少年サイダー、夏カシム 1 - 5
(1)
2003年、夏。もうすぐ8月になるというのに、気温は未だに30度以下だった。時折顔を出す太陽も、今は雲に隠れるばかりで頼りない。
和谷はコンビニから出ると、どんよりとした不安定な空を見上げた。本来ならギラギラと太陽の光が照りつけ、蒸し暑い空気の中をセミたちが大合唱する頃なのに、冷夏のためか、その光景はどこにもなかった。それどころか街中では早くも秋物を身に付けている者までいる。
和谷はやれやれと思うと、歩き出した。この寒い夏のせいか、進藤ヒカルが風邪をひいたのだという。和谷はそのお見舞いに、ヒカルの家へと向かっていた。
(2)
「・・・あ、和谷」
ヒカルはベッドから起き上がろうとしたが、顔を苦痛に歪ませるとベッドへ倒れこんだ。
ヒカルの母親によると、熱はもう下がり元気になってきたのだが、頭痛がひどいため、起きていることができないらしい。
「おい、無理するなよ」
和谷はそう言うと、ヒカルをベッドに寝かせ、布団を整えた。
ヒカルは痛みのせいか、息が荒かった。額には大粒の汗がにじみでていて、髪の毛がはりついている。
和谷は近くにあったタオルで額をぬぐってやる。その時に額や頬、首筋に触れてみたが、思ったよりも熱くはなかった。熱は確実に下がったのだろう。しかし汗をひどくかいている。
和谷はふと思い出し、持ってきたコンビニの袋からペットボトルを取り出した。
「のどかわいてないか? ほら、これ買ってきてやったぞ。進藤がこの前飲みたいって言ってた新発売の炭酸飲料」
ヒカルはそっと目を開けた。そこには夏の真っ青な青空と入道雲のイラストが描かれたラベルが貼られている透明な炭酸飲料があった。ヒカルは嬉しそうにわずかに微笑んだ。
「アリガト、和谷」
和谷はそれを見てハッとした。ヒカルの苦しみを抑えた笑顔、汗でしっとりとした前髪、濡れたつぶらな瞳、上気した頬、薄く開いた赤い唇、そしてそこからもれる熱い吐息。
病気のせいだとは分かっていても、和谷は出会った頃の元気でやんちゃな少年とは違う、艶かしいヒカルの姿に目どころか心も一瞬にして奪われてしまった。
「・・・和谷?」
突然自分を見つめて動かなくなった和谷を不思議に思い、ヒカルは少し小首をかしげた。
(3)
「・・・和谷、どうかしたのか?」
ヒカルはそっと手を和谷の目の前にかざした。
ヤベェ、めっちゃカワイイ。和谷はその手を握って抱き寄せ、今すぐにでも滅茶苦茶に抱きしめたい衝動にかられた。
しかしそんな妄想を追い払おうとでもするように、ヒカルの手を払いのける。
「いや、何でもねェよ」
そう言うと、和谷はいきなりブンブンと頭を振り、きちんとセットされた髪をぐしゃぐしゃっとかき回した。
「わ、和谷?」
ヒカルは和谷の突拍子もない行動に驚きの声をあげ、心配そうな顔をした。
「あ、いや、何でもねェから。気にすんな」
和谷はわざとらしいくらいヘラヘラと明るく笑った。しかし心拍数は急激に上昇し、背中には冷や汗をかいていた。
ヤベェぞ、これは。和谷は焦りはじめた。
和谷にとって、ヒカルは単なる友達というか手間のかかる弟みたいな存在だった。
今日だって、夏だからって腹でも出して眠ったから風邪ひいたんだろうと思って来ていた。
それなのに風邪をひいたヒカルを見て、からかうどころか、欲情してしまっている自分がいる。いったい何を考えているんだ。和谷は少しでも落ち着こうと深呼吸をした。
しかしヒカルは和谷がそんなことを考えているなど少しも思わずに、無邪気に話かける。
「なあ、それくれないのか?」
「え? あ、ああ」
ヒカルの視線の先には、先ほど和谷がコンビニで買ったペットボトルがあった。そのペットボトルのラベルには『少年サイダー』と書かれている。その炭酸飲料の発売をヒカルはとても楽しみにしていた。
(4)
「なあ和谷、これ飲みたくねェ?」
自販機にある夏季限定発売の炭酸飲料『少年サイダー』の広告ステッカーを指差
し、ヒカルはつぶらな瞳をらんらんと輝かせた。
「“少年時代に飲んだ、あの懐かしい味を”だって。オレ、小学生の頃は夏祭り
とか行くと必ずラムネ飲んでたんだよな〜」
「そういや進藤って、夏になると炭酸よく飲んでるよな」
「やっぱ夏は炭酸飲んでスカッとしてェし。それにさ、ハワイアンスプラッシュ
とか、オレの好きな炭酸飲料って夏限定が多いからさ。あぁ〜あ、ガブ飲みしてェ。
早く夏になんねーかな」
それは会社帰りの疲れたサラリーマンがビールを飲みたいと言っているのと同
じ感覚なのだろうか。ちょっと親父くさいと思いつつも、炭酸飲料の発売を楽しみ
に待つという子どもっぽさに、和谷は笑った。
「なんだよ」
ヒカルは笑われたことにムスッと頬をふくらませた。和谷はまた笑い、くしゃっ
とヒカルの頭を撫でる。
「なんだよ、子供扱いすんなよ」
ヒカルはむきになって和谷の手をどけようとする。そういうことするから子供っ
ぽいんだよと言うと、和谷はまた笑った。
(5)
「なんだよ、くれないのかよ」
ヒカルは少しふくれっ面をした。和谷は慌てて、ペットボトルを手に取り、ふたを開けた。するとプシューという音をたてて、泡とともにあの懐かしいラムネの爽やかな甘い香りがあたりに広がった。
ヒカルにそれを手渡すと、ヒカルは待ってましたと喜びを表情に表し、ペットボトルを口にあてる。
しかし寝ながら飲んでいたため、うまく飲むことができず、口の端からダラダラとこぼしてしまう。それらは頬や顎を伝い、枕や着ていたTシャツに染みをつけた。和谷はその雫の行方をじっと見つめていた。
「あ〜あ、こぼれちゃった」
ヒカルはベタベタするのか、鬱陶しそうにそれらをTシャツでぬぐった。
炭酸飲料でしっとりと濡れた赤い唇から目が離せない。キスしたい。今すぐにでもキスしたい。和谷はそんな衝動を抑えながらじっと見つめていた。
するとヒカルが恥ずかしそうに笑って和谷のほうへ向いた。
「和谷、ちょっと飲ませてくんない」
ヒカルはためらいながらペットボトルを和谷に渡す。
「えっあっ、えええぇぇ!?」
和谷は驚き、震える手でそれを受け取る。
「ちょっと恥ずかしいけどさ」
ヒカルは少し照れ笑いをした。ヒカルは恥ずかしさよりも楽しみにしていた炭酸飲料が飲めないことのほうがよっぽど嫌らしい。
和谷は少し戸惑いつつも、よしっと何か決心をしたかのように(もしくは喜びのあまりのガッツポーズ)右手で拳をつくると、持っていた炭酸飲料を口いっぱいに含んだ。
開けたばかりの炭酸飲料は、泡がシュワシュワと口の中ではじけ、ちょっと痛かった。
和谷はペットボトルを床に置くと、ヒカルの顔を両手で固定し、薄く開いた唇に躊躇することなく口付けた。
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