初めての体験 Aside 番外・ホワイトデー 1-7


(1)
 ホワイトデーの今日、ボクは朝から台所で奮闘中だ。すべては、愛する進藤のためだ。
バレンタインデーに渡したボクの手作りチョコが、思いの外ウケたのだ。
「すごーくウマイよ。また、作ってくれよな?」
進藤は頬にチョコをつけて、とろけそうな甘い笑顔をボクに向けた。ボクはその笑顔に、
チョコフォンデュみたいにとろとろに溶かされてしまった。
 そして、現在、進藤のリクエストに応えるべくボクはがんばっているのだ。幸い本も
道具もすべてそろっている。全部お母さんがそろえたものだ。お母さん、どうもありがとう。
懺悔します。お母さんの作ってくれた夜食……………いつもこっそり処分していました。
ゴメンナサイ。
 だけど、お母さんのケーキ……歯が軋むほど甘いです。お父さんは、無表情ですが絶対、
嫌がっています。糖尿の心配をしているのがボクにはよくわかります。糖分の取りすぎは
体によくないです。動脈硬化になるし、そうなると心臓にもますます負担がかかります。
―――――ハッ………お母さん………もしかして狙っている?

 冗談はさておき、今は、お母さんのケーキよりも甘い進藤に夢中です。お母さんのコレクションは
最大限活用させて貰います。
 自分の食事はおざなりにしても、進藤のためにはどんな努力も厭わない。本当にボクの
生活は進藤を中心に回っているとしみじみ感じてしまう。


(2)
 初心者のボクは、まずは簡単なチョコレートの作り方を、数冊の本を読み比べて研究した。
細かいところは、本によってまちまちで、その辺は適当にいいところだけを取った。正確に
分量を量り、慎重に材料を混ぜる。ボクは完璧主義者なので、寸分の狂いも許せないのだ。
 そして漸く第一号が完成した。
「これは“必ず進藤に食べて貰うぞチョコ第一号”と名付けよう……」
初めてにしてはまずまずの出来だった…………が、まだ、進藤にプレゼントしても良い域には
達していない。ボクは、すぐに第二号の制作に取りかかった。
 試行錯誤を繰り返し、十号まで作ったとき、やっとそれは完成した。色、形、ツヤ、舌触り、
そして何より一番大切な味………どれをとっても申し分のない出来だ。これなら進藤も
満足するだろう。自信がある。
 きれいにラッピングをして、紙袋にいれた。ボク自身はもうチョコレートは、見たくない気分だった。
大量の試作品が冷蔵庫に収められているが、これは後日、芦原さんか緒方さんにでも、
食べて貰うことにした。
 研究会の日、ボクは二人に、その辺にあったタッパーに、適当に放り込んだチョコレートを
渡した。
 芦原さんは困惑しつつも、礼を言って受け取った。芦原さんはボクには逆らえない……
…逆らわない方がいいことをちゃんと知っている。
 だが、緒方さんは滅茶苦茶嫌がった。それはもう、日頃のクールさはどこへやら……
見栄も世間体もかなぐり捨てた激しい抵抗だった。どうやら、彼は、ボクの本性に薄々
感づいているらしい。ボクが生まれる前から、家に出入りしていただけのことはある。
 し・か・し!緒方さんには、まだ、何もしていないのだ!!チャンスを窺っては、いるのだが、
彼はなかなか隙を見せない。ムカつくので、次は本当に毒でも入れてやろうかと思っている。
 結局、チョコレートは全部芦原さんが持って帰った。全部食べたかどうか、今度、聞いて
みよう。


(3)
 そして、バレンタインデー当日……ボクの予想通り、進藤は喜んでくれた。そして、その
おかげでボク自身も充実した夜を過ごすことができた。不思議なことに、あれほどチョコは
もう食べたくないと思っていたのに、進藤のチョコレートは全部食べてしまった。味も形も
最低なのにすごくおいしく感じたのは何故だろう。これは絶対愛のなせる技だと確信している。

 「さあ、これで完成だ。」
最後にアイシングでメッセージを書き入れた。今回は、チョコレートケーキに挑戦したのだ。
前回が入門編だとすると、今回は中級編くらいだろうか。
 それにしても、自分の才能が怖い。ボクは頭もいいし、顔もいい、碁の実力は言うまでもない。
その上、料理までできるとは………。完璧だ。強いて欠点を上げるとすれば、性格がコレな
ことと、服装がアレなことだろう。だけど、これだけはあえて言わせてくれ。服はお母さんの趣味だ!!
ボクは着るものには頓着しない。つーか、ボクの外見で、進藤のようなストリート系は
激しく浮くだろう。アレくらいジジむさい服装でちょうどいいのだ。言ってて少し悲しいけど………。

 とりあえず、ケーキはできあがったものの、進藤との約束の時間まで後一時間しかない。
その間に、部屋の掃除をして、お茶の用意をしなければ………それから、風呂の掃除と
そうそう、シーツも替えておかなくちゃね。夕食は外ですませよう。
 ああ〜早く進藤来ないかな(はぁと)


(4)
 「こんにちは――――塔矢〜いる〜?」
あ、あのハニーボイスは………!ボクは、慌てて玄関に走った。
 引き戸を開けると、進藤が大きな荷物を抱えて立っていた。お泊まり仕様だ。ボクの目が
バックを凝視していることに気づいたらしい。進藤は頬をちょっと赤らめた。
「えへへ…」
照れくさそうに笑う進藤。激ラブリー。ボクの下半身は既に臨戦態勢に入っていた。
 だけど、ここはグッと我慢だ。進藤と二人でティータイム。スウィートホワイトデーを
堪能するのだ。
 ボクはにこやかに進藤を招き入れた。
「あれ?なんか甘い匂いがするね?」
進藤がボクの髪に顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ。胸がドキドキする。進藤とは、
あんなこともこんなことも、とっくの昔に経験済みだと言うのに………ボクにもまだ純情な
ところがあったんだなと今更ながら驚いた。
「う……うん…進藤がおいしいって言ってくれたから…」
「え?チョコ作ってくれたんだ?」
進藤の瞳がキラキラと輝いた。
「うん、ケーキだけど…」
「ケーキ?スゲーなオマエ!」
言い様、勝手知ったるとばかりに、彼は居間へと駆けていった。

 進藤は、テーブルの上に用意されたケーキを見て、目を丸くした。
「スゲー………」
進藤が、感動している。ふふふ………。 
「あれ?コレ何?飾り…じゃない…なんか書いてある…」
 ケーキの表面にボクがアイシングで入れたメッセージだ。そこにはフォント20Pぐらいの
文字で「進藤愛」と、びっしり書かれている。
 それを見た進藤は、俯いて黙り込んでしまった。
しまった――――――――――!!ひかれたか!?
ちょっと偏執的だったか?ウケを狙ったつもりだったのに…………慣れないことはするもんじゃない。


(5)
 ところが――――――――
「………もう…塔矢……バカ…」
進藤はほんのりと目元を染めて、ボクを流し見た。ゾクリとした。下半身から震えが駆け上がってくる。
「そんなことわかってるよ……バカだな……ホント…バカ…」
ああ〜押し倒したい!したい!したい!すぐ、したい!
「し、し、し、しんどぉ………!」
ボクが進藤の肩に手をかけようとした瞬間、彼はそれからするりと避けた。
「ダメ!ダメだよ…これから、このケーキ食って、碁を打って…それから……だよ…」
最後の方をゴニョゴニョとごまかして、進藤が真っ赤な顔で俯いた。
「そ、そうだよね…!」
声がひっくり返ってしまった。恥ずかしい。ちょっと焦りすぎた。
 ボク達はお互い真っ赤な顔で俯いてしまった。何とも言えない雰囲気が部屋に充満している。
色に例えると艶めかしいピンク色のような甘酸っぱいレモン色というか………なんというか
ドキドキする。
 「あ、そだ!オレ、オレもおやつ持ってきたんだ…」
進藤が、その妙な空気を払拭しようと話題を変えた。
「ほら、コレ。」
と、鞄の中から二十センチ四方の缶を取りだし、ボクに手渡した。
「クッキーだよ。」
進藤は、そう言って笑った。


(6)
 し、し、し、進藤の手作りクッキー!?ボクは、興奮して震える手で、ふたを開けた。
甘くて、香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「……………こげてない……」
そこには、こんがりときつね色に焼き上がった、可愛らしい星やハートのクッキーが
ぎっしりと詰められていた。
「……………………………………………………………………………………」
 なんだろう……この寂寥感は……………。ボクは自分の気持ちに戸惑っていた。この
見るからに美味しそうなクッキーを前に、何故、物足りなさを感じているのだろう………。
進藤の料理の腕前がレベルアップしているのなら、それは喜ぶべきものではないのか?
それなのに、こげていないからと言って、どうして、がっかりする必要があるんだろう。

 「どうしたんだ?食べネエの?」
進藤が、クッキーを前に黙りこくったままのボクを不思議そうに覗き込んだ。
「え…た、食べるよ…食べる…」
一つを口に運んだ。………………美味しい。さっくりとした歯ごたえといい、口の中で
簡単に崩れる舌触りといい、抑えめにした甘さといい、どこをとっても申し分がない。
それなのに――――――――ふぅ………
 進藤が子犬のような汚れない瞳でボクをジッと見つめている。感想を要求しているのだ。
「美味しいよ。」
ボクは、にっこりとほほえみかけた。コレは本当のことだ。しかし、ウソをついたような気持ちに
なるのは何故だろう。
「よかったぁ!お母さんに言っとく!」
そう言って、進藤が、無邪気に笑った。ボクはというと、そのとききっと間の抜けた顔を
していたに違いない。
 ボクの視線に気づいているのかいないのか
「オレが作ってもどうせ失敗するから、お母さんに頼んだんだぁ。」
と、美味しそうにクッキーを頬張る。


(7)
 そうか!やっぱり進藤が作ったんじゃなかったんだ!どうも、気が乗らないと思ったら、
進藤が可愛い手で“こねたり”“ねったり”“丸めたり”していなかったせいなんだな。
ボクの進藤センサーに狂いはなかった!
「でも、型はオレが抜いたんだぜ。」
ふうん………この可愛い型は進藤が抜いたのか………そう思うと突然愛しくなってくる。
けれど―――――ボクは星形のクッキーを手の中で弄びながら
「でも、ボクは焦げててもいいから、進藤に作って欲しかったな……」
ぽそりと呟いた。本当に小さな呟きだったのだが、その言葉を進藤が聞きつけて、
「えぇ!でも………………じゃ、今度、がんばってみる………」
と、頬を染めてボクに負けないくらい小さな声で囁いた。
 なんだか、また、ピンクとレモン色の雰囲気が漂い始めたので、ボクは慌てて話題を変えた。
「進藤、今日のその服すごく似合っているね!」
進藤は新しいパーカーを着ていた。明るいオレンジ色は元気な進藤にぴったりだ。
「ホント?オレも気に入ってるんだぁ。」
彼はボクによく見えるように、両手を広げた。うん…本当によく似合っている。今度、それに
あう靴をプレゼントしよう。
 今日はとてもいい日だ。ケーキを幸せそうに頬張る進藤を見て、ボクはしみじみと幸せを
噛みしめた。



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