月明星稀 1 - 5


(1)
(月明らかに星稀なり)

月の美しい夜だった。
明るく輝く月を見上げて、ヒカルは感嘆した。
「ああ、今日の月は本当に綺麗だ。あんまり明るく輝くから、周りの星が見えないくらいだ。」
「月明らかにして星稀なりと?」
「…何?」
「昔の、言葉だよ。だがあまり良い例えではないな。」
小さく苦笑しながらヒカルを振り返り、アキラは続けた。
「月があんまり明るいから、星の光が消されてしまうということ。
ただ一人の為政者の力があまりにも強いので、民草の小さな一つ一つの輝きが押し消えてしまうと、
そういう意味だよ。」
それからまたゆっくりと、天を見上げる。
「けれどどれほど月が明るくとも、消されずに残る星もある。
そしてどんなに月が明るく見えようとも、日の光には敵いはしない。」
輝く満月を見上げて、自分に言い聞かせるように言うアキラを見て、ああ、まただ、とヒカルは思った。
時折、ふいに見かけるこの表情。
見ている方が胸が切なくなる。
誰の事を考えているんだ?アキラ。
誰の事を思って、そんな顔をするんだ?
おまえ、自分がどんな顔してるのかわかってるのか?
俺に…俺の前で、無防備にそんな顔を見せないでくれよ。
おまえのそんな顔を見ると俺は…俺の方が胸が痛んで、泣きたくなってしまう。


(2)
「なあ…賀茂……聞いてもいいか…?」
「なに?」
けれど言いかけはしたものの、なんと尋ねてよいかわからず、ヒカルは口篭もった。
「あの…さ、」
「どうしたんだ?君らしくも無い。」
触れるべきではない事なのかもしれない。
自分には触れられたくない事なのかもしれない。
けれど言い出してしまった事をそのままうやむやにする事ができなくて、ヒカルはぼそぼそと言い辛そう
に言った。
「…俺、ここが居心地がいいからって、しょっちゅう入り浸ってていいのかなって。」
「何故そんな事を言うんだ?僕は君が来てくれて嬉しいのに。
今日のような月だって、一人で見るよりは二人で見る方が更に美しく見える。そういうものじゃないか?」
「おまえ、さ、誰か想う人がいるって、言ってたよな。あれ、どうなった?」
一瞬、虚をつかれたように、アキラが小さく目を見開いた。
それから視線を落とし、何事もないかのように、平静を保った声で答えた。
「…どうなったって、何が。」
「なんにも、してないの?文を送るとか、逢いに行くとか、何か、してないの?」
「何を、突然…」
微かに震える声に、ヒカルは言うんじゃなかった、と、後悔した。けれど口に乗せてしまった言葉は取り
消せなくて、必死になって言葉を探した。
「俺が邪魔してんじゃないかって、それで、俺…」
言われてアキラは少し途惑ったような顔をしてヒカルを見た。
「そりゃあ、おまえもちょっと誤解されやすい奴かもしれないけど、本当におまえを知ったら、好きになら
ない奴なんて、いないと思う。それなのに、」


(3)
「…おまえに想われて平気でいる奴なんて、」
そんなヒカルにアキラは苦笑で応えた。
「…君が、それを言うとはね……」
「え?何て言った?」
「いや、なんでもない。」
突然、アキラは花がほころぶようにふわりと笑った。
「確かに酷く鈍感な人なのかもしれないな。
僕も……一度は告げたつもりでいたが、どうやら届いてはいなかったらしい。」
「だったら、もう一度言ってみたら?一度で伝わらなかったらもう一度言えばいいじゃないか。
届いてなかったとか言ってないで。どうして言わないんだ?」
「…なぜかな。」
言葉を切って、ふと、空を見つめた。
そのまま何も無い一点を見たまま、アキラは続けた。
「言ってしまって拒否されるのが怖いのかもしれない。
完全に否定されて、終わらせてしまうのが怖いからかもしれない。」
「でもさ、怖がってばかりじゃ、何も始まらないじゃないか。」
真っ直ぐなヒカルの物言いに、アキラは苦笑交じりに答える。
「君に片恋の何がわかると、言いたい気持ちが無くもないが、だが確かに君の言う事にも一理ある。」
そして、小さく付け足した。
「…それに、もうそろそろ潮時だ。」


(4)
「そうだろう?言ってみなければ何も始まらないよ。」
「始まりとは限らない。それが終わりになるかもしれないのに?」
「怖いのか?」
「怖いよ。」
「おまえにも…怖いものがあるなんて。」
ヒカルはおかしそうに小さく笑った。
「大丈夫だよ、怖がるなよ。おまえらしくもない。」
「…勝手な事を、言うな。」
ふっと苦笑いした後に、アキラは顔を上げてヒカルを正面から見た。
自分を見るアキラの眼差しが、いつに無く真剣で、かつ、熱く熱を帯びたものであるように感じて、
ヒカルは意味もなく自分の頬が熱くなるのを感じた。
胸が苦しい。自分の心臓の音がやけに大きく感じる。
「そんな目で……見るな。」
アキラの視線から逃れるようにヒカルは頭を打ち振り、斜めに目を泳がせて、言う。
「そんな目で……俺を見て、どうする。俺じゃ、ないだろう…」
おまえがそうやって見るべき相手は、と。
「…いいや、」
だがはっきりとした返事が返ってきて、ヒカルは顔を上げてアキラを見た。
先程と変わらぬ眼差しでヒカルを見つめたまま、アキラは柔らかな声で言った。
「君だよ。」


(5)
「………え…っ……?」
告げられた言葉の意味が、ヒカルの心に届くまで一瞬の間を要した。
その間をあらかじめ予測していたように、アキラがゆっくりと繰り返した。
「告げたいのは、想いを伝えたいのは君だよと、言ったんだよ、近衛光。」
そして、呆然としたままのヒカルの顔をアキラの手が捕らえ、暖かく柔らかな唇がヒカルの唇をそっと
押し包み、ゆっくりと離れ、けれど触れそうな距離にとどまったまま囁いた。
「君が、好きだ。」
言葉の内容さえなければ怒っているとでもとれるような真剣な眼差しが至近距離からヒカルを射た。
それからヒカルの顔に浮かんだ戸惑いに小さく笑い、顔をはなした。
そしていつもと変わらぬ穏やかな顔で、ヒカルにこんな言葉をかけた。
「もう、やすみたまえ。寝所の用意はさせてある。」
「……おまえは?」
「僕か?…僕は……そう、今少し、月の光に酔うとしよう。」
そう言ってヒカルから目をはなし、ゆるりと天を見上げた。
月は変わらず煌々と輝いていた。
隅に控えていた女房がすいと立ち上がり、ヒカルを奥部屋へと案内する。
後ろ髪を引かれるように振り返ったヒカルに、アキラが声をかけた。
「おやすみ、よい夢を。」



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