失着点 1 - 5


(1)
男でも唇は柔らかいんだなと思った。
アキラと初めてキスをしてヒカルはそう感じた。
あかりの唇も柔らかかった。でも少しヌルッとしていて、柑橘系の人工的な
匂いがした。リップクリームのせいだった。
アキラの唇は何の匂いもしない、肌の味。でもなぜかとても甘かった。
触れた時の感触を楽しむようにヒカルは何度もアキラの唇に自分の唇を重ね、
離してはまた重ねた。
キスってこんなに何回もするもんじゃないと思っていた。
あかりとの時も、一回きりですぐにあかりが部屋から出ていってしまったし、
何だか照れくさくて自分も追わなかった。
でも今は、他に誰もいない碁会所の中で、ヒカルは行為を繰り返した。
アキラの両肩を掴む手に次第に力が入っていく。
「ん…。」
「ご、ごめん…、」
アキラが痛がったと思い、ヒカルは手の力を緩めアキラから顔を離した。
すると今度はアキラがヒカルの頭に手をまわして来て
もう一度自分とヒカルの唇を重ねてきた。
ヒカルよりも強く。


(2)
アキラのやり方はヒカルとは違っていた。
唇を重ねたまま離れず、わずかに口を動かし愛撫する。
ヒカルの両手はしばらく宙に浮いたままだった。
アキラはなおも強く口を押し当て激しくヒカルを求める。
やがて最初閉じたままだったヒカルの口がこじ開けられ舌が入って来た。
ヒカルは一瞬ビクリとする。
そのヒカルの動揺をアキラは敏感に感じ取り顔を離した。
熱を持ったアキラの目はヒカルに問う。止めるなら、今だと。
そして、もう二度とこんなマネはしないと。
ヒカルは今止めたら今度こそ二度とアキラが手の届かないところに
行ってしまうと思った。手放したくない。オレのものだ。
迷うより先にヒカルはもう一度アキラの頭を手で引き寄せ唇を重ねた。
初めて出会った時から印象的だった黒髪に指を差し入れ、乱す。
アキラがやってみせたようなキスを今度はヒカルが与え、舌を差し入れる。
アキラの口の中で互いの舌先が触れあった時、
ヒカルは頭の奥の芯が溶けるように感じた。
唇以上にアキラの舌は柔らかくて熱くて甘かった。


(3)
「いつからこうなったのかな…。」
唇が離れるか離れないかの時に、互いの熱い吐息が混じる中で
ヒカルはつぶやいた。アキラからの返答は、ない。
アキラは再び顔を寄せて来たがヒカルは制した。
アキラが怪訝そうな表情になる。
ひと固まりの熱情が去って、ヒカルは現実を取り戻し始めていた。
このままこの場所で続きを続けるのは気が引けた。
ここは碁を打つところだ。
怖じ気付いたと責められればそれまでだったが。
「…うちに、来る?」
ヒカルの迷いを察したようなアキラの言葉にヒカルは戸惑った。
けど、アキラの家は…。
アキラはポケットからキーを一つ出した。
ヒカルの心臓がドクリと脈打つ。
「この近くに、借りたんだ。…来る?」
わずかばかりの歯止めが、ヒカルの中で弾け飛んでいく。
もはやアキラの目に完全に捕らえられ、引き返せなくなっていた自分がいた。


(4)
本当に碁会所から歩いてすぐのところに、アパートはあった。
少し古い素っ気のない鉄筋コンクリートの建物。エレベーターもない。
元名人の息子には似つかわしくないようだが、妙にアキラらしかった。
暗くて重い色のドアの向こうにはキッチンとバス、トイレがあり、
6畳の和室、一番奥に同じ広さの洋室。窓際にベッドが見えた。
ヒカルは玄関で立ち止っていた。アキラが奥の部屋で背広の上着を脱いだ。
「どうしたの?上がらないの?」
わざとつっけんどんな言い方をしているようだった。
「あ、ああ。」
キッチンに上がったヒカルは、たいして何もないその部屋のテーブルの上に、
タバコと灰皿が置いてあるのを見て思わず素頓狂な声をあげた。
「た、たば…!塔矢!?」
「別に驚くことでもないだろ。時々寝る前とか…さ。」
そういえば、和谷も独り暮らしを始めてから時々吸っているのは知っていた。
もちろん師匠とかには絶対内緒だったが。
「吸ってみる?タバコの煙って、苦手だったっけ。」
アキラが小馬鹿にしたように笑ったように見えてヒカルはムッとした。
「そのくらい平気だよ。」
箱から1本抜き取ってヒカルが口にするとアキラが
ライターで火を点けてくれた。


(5)
「言っておくけど、フカすだけなんてのは無しだよ。」
「分かってるよ。うるさいな。」
加賀に吸い方を聞いたことがある。
1度口に入れてもう一度吸って肺に入れる。ヒカルは一気にそれをやった。
「かはあっ!」
強い刺激が咽の奥を走り、ヒカルは激しくむせ込んだ。
アキラはテーブルに頬杖をついて楽しそうにヒカルを観察している。
ヒカルは意地になってもう一度吸い、同じようにむせる。舌がしびれてきた。
「無理しないでいいのに。何か飲むものあげるよ。」
アキラがキッチンに向かい、ヒカルはその隙にタバコを灰皿に押し付けた。
ふと見ると、部屋の片隅に碁盤と碁石があり、
その上に一冊の詰碁集が乗っていた。
ヒカルは腕を伸ばしてそれを取るとパラパラとめくってみた。
「ぼろぼろだ…。何度も何度も読み返したんだろうな…。」
アキラが何か飲み物を出してくれたら、一局打って、そして帰ろう。
さっきの碁会所での事は何かおかしな夢でも見たんだ。
ヒカルはそう考えた。キッチンでポットのお湯が沸く音が微かにしていた。
だがアキラがいる気配がしない。
「塔矢?」
キッチンを覗き込もうとしたヒカルの耳に、シャワーを使う音が入って来た。



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