初摘み 1 - 5


(1)
 北斗杯の代表選手になった。ヒカルは、様子を見に来ていたアキラの元に駆け寄った。
今日の対局は、自分でも満足のいく一局だったのだろう。興奮さめやらぬといった様子で
アキラに話しかけた。
「塔矢!どうだった、オレ?…結構良かっただろ?」
少し得意げな屈託のない笑顔。誉めて欲しくてしっぽを振っている子犬のようだ。
 そんなヒカルの腕を掴み、アキラは物も言わずに歩き出す。
「な…何だよ…どこに行くんだよ…」
連れて行かれた場所は、屋上だった。ヒカルの目には、アキラは怒っているように映った。
『何かしたっけ?』不安そうなヒカルをドアに押しつけると、アキラはいきなり唇を塞いだ。
 突然のアキラの行動に、ヒカルは驚いて硬直してしまった。キスをするのは初めてではない。
だが、こんな激しいキスを受けたことはなかった。いつもは、触れるだけの軽いキスで
それ以外にキスの種類があることを、ヒカルは今初めて知ったのだ。強引に侵入してきた
舌がヒカルの口内を嬲った。
「あぁ…!やだ…」
顔を背けようとするヒカルの項に手を添えて、腰をしっかり抱えると身体全体で
のし掛かってくる。いつもと違うアキラの様子に、ヒカルは完全にパニックに陥った。
 スッと身体を締め付けていた腕の力が弛んだ。
「ゴメン…でも…ずっと会いたかった…」
ヒカルの耳に唇を押しつけるようにして、アキラが囁きかけた。ヒカルは、ずいぶん長い間
アキラに触れていなかったことに改めて気がついた。アキラの背中に手を回して、「オレも…」
と小さな声で言った。
 暫く、二人で抱き合ったまま動かなかった。
「進藤…ボク、誕生日のプレゼントまだもらっていないよ…」
アキラがヒカルの頬にキスをした。それがどういう意味なのか、ヒカルにはすぐにわかった。


(2)
 十二月に入ってすぐにヒカルはアキラに訊ねた。
「なあ、もうすぐオマエの誕生日じゃん。何か欲しい物ある?」
自分の時は、ナイロン素材のヒップバッグをもらった。一月遅れのプレゼントだった。
こういう物に疎そうなアキラがわざわざ自分で捜して選んでくれたと知ったときは、
感激した。何より、自分の誕生日を知っていてくれたことが、嬉しかった。ヒカルも
何か喜んでもらえる物を渡したかった。
 本当は自分で考えて選んだ方がいいのだが、アキラの喜びそうな物など見当もつかない。
アキラは物に対する執着が、極めて薄そうだった。アキラと屈託なく話せるようになって
まだ二ヶ月も経っていなかった。
「………キミ…」
「は?」
一瞬、理解できなかった。言葉の意味が脳に浸透していくにしたがって、ヒカルの顔も
紅く染まっていった。
「や、や、や、ヤメロよ〜ビックリするだろ〜」
冗談で返そうとしたが、アキラの真剣な眼差しに囚われてヒカルは戸惑った。
「オレ…オレ…」
俯いて口ごもるヒカルにアキラが笑って言った。
「ゴメン…冗談だよ。」
少し哀しそうなその声に、慌てて首を振った。
「いい、いいよ。オマエに、やるよ。」
言った後で少し後悔した。ヒカルはそっち方面の情緒では、同じ年頃の少年より遅れていた。
「いい」と言った物のどうしていいのかわからなかった。キスだって、つい最近経験した
ばかりなのだ。
 アキラの手がヒカルの髪をそっと梳いた。
「ホントにいいんだね?」
念を押すアキラに、ヒカルは頷いた。まだ、時間はある。その間に少しくらい調べることは
出来ると思った。


(3)
 結局アキラはプレゼントをもらえなかった。碁会所でもめて、ヒカルが来なくなって
しまったからだ。誕生日の日、家に帰ると自分宛に手紙が届いていた。差出人の名前は
なかった。だが、癖のある元気な文字を自分は良く知っている。中身はカードが一枚きり。
「誕生日おめでとう」と大きく書いてあった。そして、隅の方に小さく「ごめん」と書かれていた。
 ヒカルの気持ちが分かるから、自分からは会いに行かなかった。棋院で見かけても、敢えて
声をかけることはしなかった。四月まで待てば、また以前のように会えるから……。
 だけど、四ヶ月は長い。自分の中の衝動を持て余して、ヒカルを想いながら自分を
慰めることもあった。
 そして、漸くこの日が来た。

 腕の中のヒカルはジッとしていた。
「今日、家に来てくれる?」
「うん…でも…」
アキラの言葉に、ヒカルはもごもごと口ごもる。
「オレ…心の準備が…」
本当にこの四ヶ月、囲碁以外のことを考えていなかったんだな―――――――
口に出して言ったわけではなかったが、ヒカルがアキラの表情からその考えを読みとったようだ。
「だって、今日、勝たネエとずっとオマエと会えないんだぞ…オレ、そんなのヤダ…」
「ボクもずっと待ってた…だから来て欲しい。」
ヒカルが小さく頷いた。


(4)
 二人で歩いていると、一軒の洋菓子店が目に入った。女の子がさざめきあうその店を見て
「ケーキ買って帰ろうか?」
と、アキラがヒカルに笑いかけた。誕生日の仕切直しをするのなら、自分がそれを買うべきだろう。
「塔矢、オレが払う!」
「いいよ。今日は進藤が代表選手になったお祝いだからね。」
何でもないようにさらりと言われて、ヒカルは言葉に詰まった。何とも言えない感情が
身体の奥から湧いてきてヒカルを戸惑わせた。
――――――どうしたんだろ…なんかドキドキしてる…

 アキラの家に足を踏み入れたとき、人の気配が全くないことに驚いた。
「誰もいないの?」
「うん。」
アキラの両親が、現在留守がちなのは知っている。しかも、行先は外国だ。すぐに連絡の
取れる国内ではない。日本にいるのと外国にいるのとでは気持ち的に全然違う。
 こんな広い家に一人きりで寂しくないのだろうか?ヒカルが真顔で訊くと
「もう慣れたよ。」
と、アキラが静かに笑った。
「それに、今日はキミがいるし…」
たったそれだけの言葉で、ヒカルは訳も分からず紅くなった。


(5)
 アキラは普段甘い物は食べない。このケーキもヒカルのためだけに買ったのだ。
「塔矢…食べネエの?」
大きな目がアキラを覗き込んだ。その唇に素早くキスをした。甘いクリームの味がする。「ボクは、こっちの方がいい。」
ヒカルは、顔を真っ赤にして、口をパクパクさせた。そこから覗く舌が、クリームより
甘かったのは、確認済みだ。
 狼狽えるヒカルが可愛かった。ヒカルが、これからアキラがしようとしていることを
意識しているのはわかっている。そのせいで、ちょっとしたアキラの悪戯に振り回されている。
いつもの自分と立場が逆転しているのが可笑しくて、吹き出してしまった。
「ひでえよ…塔矢…オレのことからかってんの?」
ちょっと涙ぐんでいる。悪戯がすぎたらしい。初なヒカルに、こういう免疫がないのを
知っていながらも、返ってくる反応が可愛くてついやりすぎてしまった。
「ゴメン…ちょっと浮かれてた…」 
ヒカルの額に自分の額を押し当てた。ヒカルの大きな瞳と視線をあわせる。
「うん…」
ヒカルが笑顔を見せた。



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