ピングー 1 - 5


(1)
日本棋院の最寄り駅と言えば市ケ谷駅で、その市ケ谷駅のすぐ近くに釣り堀があることは
良く知られているが、その釣り堀に熱帯魚屋が付属していることを知っている人は意外に
少ない。
その店の名を市ケ谷フィッシュセンターと言う。
釣り堀の入り口あたりに立つその建物は、シンプルかつ地味で、熱帯魚に興味がない人間なら
素通りは確実だ。
中に入っても、肝心の一階のフロアには無機質かつ乱雑に各種水槽及びガラスケースが積み
上げてあるだけで、なんとも殺風景である。
だが、その更に奥、地下一階に足を延ばせば、それらの光景は一変する。
乱舞する熱帯魚の群れ。水流にしどけなく身を任せる様々な水草。レジには美人のおねぇさん。
その脇で忙しく立ち働き、客に商品の説明をする男性店員。ムンと立ちこめる独特の湿気。
まさに熱帯魚屋だ。
その熱帯魚屋の一角に進藤ヒカルは立っていた。
ただ立っているわけではない。ある水槽の前に陣取っていた。
階段を降りてすぐのその場所は、この店にくる客の誰の目にも真っ先に入る場所で、居心地が
悪いことおびただしい。
そんな思いまでして、なぜヒカルがここにいるかというと、「晩飯にうまい寿司をおごるから」
の一言で緒方十段に買収されたからだ。
今日の対局を終えて、棋院を出ようと1階に降りたところで、ヒカルは緒方に呼び止められた。
「おい、進藤! 駅前の熱帯魚屋でコリドラスの水槽を見張ってろ!!」
『ハァ?』である。
なんのことか分からず、ポカンとつったつヒカルに、緒方は立て続けにまくしたてた。
駅前の釣り堀の所に熱帯魚屋があること。店員にコリドラスの水槽がどこかを訊くこと。そして
その水槽の前に陣取って一歩も動くなということ。
「碁ワールドの急な取材でな、自分では行けんのだ」
見ると、背の高い緒方の向こうに、こじんまりと背の低い、出版部でよく見かける男が、
申し訳なさそうに立っている。
「今晩、うまい寿司をおごってやるから!」
その言葉にヒカルがうなずいたのは、決して寿司が食べたかったからではない。そう叫んだ
緒方のすさまじい形相の迫力に圧されたのだ。
そういう意味では、ヒカルは買収されたのではなく、脅迫されたといってもいいだろう。


(2)
ともかく、そんなわけで、熱帯魚屋がここにあることさえ始めて知った進藤ヒカルは、今、
コリドラスの水槽の前にいる。
時々オタクっぽい風体の男や、気難しい顔をした男がヒカルの肩越しに水槽を覗き込み、
ヒカルの事を邪魔だというう風に顔をしかめるが、決して動くな、人に譲るなと緒方に
厳命されているヒカルは、必死で「どうぞ」といって引きたくなるのを我慢した。
目の前で泳ぐのは、なんとも奇妙な三角っぽい形の魚だった。
それが水槽の水の中を優雅に泳ぐのではなく、どう見ても不格好に、底の砂のあたりを
きぜわしく行ったり来たりしている。これがきっとコリドラスという魚に違いない。
そうして45分ほども経ったろうか。
後ろからポンとなれなれしく肩を叩く手があった。
振り返って見上げると、緒方が立っていた。
「お前がいる間に、誰かこの水槽から魚を買っていった奴を見たか?」
ヒカルは黙って首を横にふった。
「よし、よくやった。今夜は大トロでもウニでも、好きな物を食え」
そう言った緒方は、店長らしき人物を呼びつけると。「コリドラス」の水槽の前で、魚を
指差して話し込みはじめた。
やがて、店長がその水槽から幾匹かの「コリドラス」をすくい上げ会計をする。
緒方は外から見えないように包まれたそれを満足そうに抱えると、ヒカルの肩に手を回して
「出ようか」
と笑った。


寿司を食いながら緒方の話を聞くと、緒方の狙いは「混じり抜き」と呼ばれるものだった
らしい。
「コリドラスには最近になって、凝りはじめてな。お前に見張らせたのは今日が入荷日
 だったからさ」
酒も入って、緒方の口はなめらかだ。


(3)
ヒカルが聞きたくもないような熱帯魚談義がはじまった。
なんでも、コリドラスという魚は今でも発見されていない新種や珍種が多く、それが時折、
普通のコリドラスに混じって入荷するのだそうだ。それを水槽の中から見つけ出し、狙い
撃ちで買うのが「混じり抜き」というらしい。
「すぐに買いに走るつもりだったんだが、あの通り取材につかまってな。お前がいて助かった」
コリドラスの混じり抜きを狙うマニア――ライバルは多く、ヒカルは、そのマニアのライバルに
対する「盾」として緒方に利用されたのだ。
「まぁ、これからも、こんな事があればよろしく頼む」
(冗談じゃねぇよ)
と、ヤケクソ気味にガリを頬張りながら、ヒカルは緒方の横顔を見上げる。
黙ってれば男前なのに……と、ぼんやり考えた。


不幸にも、ヒカルの緒方との腐れ縁はそれで終わらなかった。
その夜、ヒカルは緒方のマンションに連れ込まれた。
理由は。
「おまえに、コリドラスという魚の素晴らしさを伝授してやる」
要するに買ったばかりの魚を自慢したいのだということは、イヤでも分かって、逃げ出した
かったが、うやむやのうちに派手な赤い車におしこまれ、気がつけば緒方の指の長い手が、
マンションのセキュリティロックを解くのを眺めていた。
緒方の部屋は、物は多いのに、なんだか寒々しい。人間の気配がない感じだ。
なのに、薄暗い部屋の中で、デスクの横の熱帯魚の水槽だけが、煌々と明るいライトを付けて、
生き生きと存在を主張していた。
「水合わせが必要だ」
とか言って、緒方は買った魚をすぐに水槽に放すことはせずに、ビニール袋ごと水に浮かべた。
ヒカルを呼び寄せ、共にそれを覗き込む。
「コリドラス・アドリフォイの変異種だ。このさかなは、白と黒のツートンカラーでな。碁石
 みたいで綺麗だろう。気に入ってるんだ」
緒方の体温をすぐ後ろに感じながら、ヒカルは首をかしげた。
(まぁ、ちょっと鯰みたいな顔の、かわいい魚だよな)
と、背中に回った緒方の手が、脇腹からまわって、自分のシャツをたくしあげてるのに気付く。
「先生?!」


(4)
ヒカルが身をよじると、ますます強い力で抱き込まれて、わがままな大人の手が、シャツの
下に進入をはたし、へそのまわりを撫で回しはじめる。
「先生、何してんの?!」
驚いたヒカルが、その腕から逃げ出そうとすると、それ以上の力で強引に引っ張られて、
気がつけば、ふかふかのベッドの中に投げ込まれていた。
肩幅のある、大人の男の体が、ヒカルの上にのしかかって、影を落とす。
(いやだ)
怯えにも似た、本能的な恐怖にヒカルは緒方の体を突き飛ばそうと腕を伸ばしたが、
それもあっというまに、より筋肉質な男の腕に押さえ込まれて、ベッドに沈んだ。
「こんな日は、祝いもかねて女を抱くんだがな。今日はあいにく女がいないんだ」
自分勝手な大人は、ヒカルの目を見ながら眼鏡をとって、ベッドサイドに置いた。
色素の薄い、魚みたいな表情のない瞳が、ヒカルを見下ろしていた。
ヒカルの目の端に、眼鏡とともにベッドサイドに置かれた灰皿が目に入った。
その灰皿の中にある、女のものと思われる口紅のついた煙草の吸い殻が、やけに
生々しかった。


(5)
「緒方センセ、じょ、冗談でしょ!」
男の体重と煙草の匂い。
それに押しつぶされそうになりながら、ヒカルは必死の抵抗を試みる。
男同士でセックスがどんなものなのかなんて、考える余裕もなく、がむしゃらに手足を
動かした。
緒方はだが、関節技のようなものを使って、簡単にヒカルの腕をひねり上げると、その
痛みに歯ぎしりをするヒカルの耳元で囁いた。
「大人しくしていたほうが、いろいろ気持ちいいんだがな」
額に落ちて来た緒方の冷たい唇の感触に、ヒカルの背筋がぞっと粟立った。
この大人は、本気らしい。
その唇がまぶたに上に移動してきたので、慌てて目を閉じた。そのまま、その冷たく
柔らかい感触はヒカルの鼻の脇を通過して、ヒカルの口に  角度を変えて重ねられる。
それがヒカルのはじめての口付けだった。
緒方はしばらくそこに吸い付いて、逃げ出そうとするヒカルの反応を楽しんでいたが、
すぐに飽きたように移動して、アゴから首に、そしてシャツの上から胸の突起を銜えて
転がしはじめる。
「……あぅ…く……」
シャツの布越しに、緒方の唾液がしみ込んできてヒカルの乳首を濡らした。
その気色の悪さに身をくねらせたが、ひねり上げられた腕が痛むだけだった。
下肢は緒方の足に挟まれて固定され、馬乗りになった姿勢のまま緒方は、自分の股間を
ヒカルの股間に押し付けるようにする。
デニムの布越しにも、緒方のそこが熱を持って固くなっているのがわかる。
「先生…、センセ……、やめてよ……」
半泣きで訴えるヒカルの言葉に答えるのは、男の荒い息。
一度、男の顔が上げられて、その舌が乳首を舐め絡めるのを休止したとき、ヒカルは
そのまま男が体を起こし「冗談だよ」笑ってくれる事を淡く期待したが、男は愛撫の
対象をヒカルの左の乳首から右へと移しただけだった。
(な……に…?)



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