ヒガンバナ 1 - 5
(1)
隣の家の庭に、でかくて赤い華が咲いていた。
あの華の名は、何だったろう。
「ヒカルー?暇ならちょっと手伝ってちょうだい、ほら早く。」
おかあさんの声が階段の下から聞こえてきた。せっかく棋譜並べに集中してたのに、なんだって言うんだよ。
心の中で文句を言いながらオレが階下に降りてゆくと、おかあさんは台所でなにやら忙しく立ち回っていた。
「これ丸めてあんこ付けて、おじいちゃんの所に持っていって欲しいの。」
「何これおはぎ?何でオレが作らなきゃいけないんだよ。」
「だっておかあさん、これからあんたのお昼ご飯作るのよ。」
お昼抜きでいいの?と言われ、オレは渋々手を洗いに行った。おはぎ作るのなんて初めてだ。
そう言えば、今日からお彼岸入りだっけ?っつーか、そもそもお彼岸って何?おはぎ食う日?
餅米を適度な大きさに丸めて、あんこをペタペタとくっつけていく。やってみると案外楽しい。
「じーちゃんがおはぎ食べたいって言ったの?」
「違うわよ、おばあちゃんにお供えするの。今日はご先祖様の供養をする日でしょう。」
供養?そうだったのか。
お彼岸の意味を知るのと同時に、オレの胸に切ないほど蒼い灯りがひとつ、ともった。
────そうだ、あの華の名は…。
(2)
忘れられない人がいる。
自分の中では、もう吹っ切れたつもりだった。
それでも、ふとした瞬間────部屋で一人で碁の勉強をしているときや、棋院のエレベータに乗っているとき────オレはアイツを思い出しては、寂しくなるのだった。
一分でも、一秒でもいい。
もしもオマエと過ごした、あの時間に戻れるのなら。
オレの瞼の裏で、オマエはこんなにもくっきりと微笑んでいるというのに。
いつか、オレの頭ン中で、オマエの笑顔は滲んでいくのかな。
いつか、オレの頭ン中で、オマエの声は掠れていくのかな。
壊れたビデオテープみたいに。
佐為。
オレ、オマエのこと、思い出にしたくないよ。
風に吹かれ、ゆらりゆらりと揺れるあの花は彼岸花。
あの世の岸に咲くのなら、どうか愛しき人に会わせておくれ。
声を聞くだけでも構わないから、どうか、どうか、悲願花。
(3)
秋の訪れを報せる冷たい風が、オレの前髪を弄んでいく。
オレは薄着で家を出たことを少し後悔しながら、じーちゃん家に向かった。
「じーちゃーん、おはぎ持ってきたよー!」
「ああ、わざわざ悪かったなヒカル。寒かったろう、上がりなさい。」
「うんっ!それより早くこれ見てよ、オレが作ったんだぜー!」
得意気に言うオレを、じーちゃんはハイハイと流して、台所へとおはぎの包みを持って行ってしまった。きっと皿に盛ってきてくれるのだろう。
オレは縁側に面する和室の襖を開けると、畳に思い切り寝ころんだ。なんだか懐かしい匂いがする。やっぱ日本人は畳だよな、うん。
この部屋からは蔵が見える。オレとアイツが初めて会った場所だ。
「ヒカル、ちょっとそこのちゃぶ台の上を片付けてくれないか。」
我に返って声のした方に視線を移すと、じーちゃんがおはぎとお茶を乗せたお盆を持って立っていた。
「ああ、うん今すぐ────……」
ふと、オレは手を止めて蔵の方を振り返った。
「ヒカル?」
「…じーちゃん、オレ蔵の中でこのおはぎ食いたい。ダメ?」
「蔵の中で?」
じーちゃんは面食らった顔で、オレのセリフを繰り返した。
「ダメってことはないが…あそこはホコリだらけだしなァ…」
「いいよ、そんなの。」
早速お盆から皿を取って、蔵に運ぼうとするオレを、じーちゃんは慌てて呼び止めた。
「おまえ、ここに来ると決まって蔵に寄るが……どうしてなんだ?何が意味があるのか?」
それは、オレにとってとても答えづらい質問だった。
オレは曖昧な笑みを残して、じーちゃんに背を向けた。
(4)
あの碁盤が置いてあるのは蔵の二階だ。オレは階段を上りながら、じーちゃんの質問を思い出していた。
アイツのことを話しても、信じてもらえるわけがない。
────佐為は、オレにしか見えなかったんだから。
その事実はオレの独占欲を満たすものではあった。けれど、オレしか知らないということは、オレ以外に佐為の存在を支えるものは何もない、ということで。
(……佐為…。)
オレは怖かった。いつか自分が、本当は佐為なんて居なかったんじゃないか、と思うようになってしまったら。佐為との思い出は長い夢だったんじゃないか、と思うようになってしまったら。
月日が経つのと共に、佐為がいたという確信が揺らぎそうで。そう考えると、時の流れが怖かった。
「佐為の思い出を“遠いもの”にしないでくれよ…。」
オレから思い出まで取らないで。お願いだから。
そう呟いたとき、目の奥がじんと熱くなって、オレは涙を振り切るように頭を振った。
「あっ!」
ばかだ────そう思ったときには遅かった。オレは歩きながらそんなことをしたせいで、階段を踏み外していた。
遠くでおはぎを載せた皿が割れる音を聞いた。
(5)
「………あれ?」
踏み外した、と思ったのに、オレはちゃんと階段を上りきっていた。無意識のうちに体勢立て直したのか?さすがオレ。小中学の体育(のみ)の成績オール5は伊達じゃないぜ。
それにしても、階段の下に散らばった皿の破片と、ぐちゃぐちゃになったおはぎを見て、オレはひどくがっかりした。せっかく作ったのに。せっかく────佐為にお供えするために、作ったのに。
「いいや…碁盤見た後で片付けよう…。」
溜息混じりにそう言って、蔵の奥に進もうとすると────オレはなぜだかそこから一歩も動けなくなってしまった。いや、正確に言えば動けるんだけど…なんでかな、動いちゃいけない気がしたんだ。
そのとき────オレの後ろ、つまり階段の下で、空気が動く気配がした。
誰か、いる。
じーちゃんじゃない。
神経が、後ろへ後ろへと集中していくのがわかった。
かちゃり。
硬いものが触れ合う音がした。きっと割れた皿がたてた音だ。でもなんで?どうやって?
「これ、私のために作ってくれたんですか?ヒカル。」
────オレが…ずっとずっと、想い焦がれていた声が……聞こえた。
|