恋 Part 1 1 - 5


(1)
「好きだ」

軽い気持ちで告げたつもりはない。
考えに考えた結論がそれだった。
なのに、進藤が返した答は、僕の予想を裏切るものだった。それは良くも悪くも彼が19路の上に描く棋譜の様に……。
「俺もおまえのこと好きだけど?」
小首を傾げるようにして、今更なにを言うんだといわんばかりに笑って見せる進藤は、僕の言葉なんてちっとも真面目に聞いてはいないんだ。
「違う!」
思わず声を荒げていた。
「……塔矢?」
ああ、こんなつもりじゃなかったのに。
いつもの様に、検討を深めていたら、「ああそうか」と「なるほど」の繰り返しが始まって、そこから子供じみた「もう帰る」にまで発展するのは、あっという間だった。
でもそれじゃダメなんだと、それじゃいつまで経っても、進藤は僕の気持ちに気づいてくれないんだと、慌てて追いかけたのいつにない展開だったはずだ。
それなのに、また僕は苛々とした声を進藤に聞かせている。
「違うんだ」
泣きたくなってくる。
テレビのドラマや本のなかで再三繰り返される、恋というのはもっと甘いものじゃなかったろうか。
毎日の様に碁盤を間に挟んで、僕たちは言葉のいらない会話を深めているのに、なぜ気持ちは届かないんだろう。
ほら、いまだって。
僕の気持ちに気づく気配のない進藤は、ただ目を丸くしているだけだ。
そんなに覗きこまないで欲しい。
君の大きな瞳に自分が映っているようで、僕は目を合わせることができない。
見ていたいのに、いつだって君の顔を――くるくると表情を変える君の顔を――見ていたいのに、碁盤を介さずに向き合うとき、僕はどうしてだか、俯いてしまう。
なぜ僕は、進藤。君を前にすると、こうも苛々してしまうんだろう。


(2)
「なにが違うんだよ?」
どこか、のんびりとした声で、進藤は僕の心に踏み込んできた。
ごまかすことは容易かったろう。だけど、僕はもう限界だった。
はじめ、君は僕にとって大いなる壁であり、目標だった。
そして、無視したいのに無視できない相手となり、気がつくと唯一好敵手と認める存在となった。
そして、好敵手であり、同年代の友人となったのは、つい最近のことだ。
わかっている。
君と心安く話せるようになったのは、つい最近だってことは。
でも、もうそれだけじゃ我慢できないんだ。
僕が君を掛け替えのない存在だと想うように、君にも想ってもらいたい。
友人なんて、あのきたりの関係ではいやなんだ。
僕はもっと君のなかに踏みこみたい。
こうまでして、君を求める気持ちがなんなのかずっとわからなかった。
自分の並外れた執着が、理解できずに恐ろしかった。
でも、恐れているだけでは変化は訪れないのだと気づいた時、僕は認めたんだ。
この気持ちがなんなのかを。
「僕のこの気持ちは恋だよ」
僕はゆっくりと顔をあげた。


(3)
「恋?」
問い質す進藤の声に、抑揚はなかった。
「そうだよ」
絶望的な気持ちで、僕は先を続ける。
「僕は、君が好きだ。君に出逢うまで、僕にとってなによりも大切で絶対的なものは、碁だった。でも………」
胸が苦しくて、そこで一度言葉を切った。
別に呼吸が乱れていたわけでもないのに、一つ大きく深呼吸したのは、気持ちを落ち着けるためだったろうか。それとも、……涙を堪えるためだったろうか。
「いま、それと同じぐらい、君が大切なんだ。もし選べと言われたら、答えることなんてできないぐらい、君が大切なんだ。
この気持ちは恋だよ」
「選ぶって、なにと?」
進藤、君はこんな時でも無邪気な声を聞かせるんだね。
「碁と……」
掠れる声で短く答えた。耳が熱くなってくるのがわかる。
僕は、まだ奇矯な子供でしかないから、そんな価値基準しか持たないんだ。
でも、それは僕の真実だから。
碁打ちになることだけを願い、神の一手を極めたいと精進する僕だから、碁と比べることしかできないんだ。
でも、進藤。
君ならわかってくれるだろう?
同じ碁打ちの君なら、このたとえでわかってくれるだろう。僕の気持ちの真実を。
夢から醒めたような表情で、進藤は呟いた。
「ああ、そうか」
その一言に、僕は一瞬怒りを覚えた。
彼が、僕の気持ちにまったく気づいていなかったことが、その一言から伺えたからだ。
でも、いつもと違い、怒りを抑えるのは楽だった。
それはそうだろう。
恋は、異性間でするもの―――、それが一般的な「常識」だ。
同じ男の君に恋をするなんて、僕だって最初は信じられなかったし、認めたくなかった。
「なあ塔矢。気を悪くしないでくれよ」
進藤は真面目な表情で、口を開いた。


(4)
その表情だけで、報われると僕は思った。
「俺さあ、いままでそういう意味でおまえのこと考えたことないんだ」
そう言って、僕を見据える進藤の瞳は、対局時を彷彿とさせる真剣なものだった。
「おまえのこと好きだよ。それだけは自信を持って言える。でも、それが恋なのかどうかは、わからない」
僕は、小さくうなずいていた。でもその短い時間ですら、進藤の瞳から目が離せなかった。
「おまえに教えて欲しいんだ。塔矢、おまえ俺にどうして欲しいんだ?」
「え?」
「なにをどうしたくて、俺にコクったんだ?」
コクった、という単語の意味を理解するのに、ほんの少し時間が必要だった。
それが告白という意味だと思いついたとき、初めて羞恥を覚えた。
僕は、進藤に好きだと告げて、どうしたかったんだろう。
でも、言わないといけないと思ったんだ。
言わないとわかってもらえない…だから告白したんだ。
じゃあ、わかってもらえればそれでいいのか?
僕は、慌しく答えを探しながら、「進藤」と彼の名前を呼んでいた。
「うん?」
彼は、僕を少し見上げるようにして瞬いた。それはいつもと変わらない表情だった。
罵られるのが怖かった。気持ちを告げることで、いまの関係が壊れることが怖かった。
それでも、わかってもらいたいと思ったのは、なぜだったろう。
あれほど考えて考えて考えた末に出した結論だったのに、結局僕はなにがしたいのだろう。
「……僕は、君といつまでもこうしていたい」
「へ?」
「ずっと、こうやって碁を打っていけたらと思う」
「でも、それはいまだって」
「いま…は、毎日のように打っているけど、以前はそうじゃなかった」
 そうだ。君は、もっと打ちたいと願う僕の鼻先で、ぴしゃりと窓を閉めたことがあった。
「君の気紛れで、また打てなくなるのがいやなんだ」
話しているうちに、それがすべてのように思えてきた。
「僕は君とこれからもずっと、碁を打っていきたいんだ」
進藤の瞳が、こぼれんばかりに見開かれた。
「ずっと?」
僕は大きくうなずいた。
「本当に?」
「ああ」
「俺と、ずっと碁を打ってくれるんだな?」
「ああ、それが僕の幸せなんだと思う」
「幸せ……?」
進藤は、いつも手にしている扇子に、視線を落とした。それからゆっくり顔をあげると、少し強い口調で、尋ねた。
「俺もそれを望んでいると言ったら?」
今度驚く番は僕だったらしい。
それは、思いがけない答えだった。
「塔矢、答えろよ!
俺もそれを望んでいると言ったら、おまえはずっと俺と一緒にいてくれるのか!?」
僕の胸の中が、暖かいもので満たされていく。

「勿論だよ」


(5)
僕がそう答えると、進藤の表情が途端に緩んだ。
大きな瞳がたちまち潤んでくる。
僕は信じられなかった。
ただ、進藤に自分の気持ちを告げるだけで良かったはずだ。
わかってもらえれば、よかったはずだ。
それなのに――――――。
進藤は、潤んだ瞳を隠すように俯くと、そのまま身体を前にすこしだけ倒した。
とんと、僕の肩に進藤のぬくもりが感じられた。
進藤の髪が、僕の鼻先を掠める。
「俺の気持ちも同じだ……」

思いがけない答えだった。
願ってもいない答えだった。
僕は、進藤の華奢な身体に、そっと腕を回した。
そしてもう一度聞かせたんだ。

「好きだ」と。

僕の腕の中で、進藤が顔をあげる。
なにか言いたそうに、進藤の唇が動いた。
僕はそれに誘われるように、唇を重ねていた。


*** Part 1 終 ***



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