ウツクシキコト 1 - 5
(1)
「君は、恋人として不実だ」
塔矢が悔しそうに呟いた。
俺は反論できなかった。いや、するつもりもなかった。
言いたいことはあったけど、下手に口にすれば、塔矢はますます怒り狂うだろ。
「俺、ちゃんと塔矢が好きだよ。それじゃダメなのか?」
「進藤!」
まただ。あれほど名前で呼んでくれって頼んでんのに、塔矢はすぐ忘れる。すぐ忘れて、苗字で呼ぶ。
そのたび、俺はどんどん冷めてくる。
名前で呼んで欲しいのは、いまはお前しかいないのに、肝心の塔矢はわかってくれない。
俺は、塔矢みたいに頭よくないし、うまく説明もできないから、結局俺たちは少しづつずれていく。
好きって気持ちだけじゃ、ダメなのかな?
「君は僕を馬鹿にしているのか?」
「馬鹿になんてしてなてよ。塔矢がいるときは、いつだって塔矢が優先だよ。
おまえがエッチしたいときは、いつだってつきあってるじゃん。誰かと約束してたって、おまえのためにドタキャンしてるぜ、俺は。
それは、恋人としておまえを大事にしてるってことだ。それでも、足りないのかよ」
塔矢が「くっ」と唇を噛んだ。
スゲー目で睨んでる。
俺は溜息を吐くしかなかった。
「塔矢さ、どうすりゃいいわけ? 俺は誰よりもおまえのことが好きだよ。
でも、おまえが仕事とかで近くにいないとき、俺が好きなことして何が悪い? だって、おまえはいないんだぜ?」
「君は!」
塔矢、いくら人の少ない公園だってさ、無人って訳じゃないんだからそんなにでかい声だすなよ。
恥ずかしいじゃないか。
俺たちは、いま話題の映画を観ようと、日比谷で落ち合った。
平日の午前にしたのは、そんなに混んでないだろうと踏んでのことだ。
塔矢は待ち合わせ場所のマリオンのからくり時計の下で、ぶすくれた顔で俺を待っていた。
俺さ、時計見間違えて、約束の時間より15分も早くついたんだよね。
15分あるからマリオンの近くで、コーヒーでも飲んで時間潰すつもりだったのに、いるんだもんな。
鬼の形相で。
(2)
いったいいつからきてたんだろうね。
「早いじゃん」って、内心びくびくしながら近づいていったら、いきなり「話がある」って、人の腕掴まえて、引き摺るようにして日比谷公園だよ。
「映画は?」って訊いたら、「映画を楽しむ精神的余裕はない!」だもんな。
なんでいちいち固い言葉を選ぶんだ、塔矢アキラ君は?
見たくないって言えばいいじゃんねえ。
人もまばらな朝の公園。噴水近くのベンチで、綺麗な花壇を前にして、塔矢はいきなり「冴木さんと一夜を過ごしたのか?」だもんな。
緒方さんがホテルにはいってく俺たちを見たんだって。
だから、俺ホテルはイヤだって言ったんだよね。
せっかく一人暮し始めたんだからさ、俺の部屋でいいって言ったのに。
そりゃさ、ちょっと…っていうか、かなり散らかってるけど、別にエッチすんのに問題ないじゃん。
冴木さんはムードがないって肩を竦めてたけど、ムードもなにもやる事は一緒じゃん。
どんなにムードを盛り上げたって、やる事はえげつないんだから。
男同士なんだ。ケツの穴にチンポ突っ込むんだぜ。
ムードが裸足で逃げ出すって。
塔矢は、足元に視線を落として、こぶしを握り締めてる。
その拳が、ぶるぶると震えている。
これはかなりキテますね。
俺は二人で黙りこんでるのも気まずいから、仕方なく譲歩案を出した。
「塔矢、わかったから。冴木さんとはもう寝ない。それでいいだろ」
俯いている塔矢がさっと顔を上げた。
こいつ、顔色悪いなあ…って、ぼんやり考えてたら、反応が遅れて。
俺の頬に凄まじい痛みが走った。
「なにすんだよ!」
塔矢が俺に平手張りやがった。チクショー、なんだよ。イテーな、もう。
「君は根本的に間違っている」
目を血走らせて、そんなこと言う塔矢をこれ以上、見ていられなかった。
(3)
「もういいや」
「進藤?」
「なんかさ、俺塔矢を怒らせてばっかりだしさ。おまえ、ずっと一緒にいてくれるって言ってたけど、ぜんぜんそんなの無理だし、なんか俺疲れたって言うか……」
「君はなにを言いたいんだ…?」
「うん? だから、もういいよ。もう恋人やめよう」
「しん……」
「恋人だと思うから、塔矢は俺が他の奴と寝たら腹立つんだろう。結婚してるわけでもないしさ。恋人やめたら、もう関係ないじゃん。俺がなにしようと、塔矢も無視すりゃいいんだし」
一気に喋った。
喋ったら、気が楽になった。
期待なんてすると、人間はダメになんだよ。
特に、誰かになにかを期待するなんてね、虚しくなるだけ。
なんかさ、塔矢なコクられて、ずっと一緒にいてくれるって言ったからさ、なんとなくその気になったけど・・・・・・。
ずっと一緒になんてね、そんなの不可能に決まってんのに。
俺も大概馬鹿だよね。一瞬でもそんなこと信じたんだからさ。
でも、他人に期待しちゃいけないってわかっただけでも、塔矢と付き合ったのは、よかったのかな。
「んじゃ――」
俺はベンチから立ちあがった。
「今日は帰るわ。また棋院でな」
俺はそう言って、駅に向かって歩き出そうとした。
そんな俺の腕を、塔矢が後ろからまた掴みしめる。
「君はそれでいいのか?」
「え?」
「君にとって、僕は…その程度の…存在だったのか……?」
振り向けば、紙のように白い顔の中で、切れ長の瞳が真剣な熱を孕んでいる。
「その程度って……俺、何度も言ったよ。
おまえのこと大事だって。誰よりも好きだって。
でも、おまえは気持ちだけじゃダメなんだろ? 体も欲しいんだろ?
おまえが欲しいって言うから、エッチしたんじゃん」
(4)
「僕が求めなかったら、君は……」
「しなかった。だって、最初、死ぬかと思うほど痛かったんだぜ」
「それなら、それなら…なぜ、他の人ともセックスするんだ」
う――――――、こいつって、高・・・なんて言うの。答え難い質問してくるよね。
俺は半分だけ答えることにした。
「だって、おまえがいないんだもん」
ずるって感じで、塔矢の手が俺の腕から離れて、落ちた。
俺たちはそれからしばらくの間、その場に立ち尽くし、お互いの顔を見つめていた。
塔矢の髪が、さらりと風に揺れる。
噴水は、勢いよく青空に飛沫を解き放ち、鳩は長閑に餌を啄ばんでいる。
気持ちのいい陽射しの中で。
「じゃあ、俺帰るな」
塔矢はもう俺を引きとめなかった。
俺も、もう振り向かなかった。
(5)
塔矢が俺の部屋を訪ねてきたのは、日比谷公園で別れてから四日後のことだった。
あいつは玄関先で、「鍵を返しにきた」と、暗い顔で言った。
渡されたそれには、シルバーのキーホルダーがついていた。
元名人が懇意にしてる銀座の専門店で買ったとかで、おそろいにしようと俺にもくれたけど、結局使わないままどっかの抽斗にしまったまんだ。
たまたま目にした情報番組で、小さなキーホルダーが一万もするのに驚いたっけ。
俺が使わないことを、塔矢は何度か言葉でなじったけど、なんかさ、使うのが勿体無かったんだよね。
俺は、細かな瑕のついたキーホルダーを鍵から外して、塔矢に返した。
「俺のも、返そうか?」
「おれの?」
「ああ、だからさ、キーホルダー」
「いい。あれは君にプレゼントしたものだから。必要ないなら君が処分してくれ」
「わかった」
用事は終わったはずなのに、塔矢に動く気配はなかった。
俺は、なんだかうまく説明できないけど、罪悪感? うん、なんかそんな気持ちで一杯になって、玄関の上がり框に一歩戻って、塔矢に言った。
「上がれば? 一局打とう」
塔矢は、静かに頷くと、玄関に入ってきた。
ちょうど自分も飲みたかったから、コーヒーを淹れることにした。
フィルターを折りたたんでいると、不意に思い出される。
インスタントしか知らなかった俺に、コーヒーの淹れ方を教えてくれたのは塔矢だった。
そうだよ。このコーヒーセットは塔矢の引っ越し祝いだった。
「進藤……」
塔矢が口を開いた。
俺は軽量スプーンで粉を計りながら「なに」と答えた。
「君と…一緒に暮らしたいと言ったら、考え直してくれないか?」
「考え直すって?」
無意識に尋ねていた。
だが、いくら待っても返事がないので、俺は後ろを振り返った。
そして……、少し驚いた。
切れ長の瞳が潤んでいる。
塔矢の泣き顔なんて……初めて見たよ。
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