再生 1 - 5
(1)
ヒカルは緒方のことをアキラに話したいと切望していた。
今、こうして二人で過ごしていても、アキラは緒方のことを一言も話さない。
ヒカルが緒方の名前を口にするだけで、アキラの眦がいきなり切れ上がる。
実際、言葉で何か言われたわけではない。
「緒方に会うな」と怒鳴られもしなかった。
ただ、全身で緒方のことを拒絶している。
ヒカルには、それがわかる。
アキラは緒方の気持ちを知らないのだ。
それをアキラに伝えたい。
だが、ヒカルが緒方の気持ちを代弁するのは、僭越なような気もする。
また、緒方の本当の気持ちをアキラが知ったら、
自分から離れてしまうのではという不安もあった。
アキラといるときに感じる幸福感。
信じあい、競い合いながら、お互いを成長させている実感がある。
その反面、緒方の気持ちを踏みにじっているという罪悪感があった。
それが、さらにヒカルを追いつめる。
『緒方先生はどうしているのだろうか…』
(2)
アキラには、ヒカルが緒方を慕っていることはわかっていた。
だが、ヒカルの口から緒方の名が出ることは、堪らなかった。
『これは嫉妬だ』
アキラは、ヒカルを後ろからそっと抱きしめた。
ヒカルはアキラの胸に頭を預けた。
「何を考えている?」
アキラの問いかけに、ヒカルは答えなかった。
直に伝わる体温が心地よい。
ヒカルが小さく溜息をついた。
その溜息は、何よりもヒカルの気持ちを雄弁に、語っているような気がした。
ヒカルの唇から緒方の名前が紡がれるのが怖くて、強引にそれを塞いだ。
顎を持ち、ヒカルの顔を無理矢理後ろに向かせた。
ヒカルが小さく抵抗した。しかし、すぐに、抵抗は止んだ。
裸の胸に指を這わせた。
「あ…あん…」
ヒカルが甘い声を上げる。
『何も考えないでくれ…進藤。』
アキラはヒカルを抱きながら、念じ続けた。
(3)
緒方は棋院でヒカルを見かけた時、声をかけようかどうか迷った。
アキラへの想いが、緒方を躊躇わせた。
悩んでいたのは、ほんの一瞬だったと思うのだが、ヒカルの方で緒方を見つけてしまった。
「緒方先生!」
ヒカルが、緒方の方へ駆け寄る。相変わらず、子犬のようだ。
「よぉ。元気がいいな。」
緒方はヒカルにつられるように、笑って言った。
アキラは今も緒方を無視し続けていた。
言葉を交わしても、それは表面的なものでしかなかった。
アキラのそんな態度に、緒方の胸は痛んだ。
だが、それはしょうがない。自分がそうなるように仕向けたのだ。
アキラとは、遊びだ。
自分自身に、ずっとそう言い聞かせてきた…。
ヒカルは知っているのか、緒方を心配しているようだ。
ヒカルの笑顔を見ると、心が癒される。
自分の気持ちが、優しくなっていくのがわかる。
「緒方先生…塔矢のこと…。」
ヒカルが緒方に話しかけた。言いにくそうに、もごもごと口ごもる。
緒方には、ヒカルが何を言いたいのかわかっていた。
「お前は気にするな。」
今更、言ってもしょうがないことだ。
ヒカルが緒方を上目遣いで見つめている。
泣きそうな目だ。
緒方は、ヒカルの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
(4)
「今日、緒方さんと一緒にいたね。」
碁会所でアキラにいきなり切り出されて、ヒカルは狼狽えた。
どこで見ていたのだろうか。
アキラはヒカルが緒方と会うことに、いい顔をしなかった。
ヒカルは出来るだけ、平静を装って言った。
「棋院であったんだよ。その後、お茶をごちそうになった。」
「そう…。」
それきり、沈黙が落ちた。ヒカルは、いたたまれない気持ちになった。
「あの…あのさ、塔矢。緒方先生は…。」
アキラは、いきなり席を立って出ていってしまった。
その後ろ姿を黙って見送った。
実際、ヒカルは途方に暮れてしまっていた。
アキラを追いかけたかったが、何を話せばいいのかわからない。
「塔矢…。オレ…。」
閉じられたドアに向かって呟いた。
また、溜息がひとつ出た。
(5)
アキラは、すぐに後悔した。
ヒカルの口から緒方の名前が出た瞬間、カッとなってしまった。
気がついたら席を立ち、碁会所をあとにしていた。
子供っぽいことをしたと思う。
自分の背中を見送るヒカルの顔が、容易に想像できた。
最初に話をふったのは自分だったくせに…。
二人を見かけたのは偶然だ。
信号待ちのタクシーの中から、喫茶店で楽しそうに談笑する緒方とヒカルを見た。
緒方に、甘えるように笑いかけるヒカル。ズキン―――胸に痛みが走った。
最近のヒカルは、あんな笑顔を自分に向けたことがなかった。
アキラは、ヒカルの笑顔が何よりも好きだったのに…。
原因はわかっている。
アキラの緒方に対する頑なな態度が、ヒカルに溜息をつかせるのだ。
でも…ヒカルは知らないから!
緒方が自分にどんな仕打ちをしたのか…!
緒方の存在が、自分とヒカルの関係に棘の様に突き刺さっている。
「進藤…」
ボクだけのキミでいて欲しい……。
それだけを望んでいるのに―――
|