目醒めの朝 1 - 5
(1)
トーストと牛乳、大皿には程よく焼けた目玉焼きとレタスとキュウリとトマトが盛られていた。
「簡単なものしかないけど、どうぞ」
アキラが朝食を勧めた。
ヒカルは顔が上げられずにいた。
――チキショウ。こんな時、どんな顔すりゃいいんだよ。
うつむいたまま、ヒカルはトーストを口にした。ボソボソとしていて、なにを食べているか
味がわからなかった。
「バターもジャムもあるよ。」
テーブルの真ん中にはバターとジャムが置かれている。
なにも答えず、ヒカルは手を伸ばし瓶からジャムをすくい取った。
しかし、山盛りにすくい上げたブルーベリー・ジャムの大半はトーストまで届かず、
テーブルに落ちてしまった。
手を伸ばした時に顔を上げてしまい、アキラと目があったからだ。
ヒカルを見つめるアキラは微笑んでいた。思わず顔がカッと赤くなり、手が震えた。
――コイツ、なんにもなかったみたいに平気な顔してる。あんなことしておきながら。
なんでこんなことなっちゃったんだ。
ヒカルは昨夜からの出来事を思い返していた。
(2)
アキラとの初対局の後、塔矢名人の囲碁サロンに通い出して一月近くが過ぎていた。
アキラとの対局はとにかく楽しかった。思いがけぬところに打たれたり、痛いところに打たれたり。
手強かったが、真正面から全力で向かっていき、それに応えてくる相手がいるのがとにかく
うれしかった。検討に熱が入り、喧嘩をするのもしばしばだったが、それさえもうれしさの
表れだった。きっとそれはアキラも同じだったはずだ。
しかも、きのうは快心の一局が打てたのだ。
またたく間に時間は過ぎ、閉店が迫っていた。
「もっと打ちてぇなぁ。」
じれったいようにヒカルがつぶやくと、アキラが言った。
「これからうちに来て打たないか。」
両親は中国に行っていて、アキラひとりだという。
「そうなんだ。いく、いく。」
ヒカルはすぐに誘いに乗った。
初めて行ったアキラの家は名人の住まいに相応しい閑静な佇まいをしていた。木々に囲まれた
広大な敷地は、都心であることを忘れさせる。
落ち着いた風格のある家に、これまで研究会が開かれてきたという大きな部屋、そして
たくさんの碁盤。こんなところでアキラはずっと碁を打ってきたんだ、と改めて感慨があった。
アキラの力の背景を知る思いがした。
その夜、ひとしきり打ってから、布団を並べ床についた。
(3)
暗い中で話をしていて、うとうと眠くなりだした頃だった。突然、アキラがヒカルの上に
覆い被さってきた。
いろんなところにキスをされて、体中を撫でまわされて……、足を大きく広げられて……。
それからはよく覚えていない。アキラに翻弄されるままにいろんな恥ずかしいことをされた。
ヒカルももう中三だからセックスに興味がないわけではない。
実際、佐為がいなくなってから、雑誌のグラビアで抜くことを覚えた。
それだけでなく、時々、アキラのことを思うともやもやしてきて、シコッた。ただ抜いている
だけでもいけないことをしている気がしたのに、相手がアキラとなると余計に罪悪感を感じて、
後から猛烈に自己嫌悪していた。それなのに、アキラも同じことを考えていたなんて。
昨夜のことを思い出すと、ヒカルは体が熱くなった。
――塔矢はなんであんなこと知ってたんだろう。
オレ、抜いてたけど、セックスってどんなことするかホントはぜんぜんわかってなかった。
なんとなく、入れたら気持ちイイんだろうなぁって思うだけで。塔矢のこと抱きたいとも
思ったけど、男となんてどうしたらヤれるか想像もつかなかった。
それから、キスするって、あんな風に舌を差し込んで吸われることだったなんて知らなかった。
唇をくっつけるのがキスだと思ってた。
小学校の修学旅行のとき、先生が水着禁止令出したから海パン持ってくのやめたけど、
お風呂に入るときは恥ずかしくてタオル巻いて隠してみんな大騒ぎしてた。それなのに、
全部見られた。全部。チンポも玉も、シリの穴まで全部見られちゃった。あぁっ、
塔矢のバカッ!
それだけじゃない。見るだけじゃなくて、さわられて、入れられて…。わあぁぁぁぁ!
オレ、わけがわかんなくなって、体がきかなくなっちゃったんだ。なんにも考えられなくなって、
ただ塔矢のするままに勃って、出して、それから…、それから塔矢のをシリにブチ込まれた。
オレはずっとヤダ、やめてって言ってたのに。でも、アイツちっとも聞いてくれなくて、
オレの足を広げて……。わあぁぁぁぁ!
あんな恥ずかしい思いしたの初めてだ。自分でするよりか何倍も気持ちよかったけど、
だからってあんなことするなんて、塔矢なんて、塔矢なんて……。バカ野郎!
塔矢、なんでオレとセックスしたんだろう。
思い返しているとだんだん頭に血が上ってきて、ヒカルはなにを食べているか、ちっとも
わからなかった。ボウッとしながら、ただ目の前のものを機械的に口に運んでいた。
(4)
――朝起きたら、元みたいにパジャマを着てた。きのうのことは夢だったんじゃないかって
一瞬思ったけど、すぐに本当のことだってわかった。だって股がすごく重たくて、それに
シリの穴がズキンズキンって痛かった。ホントだったんだ。オレ、塔矢にヤられちゃったんだ
と思ったら、どうしていいかわかんなくなって、布団を頭から被った。
でも、痛みはぜんぜんなくなんないし、布団からちょっとだけ顔を出してみたら、塔矢が
やさしく笑ってこっちを見てた。オレ、カッとなってまた布団を被ったんだ。
だって、あんなことした後、どんな顔して顔合わすんだよ。すげェ恥ずかしい。
「ごめん。でも、ずっとキミを抱きたかった。」
って言って、塔矢はオレにキスした。今度は唇が触れ合うだけの。
「お風呂に入ろう」
って、風呂場に連れていってくれた。いつもの自分じゃないみたいで、ふらふらしてたら、
塔矢がシャワーでオレの体を洗ってくれた。
なんでだ。塔矢、オレが好きなのか。だって、オレ、男だぜ。
でも、でも、オレも塔矢でシコッてた。塔矢とヤる夢を何回も見てた。こんな風にヤられる
んじゃなくて、ヤるほうだったけどさ…。
ホントはオレも塔矢のこと、好きだったんだ。よくわかってなかったけど。
オレが塔矢のこと好きで、塔矢がオレのこと好きだったら、こういうのって、いけないこと
じゃないのかな。してもいいのかな。
でも、だからってあんな急にやるなんて…。まったくコイツ、いつも強引なんだよ。
……塔矢のバカ野郎!
(5)
――でも、コイツが好きなのはホントにオレなのかな。
コイツの見てるのはホントにオレなのかな。
佐為がいたから、お前はオレを追いかけてきたんだ。
お前が惹かれてるのは佐為じゃないのか。
「キミの中に、もう一人いる」
そうコイツは言ったんだ。
そうだ。コイツは確かにそう言った。
コイツには佐為がわかるんだ。
コイツの頭の中にはいまでも佐為の打った碁が残ってる。
あの碁を打ったオレだからコイツはオレを知りたかったんじゃないのか。
――じゃあ、いまはどうなんだ。
「キミの打つ碁がキミのすべてだ。それでもういい。」
そうも言った。
本当にオレでいいのか。
オレの中に佐為はいるけど…。オレは佐為じゃない。
本当にオレでいいのか、塔矢。
アキラの求める相手が本当の自分なのか、ヒカルは自信がもてなくなってきた。
塔矢に愛されたい。急に、強く、ヒカルは思った。切なかった。
「どうしたの。」
手が止まってしまったヒカルにアキラが不安そうに問いかけてきた。
「な、なんでもない。」
慌てて答えると、残りのサラダをかきこんだ。
なんだかわからないまま、朝食は終わった。
結局、その朝、アキラの家を出るまで、うつむいたままヒカルはほとんど口をきかなかった。
「進藤……、きのうは…」
アキラが気まずそうに口を開きかけたそのとき…
――コイツの目をオレに向けてみせる。もし、いまはそうじゃなかったとしても。
いつか、きっと。
ヒカルは顔を上げ、真っ直ぐアキラを見つめて言った。
「塔矢、キスして。」
(おわり)
|