平安幻想秘聞録・第三章 10
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翌日。ヒカルと佐為は早朝に人目を憚るように参内し、帝との約束の
刻まで、気を落ち着けるように碁盤を挟んで対峙していた。対局に夢中
になっている間、ヒカルの集中力は半端ではなくなる。佐為もまた静か
碁石を置き、ヒカルの手に応えるだけで、言葉はなかった。囲碁は手談、
行き交う碁石の筋だけで、二人の想いは通じ合っていたのかも知れない。
二人は、そろそろお時間ですと、行洋が寄こした従者(ずさ)が呼び
に来るまで、ただひたすらに打ち続けていた。
「行こう、佐為」
「はい」
ヒカルたちが向かった先は、帝が日常生活を送る清涼殿から内宴など
が行われる承香殿へと続く渡殿(わたどの)の途中だった。後宮七殿の
一つ、弘徽殿の女御の指導碁の帰りに、帝と偶然出くわす手はずになっ
ており、尊い身分の殿上人が住まう場所だけに、衛士は多いが、関係の
ない貴族たちを閉め出すことができる利点もあった。
ヒカルは無言で佐為の後ろをついて歩く。廊下の先にたくさんの付き
人を従えた帝らしい人の姿を見て、ヒカルは速くなる鼓動を押さえよう
と深呼吸をした。そして、佐為に倣って廊下の端へと座し頭を低くする。
「これは佐為殿、弘徽殿の指導碁のお帰りか?」
「はい。弘徽殿の女御さまは、とても熱心でいらっしゃいますから」
恭しく帝に礼をした後、佐為が打ち合わせ通りに返す。
「うむ。これからもよろしく頼むぞ」
「はい」
「ときに・・・」
見えないまでも帝の視軸がこちらに向いた気配を感じて、ヒカルは床
についた手にぐっと力を込めた。
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