痴漢電車 1 - 5


(1)
 ヒカルは一人で駅のホームに立っていた。俯いて恥ずかしそうにモジモジと膝を
こすりつけている。頼りない華奢な痩身。その小さな顔にはいつもの強気な彼とは思えないほど、
心細げな表情を浮かべている。その原因は、彼の身につけている衣装のせいだろう。
 ヒカルは、チラッと周囲に視線を走らせた。自分が困っている姿を彼らは陰でこっそりと
見ているに違いない。と、そのとき学生らしい男と目があった。相手は慌てて、ヒカルから視線を
そらすと早足で行ってしまった。その後ろ姿をボーっと見ていたヒカルは、背中に視線を感じた。
振り返ると若いカップルが自分の方を見ながら、顔を寄せて何か囁きあっている。
 気のせいだろうか、道行く人がみんな自分を見ているようだ。笑われていると思うのは、
自意識過剰だろうか?
 ヒカルは恥ずかしくて、ますます顔を上げられなくなった。


―――番線を電車が通過します。危険ですので白線の内側までお下がり下さい。
 プラットホームにアナウンスが響いた。ヒカルはハッと顔を上げて、アナウンスの言うとおりに
一歩後ろにさがった。
 ヒカルの目の前を電車が通り過ぎていく。そのときに起こる風が彼の全身を煽った。
『ちくしょ―!帰ったらアイツら絶対タダじゃおかネエ!!』
ヒカルは、翻るミニスカートを必死に押さえた。


(2)
 電車が行ってしまうと、ヒカルはホッと息を吐いて、スカートから手を離した。
―――――それにしてもこのスカートはあまりにも短すぎやしないか?こうして普通に
立っていても、下着が見えそうじゃないか! 
 足元もスースーとして、なんだか頼りない。ヒカルはスカートの裾を何度も引っ張った。
このルーズソックスとかいうヤツもゴワゴワしていて、気持ちが悪いし…………
 ヒカルはもう泣きたい気分だった。それなのに…………よりにもよって一番会いたくない人物に
会ってしまった。

 「進藤?」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。ヒカルは恐る恐るそちらを向いた。
『げ!?塔矢!』
急いで、人混みに紛れようとしたが、その前にアキラに追いつかれてしまった。
 がっちり腕を掴まれて、ヒカルは身動きとれなくなった。
「な、何で、オマエがここにいるんだよ………!」
慌てて捲し立てるヒカルに、アキラは静かに答えた。
「ボクは、指導碁に行った帰りだよ……だけど………」
アキラはヒカルの天辺から、つま先までじっくりと眺め、
「…………キミにそういう趣味があったとは知らなかったよ………」
と、感心したように言った。


(3)
 「ち、ちが、違うよ!違うんだ!!」
「………………いまさら、隠さなくても………」
ヒカルが必死になればなるほど、アキラは冷めた目でヒカルを見遣る。
 ヒカルは、涙が出そうになった。こんな恥ずかしい格好をアキラに見られてしまうなんて……。

 「ゴメン……冗談だよ。」
今にも泣きそうなヒカルの情けない顔を見て、アキラはフッと視線を和らげた。
「………で、本当に何でそんな格好しているの?」
 ヒカルは、キッとアキラを睨み付けた。自分は本気で困っているのに、からかうなんて……。
それでも、誤解されたままはイヤなので、気は進まないながらもことの顛末を話し始めた。


(4)
 毎週土曜日は、和谷のアパートで研究会を行っている。参加者は伊角や、冴木、門脇など
若手棋士が中心だ。当然、ヒカルも参加している。
 皆、研究熱心で、刺激になり勉強になることが多いが、別の意味でも勉強になることも
多かった。
 夜も更け、集中力が途切れ始めると、いつの間にやら宴会が始まっている。未成年者に
酒は御法度。だが、男ばかりの気楽さからか、気が付けば、みんな飲むようになっていた。
もっともヒカルは初日に飲み過ぎて、ひっくり返って以来、アルコールは極力控えていた
のだが…………。
 首謀者は大概門脇であった。彼は参加者の中で一番年長で、明るく、気安かった。大学の
四年間と社会に出ていた三年間で、良いことも悪いことも多くのことを経験していた。
囲碁以外の世界を知らないヒカル達にとって門脇が教えてくれる外の世界は新鮮で、
おもしろかった。例えそれがむさ苦しい男ばかりでやって楽しいのかと疑問に思うような
ものであっても………。

 今日も研究会→飲み会→ゲームといういつも通りの展開だった。
「じゃ、今日は山手線ゲームでもするか〜」
いい色に染まった門脇が告げた。
「負けたヤツはコレな。」
紙袋をみんなの前に放り投げた。その衝撃で、中身がこぼれ出た。派手な色合いの布地だった。どうやら、一枚ではないらしい。
「何コレ?」
和谷がそのうちの一枚を不思議そうに広げた。


(5)
 それは、ウサギの耳に、黒い網タイツ。バニースーツだ。和谷は門脇を振り返り、困惑の声を
上げた。
「門脇さん、何だよコレ!?」
「宴会グッズだよ。知ってるだろ?」
 もちろん、知っている。パーティー用のお遊び衣装だ。粗悪な布と頼りない縫製で、見た目も
安っぽいが、宴会にはコレで十分である。あくまでも場を盛り上げるのが目的で、着心地など
二の次三の次であった。
「負けたヤツがそれ着んの!?」
「その通り〜」
素っ頓狂な声を上げたヒカルに、門脇は酒臭い息を吹きかける。そうとうまわっているらしい。
 他の連中も似たり寄ったりで、素面なのはヒカル一人であった。
「おもしれえ!」
「やろーぜ!」
青い顔をしているヒカルをのけ者にして、酔っぱらいどもは派手に盛り上がっていた。
 こうなっては、ヒカルも参加しないわけにはいかない。帰ると言っても、無理に引き留められる。
「ヒカルちゃーん………冷たい………お兄さんのことそんなにキライ?」
門脇がヒカルに負ぶさってくる。酔っぱらいに論理は通用しない。
タチが悪いぜ―――ヒカルは大きく溜息を吐いた。



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