも目を開けると視界に入って来るはずの部屋の電燈がない。
いや、目を開けているはずなのに何も見えないのだ。
それだけではない。体がひどく重く感じる。手足が動かない。
ベッドの上に寝かされている感触だけが背中に感じられる。
「さあ、お体を綺麗にしようね。」
近くで男の声でそう呼び掛けられた。と同時に何かとてつもなく大きな何かに
体をすくいあげられ、衣服を脱がされかかった。
「な、何するんだ!やめろっ!」
そう声を出したかったが唇すら動かない。
その時ヒカルは自分が巨大な手に捕らえられているのを察した。
その大きな手は腕ごと自分の胸部を抱えてヒカルの背中辺りにあったボタンを外し、
上に着ていたものを取り去り、そしてズボンに手をかける。
「やだっ…!」
下半身が一気にむき出しにされ、巨大な手の中でヒカルは全裸になっていた。
何か大きな瞳がこちらを見ている。頭の上から足の先まで見つめられている感覚がヒカルの
全身を這い回った。


(5)
やがて視線から全身の皮膚を直接まさぐられる感触に変わった。
指先の腹の部分がヒカルの額に触れてきて、それは顔から胸部へと移り、その下へと移動していく。
「や…めろ…っ」
そう叫んで暴れたかったが相変わらず手足は動かぬままだった。
そしてその指はヒカルの局部で止まると、得体の知れない恐怖で
萎え下がっているヒカル自身をぐりぐりと圧迫する。
「うあっ」
指は円を描くようにしてヒカル自身を体に押し付けるように捏ねる。
ヒカルにとっては膝ぐらいの大きさに感じるその指で、あと僅かに力を入れられれば局部が
体にめり込むかプチッと潰されかねない、そんな恐ろしさと、緊張感で高まった触感の板挟みの中、
まるで血が通っていないかのように動かない自分の手足とは違って急速に
下肢の中心に体熱が集まっていくのがわかる。
「は…あっ…」
微妙な力加減で圧迫されてその部分が固く勃ち上がってくる。視線がそこに集中し、相手の
ハアハアという呼吸音がはっきり感じられる。
「やめろ…ってばあ!」
ヒカルは渾身の力を込めて両手を握り、体を揺さぶった。
「あっ」と低い声で相手が叫んだ気がした。
その時ガクンと体が滑るような感覚がして、暗闇に吸い込まれるような目眩を感じた。
暫くして目を開いたヒカルの瞳に見なれた自分の部屋の電燈が映った。



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