平安幻想秘聞録・第一章 1 - 5


(1)
「君が、千年も後に生まれた人?」
 唖然としたように呟く明にヒカルは頷いてみせる。
「そう。オレだってすぐには信じられないけどさ、そうとしか考えられ
ないんだよ」
「本当に光じゃないですか?」
「うん、ごめん。佐為、オレはお前の知ってる近衛光じゃないんだよ」
「だが、君はまるで佐為殿や僕を知ってるような口ぶりだったじゃない
か。まさか千年後に僕たちがいるわけじゃないだろ?」
「いるっていうのか何ていうのか、話せば長くなるんだけどさ・・・」
 途中突っかかり脱線しながらも、ヒカルは何とか碁盤に宿った佐為に
出逢って囲碁を始めたことや、塔矢アキラとの初めての対局からその後
アキラを追ってプロになったことまでを二人に話した。
「『ぷろ』っていうのは?」
「碁の棋士を仕事にしてるってことだよ。それでご飯を食べてるんだ」
「では光は私と同じですね。私も碁を打つことで、この身を立てていま
すから」
「佐為は帝の囲碁指南役だろ?オレとはちょっと格がちがっ・・・」
 そこまで言って、ヒカルは重大なことに気がついた。佐為はもう一人
の囲碁指南役、名前は何というのかは忘れたが、その男との御前勝負で
神聖なる場を汚した責を問われて入水したはずだ。
「佐為!」
「はい、何ですか?」
「帝の前で、もう一人の指南役のヤツとは勝負したのか?」
「もう一人の指南役とは、菅原顕忠殿のことですか?えぇ、しましたよ」
「やったのか!?」
 それなのに、佐為が今こうしているということは・・・。
「勝ったんだ?そいつに」
「えぇ、もちろん」
 優雅に微笑む佐為に、ヒカルはほっと胸を撫で下ろした。
「先程の光の話では、私が顕忠殿に負けて、都を追われたことになって
いましたね」


(2)
「あぁ。ごめん、嫌なことを言っちまったよな」
「いいえ、いいえ。光が気にすることはありませんよ、それに・・・」
 そこまで言って、佐為はちらりと明の方見た。
「何?」
「佐為殿の口からは言い難いと思うから、僕から話そう。君の言う通り、
菅原さまの碁笥に白石は混じっていたんだ。けれど、対局の始まる前に
菅原さまが申し出られ、佐為殿の碁笥に戻されて、ことなきを得た」
「そいつが申し出て?」
「はい。もっとも、藤原行洋さまが念のために碁笥を改めてはと、帝に
ご進言下さらなかったら、どうなっていたかは分かりませんが・・・」
 佐為も明もはっきりとは言わないが、やはり相手はそれくらいのいか
さまはやりそうな男らしい。
「藤原行洋さまっていうのは、あっちじゃ塔矢先生のことか」
 先程、ヒカルが話していたときも、緒方、和谷、伊角という名に二人
が頷いたり笑ったりしていたのを思い出した。どうやら、こちらに該当
する人物がいるらしい。
「君には筒井筒(幼馴染み)はいる?」
「えーと、あかり。藤崎あかりっていう幼馴染みがいるよ」
「あかりの君ですね」
「君が碁を始めた頃、学校というところで良く打ってた相手がいたと言
っていたよね。その人たちは?」
 もちろん、平安の時代には学校も寺子屋もない。さっきヒカルもその
説明に苦労したのだ。
「んーと、三谷に、筒井さんに・・・加賀も、入れていいのかな、良く
ってわけじゃないけどさ」
 試しに、名前を挙げて行くと、検非違使だと聞かされた近衛の同僚に
同じ姓の者がいるらしい。
「本当に、こうやって話を聞けば聞くほど、あなたと光が別人だなんて
思えなくなって来ます」
 感慨深げに呟く佐為に、明もきょとんとした表情を見せるヒカルの顔
を見つめたまま頷いた。


(3)
「それに、君は纏っている気まで、近衛とそっくりだ」
「気?」
「その人の持つ目に見えない特性というものかな。君が見つかったとき、
初めは妖しが近衛の姿を模して現れたと思ったんだ」
「妖し?」
「魑魅魍魎、妖怪の類さ」
「妖怪?そんなものが出るのか?」
「ここでは日常茶飯事だが、そちらでは、そうではないようだな」
 ヒカルのいる現代では妖怪なんておとぎ話かマンガの世界でしかお目
にかかれないものになってる。もし、本当に河童だの鬼だのが現れたら、
新聞の号外が出るくらいの珍事だろう。逆に言えば、妖怪すら棲み難い
世の中になってるということなのか。
「塔矢、じゃないや、賀茂はその妖怪と戦ってるのか?」
「あぁ、近衛もね」
 うわー、こっちのオレって大変だったんだな。ヒカルは十五歳にして
プロ棋士という、あまり一般ではない職業を一生の仕事に選び、時には
寝食も忘れるほどに打ち込んではいるが、妖しと呼ばれるものと切り結
び、本当の意味の命懸けの戦いをしている光や明には及ばない。
「それが僕や近衛の仕事だからね。だけど、人にはそれぞれ役目がある
と思うよ。碁を打つというのが君にとって大切なことなら、それを誇り
に思っていい」
「もちろん、思ってるよ。オレは、佐為と出会って初めて碁のおもしろ
さ、楽しさを知って、そして、塔矢と出会って、アイツに追いつきたい、
追いついてやるんだって、そう思いながら打って来たことを、大切に思
ってるよ」
 ただ、悔やまれるのは、そのせいで佐為が消えてしまったことだけ。
棋院にある棋譜の書庫で、自分はもう決して打たないから佐為と出会っ
た瞬間に時間を戻して欲しいと、そう願ったのも嘘じゃない。
 今はそれでも自分の碁の中に佐為は生き続けているんだと、やっと思
えるようになったけれど。


(4)
「囲碁の手ほどきをしたのが佐為殿というのも、近衛と同じですね」
「えぇ。光もずいぶんと上達していましたが、こちらの光ともぜひ手合
わせをしていただきたいものですね」
「手合わせ!?それって、オレと打ってくれるってこと?」
「えぇ、もちろん」
 佐為と対局できる。そう思っただけで、ヒカルの背筋にびりっと電撃
のようなものが走った。
「オレ、打ちたい!今すぐにでも、ダメかな?」
「ですが、光、あなたはさっき昏睡状態から覚めたばかりなのですよ。
あまり無理をしては・・・」
「お願いだよ、佐為。オレ、ずっと、ずっと佐為と、もう一度対局をし
たかったんだ」
 懇願にも似たヒカルの必死の願いに、ヒカルの弱った身体を心配して
いた佐為も遂には折れてくれた。
「分かりました」
「佐為、ほんと?」
「ですが、無理をせず、疲れたら休みを取って、最初は一局だけですよ」
「うん。それでいいよ。ありがとう、佐為!」
 そのままでは風邪を引きますねと言われ、改めて自分の服装を見れば、
小袖という今で言う下着に当たる白い薄手の着物姿だった。
 着替えるついでに身体を拭いて(女房の手伝いは断固として断った)、
狩袴に狩衣を着れば、ヒカルも立派な平安の世の住人に見える。
「へー、何だか変な感じだな」
「そんなことはありません。とても似合ってますよ」
「うん。似合ってるよ」
 佐為と明に揃ってそう言われれば、悪い気もしない。照れ臭そうに笑
いながら、ヒカルはいつの間にか用意された碁盤の前に座った。意外に
も袖の捌きもヒカルはうまく、馴れていないとは思えないほどだ。
「では、始めましょうか?」
「うん、お願いします!」
「お願いします」


(5)
 結果は、後番の佐為の三目半勝ちだった。もっともこの時代にはコミ
のルールはまだないから、逆にヒカルの二目勝ちになる。それに、序盤、
佐為はヒカルの力を見るためか、本気で打っていなかったように思えた。
「どう、かな?オレ・・・」
 恐る恐る伺うヒカルに、佐為が満面の笑みを浮かべて頷いた。
「とても、とても強いと思います。ほら、ここの手など、私には思いも
つきませんでした。ここをうまくのぞかれて困りました」
 それでもその攻めを凌いでいった佐為はやはりすごいと思う。久しぶ
りに見た佐為の一手、一手に、ヒカルは感嘆のため息を零しそうになっ
たくらいだ。
「近衛よりも強いよ。僕ではとても勝てないな」
「そう、なんだ?」
 自分より弱いアキラ、いや明というのは想像がつかなかったが、ここ
での明は陰陽師が本来の仕事で、碁はあくまでも貴族としての嗜みなの
だろう。それに、平安から平成まで、千年もの間に産み出された定石を
知ってるヒカルの方が強くても不思議ではない。
「佐為、ありがとう。オレ、佐為と打てて、嬉しかった」
「いいえ、お礼を言うのは私の方ですよ。とても楽しい一局でした」
 視線を上げた先に佐為のいる幸福。それを思うと、ヒカルは胸の奥が
熱くなるような気がした。
「そうそう、光。おなかは空いていませんか?」
「あっ、言われてみれば、すごく腹減ってるかも・・・」
「ふふ、すぐに夕餉の支度をさせましょう。明殿もぜひを召し上がって
行って下さいね」
「はい、お言葉に甘えさせていただきます」
 平安の食事というのはヒカルが思っていたのより質素で味も薄口だっ
たけれど、お腹が空いていたせいか、充分おいしかった。さすがにラー
メンはないよな、この時代には。秀策がいた時代にだってないはずだ。



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