椿章 1 - 5


(1)
気がついたら社長をぶっ飛ばしていた。
只でさえ重労働の中の貴重な休憩時間にヘボ囲碁につき合ってやっていたのに、
『この進藤という棋士、ずっと不戦敗じゃないか。プロをなめてるよ。やっぱり
子供がホイホイプロになって、周囲からチヤホヤされちゃいけないなア。
大体こんな子がプロ試験に受かったのだって、何かの間違いじゃないのか?』
と、何も分かりもしない癖にグダグダ言いやがったのだ。
『まさか椿くん、君はこんな子供に負けたりはしていないだろうねえ。』
軽く拳で顔を撫でた程度で派手に椅子ごとぶっ倒れやがった。
…で、俺は今何をしているかというと、あいつが通っている中学校の前に
バイクを停め、奴が出て来るのを待っている。
日雇いとは言え、この不景気に仕事を失った事と引き換えに理由の一つくらい
あいつに聞かしてもらってもバチは当たらないだろうと考えたからだ。
仕事なんて又探せばいい。ただ、このままでは納得がいかない。
俺がプロの座をどんな気持ちで諦めたかをあいつは良く分かっているはずだ。
あいつ―進藤ヒカルは。
だが腕組をして校門から出て来る生徒を見る目つきが少々良くなかったらしい。
教師が数人駈けて来て、保護者でないのなら警察を呼ぶとか言い出し始めた。
「ああっ!?俺は進藤ヒカルに用があっただけだっ!!」
後で進藤から聞いたが、教室まで俺の声はまる聞こえだったらしい。
出ていこうかかなり迷ったらしいがこのままでは本当に警察に俺が連れて
行かれると心配になったらしい。それでいかにも渋々といった感じで顔を出し
…それでも教師らにちゃんと説明してくれた。
『自分がプロ棋士になれた切っ掛けを作ってくれた人なんです。』―と。


(2)
俺たちの事を気にしつつも教師たちが校内に引き返して行った後、進藤は
いかにもばつが悪そうなといった感じの表情を見せた。
確かに俺の風体に女子生徒らはいかにも今にも俺が襲って来るのではないの
かという警戒心の目で通り過ぎる。俺は野獣じゃねえって。
「ここじゃあ、なんだから…」
「おう。後ろに乗れ。」
今日は新藤の分のヘルメットを用意してきてやったのだ。
「ダメだよ。先生が見てるから…」
「そ、そうか。」
進藤が歩き出し、俺もバイクを押して後をついていった。進藤は妙に背が
ひょろっと伸びて華奢に見えた。
「お前、痩せたな。」
「椿さんもちょっと痩せたよ。お仕事大変なの?」
「ああ、まあな…って、俺の事はどうだっていいんだよっ!!」
進藤は少し肩を竦めて笑いやがる。その表情もどこか投げやりだ。
そのまま進藤は黙りこくってしまった。実は俺もついこうして顔を見に来て
しまったものの、どう切り出したらいいかとは考えていなかった。
「…さっき俺のことを“プロになる切っ掛けを”どうとか言ってたが、あれは
どういう意味だ?」
本当は何となく嬉しくてうずうずしてそれを聞いていたのだが、わざとムッと
した顔で尋ねてみた。
「だってそうだもん。椿さんに呑まれてたまるかって思って、それで特訓して
何とか合格してプロになったから…」
そうしてまた進藤は黙りこくってしまった。暫く歩いてヘルメットを渡した。
「乗れよ。どこでも進藤の好きなとこへ行ってやるぞ。」


(3)
ヘルメットを受け取ったものの進藤は正直困った様な顔をした。
「行きたいとこなんて、別に…」
「どこだっていいんだよっ。男ってのはなあ、とにかくぶっ飛ばせば気分が
晴れる単純な生き物に出来てんだよっ!」
「それは椿さんだからだよ…。」
「ああそうかい。わかったよ。よけいなお世話だったな。」
最近の中学生は理屈をこねやがる。会えば何とかなるだろうと単純に思ってい
た自分に腹が立って来た。俺はふてくされてヘルメットをかぶりバイクに
またがった。
「待ってよ、椿さん…!」
進藤は急にハッとしたような表情になって、ますます困った様な顔になった。
「俺は別にお前を困らせようと思って来た訳じゃ無い。」
進藤はコクリと頷いてしばらくヘルメットを見つめている。何を考えているの
かはさっぱり読めん。その時まじまじと進藤の顔を見たがやっぱり痩せている。
そして妙に切な気に見えた。こいつ、女みてえに綺麗な顔になりやがった
もんだ。あんな真ん丸の顏した生意気なガキだったくせに…。
「…こういう時って、やっぱり海を見に行くべきなのかなあ…。」
ふいに進藤が顔を上げ目が合って少し焦った。
「海か。海だな。よし、わかった!!乗れ!!」
気を遣わせて無理矢理言わせた気がしないでもなかったがとにかく出発した。
俺の腹に腕を回して掴まって来た進藤はやっぱり華奢に感じた。
俺に何が出来るのかは分からなかったが、無性に何とかしてやりたかった。


(4)
やっぱり海なら鉄臭いコンビナートが近くじゃいかんだろうと勝手に決め、
選んだ海岸には少し距離があった。自分自身バイクで出るのが久しぶりで
つい調子に乗ってしまった。だが進藤は、若干日が陰って肌寒い砂浜を
結構嬉しそうに裸足になって走り回ってくれた。
俺も壇状のコンクリートに腰を下ろし、タバコに火をつける。
(…進藤のやつ、失恋でもしたんだろうか…。)
俺の中では八割がたそういう事に落ち着きかかっていた。中学生にとって
何もかも放り出したくなる様な精神状態になる事と言ったらそれしかない。
俺はそうだった。だが、進藤はどう見ても、手酷くフラレるような事態に
陥るタイプには思えない。
(…相手が転校か。辛いな、それは。)
ふいにベトッと何かを頭に乗せられ俺は驚いた。
「うわあっ!!」
「何難しそうな顔してんの?椿さん。」
ヒカルが拾って来た海草をヒラヒラさせて首を傾げている。それを放り出すと
俺の隣にちょこんと座った。膝の上に顎を乗せて、寄せ返す波を眺めている。
「…ゴメン、椿さん…。なんか、自分が大手合いに出なくなった事でいろんな
人に心配かけちゃっているなって、分かっているんだけど…。」
「分かっているなら打てよ。」
「でも、…オレ、もう囲碁は止めるって決めたんだ…。」
「進藤!?」
「椿さん、オレ…」
進藤がどんな理由を話すのか、俺は息を呑んだ。
「椿さん、オレ、腹減っちゃったんだけど。」


(5)
「いっただっきまーす!」
大盛りチャーシュー麺を夢中でかき込む進藤の様子にホッとする。
「旨いか?」
「ふん。ふまい!!」
「そばが苦手ならそうとあん時はっきり言えばよかったんだ。」
「だあからあー、あの時はそんな状況じゃなかったんだってば。」
ラーメンが食いたいという進藤のリクエストに応えるために地元のタクシーの
運ちゃんに尋ねてこの店に入った。本当はひいきのそば屋があって、そこに
連れていくつもりだったが…まあいい。
「その…なんだ。今はちょっと辛いかもしれんが、片思いの傷の一つや二つ
誰でも経験するんだ。痛みはすぐに癒えるもんさ。」
進藤はスープを呑もうとして一瞬目をぱちくりさせた。外したか。
「…片思い…か、うん、まあそうだね…。」
「やっぱりそうなのか。」
「…その人がさ、居なくなって初めて、どんなに大切な人だったかって、
やっと気がつくんだよね…。」
やはり失恋だったか。そう思うと何だかこっちの鼻の奥がむずむずして来る。
「…海ってさあ、やっぱ魂とか漂っているのかなあ。」
進藤のその言葉に俺はハッとなった。なんて事だ。
「まさか、相手は、死…」
「そんなんじゃないけど。でもその人は、オレにはどうにも出来ない処に今は
いるんだと思う…。消えた訳じゃない…。他の人には内緒だよ、椿さん。」



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