落葉 1 - 5
(1)
「ぅわ……すっげー! キレ−!!」
足下を埋め尽くし、尚も山吹色の葉を舞い散らす銀杏の木々にヒカルは両手を振り回し
てはしゃいでいた。
「あんなぁ……ガキとちゃうんやから、もぉちょい落ち着かんかい!」
「……社、ジジくせー」
「なんやとぉっ!?」
後ろからタックルを仕掛けようとした社をひらりと躱して、ヒカルは盛大にあっかん
べぇ、と舌を出した。
「待たんかい、われっ!」
「やーだよっ」
ヒカルが黄金色の絨毯に覆われた緩やかな坂を駆け上がると、銀杏の葉の下にある枯れ
葉がさくさくと耳に心地よい音を立てる。
ヒカルは先を歩いていたアキラを捕まえると、その背中に張り付いて彼ごと身体を反転
させた。
追い掛けて来た社に、ヒカルはアキラの小脇から顔を突き出してヘラっと笑った。
ヒカルにとって自分よりもかなり身長の高い社の目線が、起伏の激しい場所で自分と同
じ高さなのがなんとなく愉快だった。
「こんっの……」
社がヒカルをひっ捕まえようとした途端、ヒカルはまたアキラの影にひょいと身を隠し、
背後からアキラをぐいと押し出した。
「ちょっ、進藤……」
社は戸惑い気味のアキラを押し退け、ヒカルを捕まえようとするもまたも反対側にくる
りと回られ、やはり盾となるようにアキラが二人の間に居た。
「っへへ。やっぱ腰を落ち着け過ぎて足腰なまってるんじゃねェか?」
からから笑うヒカルに社は顳かみをピクピクと引き攣らせる。
不意にヒカルがアキラの背にすっと隠れた。
「そーは問屋がおろさへんっ!」
(2)
社が長いリーチを利用してアキラの背後に腕を伸ばしかけると、ヒカルはまたもアキラ
を盾にして逃げる。すると社も負けじとアキラの肩を掴んで押し返す。
「社っ、オマエッ卑怯だぞっ! 体格にもの言わせやがって!」
「何ゆぅとんねん、自分かってチマい体型いかしてチョロチョロ逃げとるくせに!」
「二人とも、そろそろいい加減に……」
腰を低くしてじゃれつく二人は上から浴びせられる冷たい視線に気付かない。
「チマい!? オマエがでか過ぎるだけだろっ、このウドの大木ッ」
「自分、知ってるか? 悪口ゆうんはな、核心ついてへんと効果あらへんねんで」
「〜〜〜っ。……じゃ、白髪頭!!」
「白髪ぁ? 言うに事欠いて白髪やと!? そーゆう自分は何や、部分脱色なんぞ今ど
き流行らんっちゅうねん!!」
「……しろっ!!」
アキラが怒鳴ると同時に、ゴンっとかなりいい音が響いた。
「……ってぇ!」「…っつ〜〜!」
殴られた二人が見事にハモって頭頂部を抱え込む。二人共がキッとアキラを睨んだ。
「塔矢、何も殴る事ねェだろっ!」
「ホンマやホンマや! オレの類い稀なる優秀な頭脳がどうにかなったらどうしてくれ
んねん?」
アキラを見上げていたヒカルがはたと真顔になって眉を顰めた。
「類い稀なる、優秀な頭脳ぉ?」
「なんやっその疑わしげな目はッ!」
またも一触即発の所だったが、上から降って来たゴホンという盛大な咳払いが二人の勢
いを一気に削ぐ。
「キミたち二人こそ、一体ボクをなんだと思ってるんだ?」
「え〜…………おかっぱ?」「ん〜〜〜、日本人形やな」
二人同時に違う事を言われてアキラは目を白黒させたが、それはほんの一瞬の事だった。
アキラの肩がぶるぶると不自然に揺れ始めると、ヒカルは長年の経験故か、身体をやや
竦ませて対ショック防御に移った。
社は的外れにも「ん? なんや塔矢寒いんか?」等と言っているが、ヒカルには地面の
奥底からマグマが迫り上がってくるような音が聞こえる気がした。
(3)
「……くる」「へ?」
ヒカルが小さく言ったのを社が聞き返そうとしたその瞬間。
「ふざけるなっ!!」
火山は見事に噴火した。空気がビリビリと震える。
ヒカルには一瞬、舞い散る落葉さえその一喝に動きを止めた──かのように見えた。
社は初めて見る塔矢の一面に、目を見開いたまま固まっている。
あ〜あ、初めてだもんなぁ、そりゃ驚くよなぁ、とヒカルは同情半分、昔の自分を懐か
しむ事半分、アキラの肩をぽんぽんと叩いた。
「冗談だってば。怒るなよ、塔矢」
「冗談って…! キミは、いつだってそうやって……」
ヒカルはまだ何か言おうとするアキラの口元を片手で抑える。
「はい、ストップ。ほら、社固まっちゃっただろ。オマエ怒ると怖過ぎるんだよ。社ー
大丈夫かー?」
「……っくりしたー。品行方正なお坊っちゃんやて聞いてたのに、えらいギャップやな」
「キミたちが失礼な事を言うからだろ!」
「そらそうかも知れんけど…」
まだ戸惑いを隠せない社を見つつ、そういえば進藤相手以外にはあまり怒鳴った事なん
てなかったような気がするな、とアキラはふと思った。
厳密には、アキラの感情のバロメーターは『ヒカルに関する事』によって大きく振れる
事が多かった訳だが、それ故に周囲にまで色々と被害を及ぼしていた事は彼自身にはあ
まり自覚がない。
「なぁなぁ、社。ここ真直ぐ行くんだろ? この先には何があるんだ?」
「えーとな、団子の美味い茶店とか、面白い鍋喰わせてくれるトコとか。ちょっと変わっ
た所やと渓流下りのコースやな。他にも、すぐ傍に川見ながら懐石料理食べれる店とか知ってるけど」
「へぇ、どれもいいな」
これから行く場所の候補をすらすらと上げる社にアキラは素直に感心した。
京都まで遊びに行くのだとヒカルが言い出した時、社が自ら案内役をかって出ただけに
ある程度の土地勘はあるのだとは思っていたのだが、話を聞いているとまるで定番のコー
スのようだ。
(4)
「随分詳しいんだね」
「ってかさ、彼女とのデートコースみてぇ」
「………………………………」
社はじとっとした目でヒカルを見たが、頬が多少赤いので照れているのだろう。
ヒカルはその反応を見て、意地の悪い笑みを見せた。
「なんだ、図星かよ」
「どーでもえーやろ! そんな事!」
「うん、どーでもいーや♪」
「あんなぁ!」
社がヒカルに掴み掛かろうとした時には、ヒカルはとうに先を足取りを弾ませて歩いて
いた。
「だっんご〜 だっんご〜♪」
「………あいつはガキか」
ヒカルのペースを掴みきれず、社が口を尖らせて頭を掻きむしっていると、アキラはく
すくすと笑った。それを見て社は露骨に嫌な顔をする。
「オマエもよう付き合ってられるな」
「もう慣れたよ」
「そか。付き合い長いんやっけ?」
「……いや、長くはないよ。知り合ったのは小学生の時だけど、まともに話したり碁を
打つようになったのはつい最近の事だから」
「? そんなに前から知っとったのになんでずっと打たんかったんや?」
「…………」
曖昧に微笑むアキラに話す気がない事を見て取った社は軽く肩を竦めて息を吐いた。
黙って先を歩くアキラの足下を見ながら歩く。
不意にアキラが足を止めた。
見上げると視線の先にはヒカルが居た。
彼は緩やかな丘の一番高い所に立って空を見上げていた。いや、もしかしたら眼下の景
色を見下ろしていたのか、それとも別の何かを見ていたのか──。
駆け抜ける一陣の風に、木の葉が嵐のように舞い、気がつくとヒカルがこちらを見て手
を振っていた。
(5)
アキラは傍にあった小枝を拾って訳の分からない歌を口ずさみながら先を行くヒカルを
微笑ましく思っていた。
自分とヒカルが対照的な存在であるという事をアキラは良く知っている。だからこそ、
逆に今こうして共にいる事ができるのだ。
ヒカルが大きな苦しみを乗り越えてきて、今漸く共に歩む事ができる。今、目の前にい
るヒカルにその翳りは殆ど無くなった。それを、アキラは素直に嬉しいと思う。
社に自分とヒカルが知り合い、こうなるまでが長かった事をアキラが話すと、彼はとて
も説明し難い事を聞いてきた。
アキラは人に聞かれても上手く説明出来る自信はなかったし、自分の中でもまだ完全に
は感情を整理しきれていない部分もあったから、曖昧に誤魔化すと、社はこちらの意思
を汲み取ってくれたようで、それ以降は何も聞いて来なかった。
ふと顔をあげると、少し開けたらしい場所に立ち止まって虚空を見つめているヒカルが
居た。何か喋っているように見える。
目を細めて、頷くように穏やかな笑顔を浮かべた。しかしその顔はほんの少しだけ淋し
そうにも見えた。
が、急に突風が吹き荒れ、視界は遮られる。全てが黄金色に染まったような気がした。
風が止むと、ヒカルはアキラ達を見下ろして手を大きく振っていた。
「お〜い、何やってんだよ、早く来いよ〜!」
太陽のように明るい微笑みに、思わずつられてアキラの顔に微笑みが浮かぶ。
暖かな木漏れ日の中、迷いなくぐんぐん進む背中を、アキラは柔らかな土を蹴って追い
掛けた。
<了>
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