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(1)
「近過ぎるんじゃないのか?」
 と言われて、一瞬の後ヒカルの口から「へっ?」という間抜けな音が洩れた。
「さっきとか……相手の人が、困っていただろう」
「……? 誰?」
 だから、と言いかけて塔矢アキラは口を噤んだ。
 何故そんな事を気にするのかと問い返される事を危ぶんで。

 数日前、塔矢アキラは進藤ヒカルから「幼馴染みの通う高校の囲碁部に遊びに行くんだ
けど、お前も来いよ」と半ば強引な誘いを受けた。
 背後から掛けられたその言葉に一瞬彼は遠慮する、とこたえようとしたのだが、振向い
た時に向けられた屈託のない笑顔になんとなくやり込められてしまったのか。
 当日には約束の場所に約束の時間十五分前に着いている彼が居た。
 こいつも暇そうだったから連れて来た、という失礼な一言で紹介されつつも、アキラが
すんなりとそこの部員と打ち解ける事が出来たのは、ヒカルが居たからこそだろう。
 アキラはその随分後、帰りの電車の中で、ふとそう思った。
 海王中の囲碁部に居た頃には、彼に誰かがにこやかに話し掛けてくるなんて事はなかっ
た。
 彼はそこでは一種異質な存在だったからだ。
 そして異様な雰囲気を造り出してしまったのが自分だと言う自覚もあったので、望んで
いた対局が済むと同時に退部した。
 在籍している部員と、赤の他人のプロとで対応が変わるのは当たり前だろうが、それで
も彼が同世代の人と和やかな雰囲気の中で碁を打つのは珍しい事である事には違いなかっ
た。


(2)
一頻り指導碁を終えたアキラに、ヒカルの幼馴染みの少女がこそっと言った。
「ね、やっぱり塔矢くんもヒカルと打つ時はピリピリするの?」
質問の意図を掴み倦ねていると、少女は悪戯っぽく笑った。
「ヒカルにとっては、塔矢くんとの対局は特別なんだって。去年の秋だったかな。ヒカル、
なんだかすご〜く真剣な顔してた」
話したっていったら怒るかも知れないからヒカルには内緒ね、と口元に人差し指を立てる。
ヒカルは六面打ちをしているらしい。時々、明るい笑い声が響いていた。
「ボクも」
少女が椅子を引いて立ち上がろうとした時に、言葉が口から滑り出た。
「ボクにとっても、そうかも知れない」
何となく気恥ずかしい言葉だったが、口から勝手に出てしまったのだから仕方がない。
それにきっと彼女はヒカルには言わないだろう。
「そうなんだ、良かった」と本当に嬉しそうに微笑んだのをみて、何故かそう思ったのだ
った。


(3)
それから数時間後、彼等は高校から若干離れた場所にあるファミリーレストランに居た。
金銭的なお礼は出来ないからせめて、と言われると無下に断る事も出来ない。
両親は不在のため夜遅くなる事に関しては連絡を入れる必要も無し、とりあえず好意は受
け取っておく事にした。
食事も終わり、食後のお茶を楽しみながら近くに座ったもの同士で話していたアキラの目
に、何気なくヒカルの姿が留まった。
彼もまた隣に座った少女と話していたのだが、その様子はかなり親しげなものに見えた。
違う方向に目をやると彼の幼馴染み、藤崎あかりもまたヒカルの方を見ていて、だがその
顔にはうっすらと不満の色が表れている。
アキラがまたヒカルの方へ目を向けたその瞬間。
ヒカルが、何かに気付いたように話し掛けていた少女の前髪に触れた。
ガタン、大きく椅子が鳴り。
その場の一同が静まり返ると、彼女は「ちょっと、お化粧直してくる」と言って足早に化
粧室に向かった。
ヒカルはキョトンとしていたが、彼女がヒカルの行動に驚いて立ち上がったのは明白だ。
立ち去る際に盗み見た顔は真っ赤だった。
その後、「まだ打ち足りない」とごねるヒカルに「じゃあ、うちにくる?」とアキラが聞
いたのは、なんの気まぐれだったのか。
結局、その晩ヒカルはアキラの家に泊まる事となった。


(4)
帰りの電車の中。
アキラの中に不意に先ほど見た場面が蘇って来て、酷く断片的な言葉をヒカルに投げかけ
た。
案の定ヒカルには伝わらなかったらしい、その口からは意味もない疑問系の音が発せられ
る。
どういえばいいのか、珍しくアキラがややどもりながらも言葉を選び選び話すも、やはり
話の内容はヒカルの頭の中で一向にクリアになってこないらしい。
本当に、全く自覚がないのだろうか、とアキラは思う。
自分と他人との距離というものは無意識下にも表れるものだ。
初対面という程ではないが、決して仲が良いという訳でもない異性に近付くには、それな
りに抵抗があるのが普通じゃないだろうか。
ヒカルとその少女の間の距離は、友達から一歩先に進んだ関係の距離に見えた。
勿論それはアキラの目に、という事ではなく、世間一般の人が見たとしても多分同じ事だ
ろう。
思えばヒカルの隣に座っていた少女は話している始終落ち着かなそうだった。
椅子ではなくソファ側に座ってしまった事にも原因はあるのかも知れない。
アキラにとってそれは何故だか、思い起こしてみてもあまり嬉しくない映像だった。
結局その会話は彼が一方的に沈黙したままに終わってしまい、電車を降りる頃にはすっか
り不機嫌な塔矢アキラが出来上がっていた。
「なー、何怒ってんだよ?」
何かを訴えるような怒りの視線に、居心地の悪いヒカルが、ふて腐れたような声で問いか
けた。
折角良い気持ちのまんま碁が打てると思ったのになーと、続けて小さくぼやくのがアキラ
にも聞こえる。
二人で碁を打つ度に喧嘩している記憶は、彼の頭には残っていないらしい。
まぁ、確かに打つ前から機嫌が悪い、なんて事は無いのだが。
大体何故自分がこんなに不機嫌なのかがアキラには解らなかった。
が、あえてその理由は考えない事にした。
きっと、その答えは自分にとって面白く無い事だからだ。
多分。
なんとなく。


(5)
ヒカルが塔矢家に入るのは今日が初めてではない。
「オマエんち、行ってみたい」と興味本位で言って以来、特に塔矢夫妻が海外にいる事が
多くなってからは、ヒカルはかなりの日数をそこで過ごしていた。
但し、アキラからヒカルを誘った事は一度もない。
いつもヒカルの方から自分の家にアキラを誘い、誘われなくてもアキラの家に行きたいと
言った。
時にはいきなりアキラに電話を掛けてきて
「今からオマエんとこ行っても良い?」
そんな事もある。
そして、そこにいて何をするかといえば、勿論碁を打つ事もあったが、本を読んでいるア
キラの隣でただ単にぼーっとしているだけの時もあった。
アキラが「何しに来たんだ」と聞くと、ヒカルは惚けた調子のまま、「今日、平日だから
誰もいなくてさぁ」などと答え、そのままずりずりと日の当たる場所に移動して微睡む。
何もしないのなら自分の家に居れば良いじゃないか、とアキラは思ったが別に居て邪魔な
訳で無し。
とりあえずひなたぼっこが好きな虎猫(アキラの主観的にヒカルはこういうイメージらし
い)は放置される事になった。



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