失着点・境界編 1 - 5
(1)
薄暗い天井を見つめているヒカルの視界に入ってきたのは一匹のクモだった。
電気を消し,厚いカーテンで外からの光を最大限に遮ったアキラの
アパートの部屋の中で、そんなものが見えるはずがなかった。
カーテンを替えたのはヒカルが望んだからだった。
何も見えない闇の中で行なわれた行為はいつでもなかった事にできるような、
そんな錯覚でも持っていたのかもしれない。
真新しい淡い水色のカーテンの代わりに、アキラは遮光性の強い素材の黒い
色のものを見つけてきた。
でも実際には暗さに慣れた目は、部屋の片隅の携帯電話の充電のランプ程度の
光量でいろんなものを浮き上がらせ捕らえさせていた。
ゆっくりと天井をどこへ行くともなく這い回るクモの動きのように
ベッドに仰向けに横たわったヒカルの下腹部でアキラの舌が動いている。
お互いまだ服を着たままで、ヒカルの薄手のパーカーが少したくし上げられ
ジーンズのジッパーを下げただけ、アキラはスーツの上着すら脱いでいない。
手狭な玄関には乱暴に脱ぎ捨てられた革靴とスニーカーがあった。
熱い吐息を従えた柔らかな肉片の感触は、ヒカルのもっとも敏感な先端部分に
近付いては遠のき、ふいに尿道口に潜り込もうとし、また根元の方へと
引き下がっていく。まだ完全に剥けきっていない包皮が押し下げられ、今まで
あまり外気に触れていなかった箇所に慎重に刺激を与えられ続けていた。
「う…うん、んっ…ふうっ」
快感が足早に階段を登り始め、天井を見ていたヒカルの瞼が閉じられる。
ヒカルの腰がわずかに仰け反りかけたのを合図にしたように
アキラは硬直しきったヒカル自身全体を口の中に収めて激しく吸いたてた。
(2)
「はあっ…あっ…!」
アキラの口の内に放出して、ヒカルは切なく体をよじらせる。
アキラはヒカルを離そうとせず硬度を落とした柔らかな先端を舌で愛撫
し続ける。
「だから…、ダメだってば…!塔矢!…しちゃうから…!」
到達の後、尿道を刺激され続けると激しく尿意が引き起こされる。
まさかアキラもさすがにそんなアクシデントを期待してはいないだろうが、
ヒカルを困らせて楽しんでいるのは明白だった。
そんなアフターサービスが機会毎に時間延長されていた。
「…塔矢!!」
かなり切羽詰まってヒカルの声に怒りが混じるとようやくストップする。
そして機嫌を取り直してもらおうとするように顔をすり寄せてきて、
ヒカルの舌を吸いにくる。
ヒカルが放ったモノの味を分けるようにだ液を流し込んで来る。
味が無いような、苦いような、どちらにしてもあまり良い気持ちはしない。
そういうヒカルの表情を、アキラはまた楽しんでいる。
初めてこの部屋で塔矢と結ばれてから数カ月が経つ。
あのあといろいろあったが、今もこうしてこの部屋でアキラと会っている。
今日も久しぶりに碁会所で手合わせをし、「検討会は部屋でやろう」と
誘われるままについてきて、玄関に入るなりベッドに押し倒されたのだ。
アキラの甘さに混じる「いじめ」の他に、一つ、ヒカルには大きく不満に
思っている事があった。
ヒカルはまだ、塔矢の中に入った事がなかった。
(3)
露出したままのヒカル自身の先端に軽くキスをすると、アキラはシャワーを
浴びに行った。
外出したらシャワーを浴びてから着替えるという習慣なのは本当らしかった。
ただ、ヒカルには終わった後でなければシャワーを使わせてくれなかった。
「ヒカルの匂いが好きなんだ。…焼いたクッキーのような匂いなんだ。」
真面目な顔でそう言われてしまうと従わざるをえない。
自然、ヒカルは自宅を出る前にシャワーを使う事が多くなった。
その日のいつどこでアキラに求められるかわからなかったからだ。
「何やってんだろう…オレ…。」
ドライヤーで髪を乾かしながら鏡に向かってつぶやく。
そんな毎日が続いていた。
最初の時が、もっとも激しいSEXだった。あの日、自宅に帰り着いた後で
ヒカルは熱を出した。激しい腹痛を起こした。頻繁にトイレに入るヒカルを
心配して母親は医者に来てもらおうとしたがヒカルは断固として拒否した。
「男とSEXして腸の中を掻き回されました」
そんな話でもしろというのか。それにあちこちにアキラが考え無しに残した
痕跡があった。
何気にその事を思い出して何となく急に腹がたってきた。
「なんか飲む?」
タオルで髪を拭き取りながらアキラがバスルームから出てきたところを
ヒカルは腕を掴んで壁に押し付け、首筋の目立つところを狙って
唇を吸い付けた。
(4)
「だめ…だよ、進藤…!」
いち早くヒカルの意図を感じ取ったアキラが圧迫された喉で吐息がちに乞う。
言葉の割にあえて押し退けようとはしない無抵抗な態度に
ヒカルは一瞬怯むが、今まで何度か同じ言葉を自分が発しても
聞き入れてもらえなかったのだ。
なにより、アキラの柔らかな喉元を吸う感覚に一気にのめり込んだ。
「ん…っ」
目を閉じ、逆に顎を少し上向けるアキラ。理性が欲望に負けたようだった。
その時ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
弾かれたようにヒカルはアキラから後ずさりキッチンの椅子にぶつかって
危うく椅子ごと倒れそうになった。
続けてコンコンコンッと忙しなくドアをノックする音に、アキラは相手が誰か
気付いた様子で玄関に向かった。
「やあ、アキラ君、碁会所で進藤君とこっちに戻ったって聞いたから。
二人にお寿司の差し入れ。」
アキラがドアを開け、ニコニコしながら寿司折りを持った芦原が入ってきた。
そして椅子の背を掴んで突っ立ったままの進藤と髪が濡れているアキラに
怪訝そうな表情をした。
「…あれ、検討会してたんじゃないのかい?どうしたの?」
「進藤が疲れてて来てすぐ寝ちゃって。その間にボクはお風呂。進藤は今
目が覚めたばっかなんだ。」
平然とそう話してアキラはポットに水を入れてコンロに乗せた。
(5)
「そうか、それで進藤君、ボーッとしてるのか。顔が赤いよ。」
「あ、う、うん。」
ヒカルはわざとらしく眠そうに目をこすってみせた。
「…あれ、アキラ君、首のとこ…、」
芦原がアキラを指差し、再びヒカルの心臓が躍り上がった。
しまった、あまりに強く吸いすぎたのだ。
「え、何?」
アキラは無造作にボリボリと首をかいた。そして手をどけた跡を見て
ヒカルはギョッとなった。血が出ている。アキラが爪で傷つけたのだ。
「あーあー、アキラ君にしては珍しいなあ、掻き壊すなんて。」
芦原が素早くそこにあったティッシュを数枚取ってシンクで少し水に濡らし、
アキラの首にあてた。
「ありがとう、芦原さん。…いつ刺されたのかな。」
芦原に顎を預けてアキラはすっかりさっきまでとは別人に成り変わっている。
その様子を見た時、カッとヒカルは何か体が熱くなる感覚を持った。
「オレ、帰るよ。」
ヒカルは玄関に向かった。この部屋で、芦原の前で何もないように装おう事は
ヒカルには出来そうになかった。
装おうことが出来るアキラが、何だか腹立だしかった。
「えー、進藤君?」芦原が困惑する。
「進藤は疲れているみたいなんだ。」
さらりと受け流すアキラの言葉に追い討ちをかけられた。
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