とびら 第二章 1 - 5


(1)
冬でも陽射しは暖かい。ヒカルはうつらうつらとしていた。昼食後の窓際は睡魔の席だ。
学校の勉強などはっきり言ってどうでも良かった。教える声が風のように通り過ぎていく。
今は数学の時間だが、ヒカルの机には歴史の教科書が置かれていた。色が似ているのだ。
教室を歩いていた数学教師はそのことに気付いたが、何も言わなかった。
ヒカルはぼんやりとアキラのことを思い出した。昨日の碁会所は本当にムカついた。
和谷が怒って、もうあんな所に行くなと言った。塔矢は何様のつもりだとも言っていた。
だが碁会所の大人たちのあの態度は今に始まったことではないし、やはり塔矢との検討や対局は自分のためにもなるので、行かないつもりはない。
しかし自分とアキラは、なんだか知らないがうまくいかない。
別にアキラと仲違いをしたいわけではないのだが。
(あいつ、大人っぽいとか言われてるけど、ちっともそうじゃないよな)
むしろとても子供なのではないかと、ヒカルは自分を棚に上げて思った。
頑固だし融通はきかないし、プライドも高いし、突飛な行動をする。
はた迷惑なやつだとは思うが、そんなアキラを自分は嫌いになれない。
脇目も振らず自分を――佐為を追いかけ、いつも必死でぶつかってきた。
何よりも、ヒカルの中の佐為を見出してくれた。自分にとってアキラは最高のライバルだ。
本当は今でも佐為に自分の成長を見守って欲しかったと思う。だが甘えてはいられない。
高みへと行ってみせる。アキラとともに。
ふと窓の外に目がいった。誰か校庭のすみに立っている。まだ授業時間のはずだが。
よく見るとあれはうちの制服ではない。あれは、まさか――――
「塔矢!?」
ヒカルは思わず立ち上がった。


(2)
アキラは校舎を見上げていた。
自分に気付いているはずはないのに、ヒカルの教室をまっすぐに見ている。
ヒカルは狼狽した。なんでこんなところにいるのだろう。
がん、と頭を叩かれた。黒板用の三角定規を持った数学教師がいた。
「進藤、寝惚けてるんじゃない。あと10分くらいで授業が終わるんだから辛抱しろ」
笑い声が漏れる。ヒカルは頭をさすりながら座った。
アキラを見る。微動だにせず、そこにいる。なぜいるのだろうか。
10分がものすごく長く感じられた。

ヒカルは慌てて教室を飛び出した。階段を勢いよくおり、靴をはきかえ校庭に出る。
下校していく生徒たちはちらちらとアキラを横目に見ている。
「塔矢!」
肩で大きく息をしながらアキラの前に立つ。ヒカルはアキラの顔を見た。目元が少し赤い。
「何しに来たんだよ。おまえ本当におかまいなしに来るんだな」
「きみに言いたいことがあって来たんだ」
迷いのない、はっきりとした口調に、ヒカルは自然と背筋をのばした。
自分もこのように決心してアキラの前に現れたことがある。あれは夏の盛りだった。
アキラはヒカルの顔をまっすぐに見ながら口を開いた。
「昨日は悪かった」
少し拍子抜けした。そんなことを言うために来たのか。あいかわらずわからないやつだ。
「別にいいさ。俺もう気にしてないから」
アキラの頬がわずかにゆるむのがわかった。
「話はそれだけか」
「まだある」
「あ〜と、あのさ、目立つから中に入ろうぜ」
話す二人を興味深げに見ながらみんなが通り過ぎるので、落ち着かなくてしかたなかった。


(3)
他校生は浮く。それが有名私立の海王ならなおさらだ。
だがアキラは少しも気にしていない。むしろ自分のほうが気にしている。
アキラは周りが目に入っていないようだ。きっと自分の学校でもこんな調子なのだろう。
佐為はいじめられるような子ではない、と言っていたがこれでは仕方ないと思う。
使われていない教室にヒカルは入った。少子化にともなって生徒が年々減っているので、空き教室がでてきたのだ。
ドアを閉めると、外と遮断されたような気分になる。
「で、何だ?」
ヒカルは気負わずに尋ねた。そうたいした用事ではないと思ったのだ。
しかしその考えは大きく外れた。
「単刀直入に言う。進藤、きみが好きなんだ」
「……はあ?」
「だから僕を選んでほしい」
「おい、おまえ何を言って……」
「夕べずっと考えたんだ。僕はどうしたいのだろうと、どうすればいいのだろうと」
アキラはまったくヒカルのことを無視している。というより、覚えてきた台詞を言うのに一生懸命になっているようにも見えた。
「僕はきみに気持ちを伝えたかった。だからここに来たんだ。そしてここに来た以上、
何が何でもあきらめないことにしたんだ」
「あきらめないって……」
「きみのことを」
すがすがしいとも言える表情でアキラは言う。だがヒカルの頭は混乱してきた。
「ちょっと待てよ、塔矢。オレ、イマイチおまえの言っていることがわかんねえ。
わかるように話せ。それから冷静になれ。まくしたてるな」
アキラは何かを考える風になった。おそらく言葉を選び、吟味し噛み砕いているのだろう。
口元の手をはずし、ようやくアキラは顔を上げた。
「僕と恋人同士になってほしい」
これがアキラのわかりやすい言葉であった。


(4)
ヒカルは思わず後ずさりした。
「オレ、やっぱりわかんない。恋人? 誰と誰が」
「きみと僕が」
「……オレ、男だけど……」
「そんなのわかっている」
真面目な顔で人をからかわないでほしい。思わず本気にしてしまいそうになる。
「い、いまどきそんな冗談、はやんないぜ」
「そう、僕は本気だ」
アキラは何か悪いものを食べたに違いない。でなければこんなことを言うはずがない。
「きみが和谷という人と恋人同士なのは知っている。だけど僕だってきみが好きだ。
 きみを想う気持ちは変わらない。いや、誰にも負けない自信がある」
ヒカルは目をむいた。アキラの口から不可思議な言葉がつむぎだされている。
「おい、何を誤解してんだ。オレは和谷とは恋人同士なんかじゃないぜ」
今度はアキラが目を見開いた。
「キスをしていたじゃないか」
「したさ。だけどそれが何でそういうことになるんだ」
実際ヒカルは和谷が恋人などとは思っていなかった。恋人というのは男と女の関係だろう。
自分たちは二人とも男だし、何よりも自分は恋などしていない。
「きみは彼とはセックスをしないのか?」
「……おまえ真顔でそんな言葉を吐くなよ」
「しているのか?」
「してねえよ。オレと和谷も男同士だぜ?」
アキラは不審そうに首をかしげた。そして気付いたような顔をした。
「進藤、きみは男同士でもできるということを知らないんだな。きみは和谷と裸で
 抱き合ったりしないのか。彼の一部が身体の中に入ったりしないのか」
ヒカルは答えなかったが思わず頬に血が上るのを感じた。
表情は雄弁に事実を語っていた。


(5)
さらにアキラはヒカルの顔を凝視してくる。
こんなに睨むように見つめないでほしい。はっきり言って怖い。背に冷や汗が流れる。
「なぜきみは和谷と抱き合うんだ」
詰問するような口調にヒカルはむっとして、吐き捨てるように言った。
「気持ちいいからだよ」
「気持ちがいい? それだけか?」
問い直されてヒカルはうなずく。するとアキラは信じられないとつぶやいた。
「それでは肉体に溺れているということと同じじゃないか!」
「わけわかんないことを怒鳴るなよ。だいたいオレが和谷と何しようと勝手だろ」
「ああ、勝手だ。でも僕は嫌なんだ」
それはおまえのわがままじゃないかと言いたかったが飲み込んだ。
下手に言い返すととんでもないことになりそうな気がした。
一呼吸おくと、アキラは一歩近付いてきた。ヒカルも一歩下がった。
「よくわかった」
何もわかっていないんじゃないかと不安がよぎる。それでも聞いてみた。
「何がわかったんだ」
「きみと和谷の行為は自慰と変わらないことが」
ひどくばかにされた言葉だと思った。声をあげかけて、アキラが笑んでいるのに気付いた。
怒っているよりも寒気がした。
「何だよ! 気味悪いやつだな!」
「進藤、それなら和谷でなくてもいいはずだ。僕にしないか」
「は?」
「僕とセックスしよう」
それはあまりにもほがらかな声音だった。



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